民意とは「投書階級」のことである。
ラジオ局の日本放送協会は、投書を受け付けていた。投書は番組編成に影響を及ぼす。
ラジオ局に投書をするのは、都市化の進展とともに現われた新中間層(官公吏、教員、会社員など)だった。
「投書階級」とはエリートでもなく大衆でもない「亜インテリ」(丸山眞男)のことでもあった。

「投書階級」の影響力は強かった。
たとえば1938年のラジオの聴取者の投書は約2万4千件だった。
ラジオ局の番組編成と放送の担当者は、これらの投書を1件ずつ閲覧して、実行可能であればできるだけ番組に反映させることになっていた。

「投書階級」が問題視したのは、出征兵士を送る宴で、軍歌の合唱がいつの間にか「忘れちゃいやヨ」などの流行歌の合唱になってしまうことや、軍歌が花柳街で大声放歌されていることだった。

「投書階級」の非難の矛先は、流行歌に止まらず、西洋クラシック音楽に及ぶ。
1937年の「草深き山村の百姓」からの日本放送協会への投書は、西洋クラシック音楽に対して「不愉快と嫌味とそして一種云うべからざる反感が心の底から湧き上って来る」と嫌悪感を露にする。

「投書階級」の西洋クラシック音楽の放送回数削減要求は、「日本的なもの」のイデオロギーで飾られていた。西洋クラシック音楽の放送は「ガンガンキーキーやかましいばかりで日本精神に反する」。

そう非難する「投書階級」は、他方で軍歌ならば同じ西洋楽器を用いた演奏でも、つべこべ言わなかった。
戦時下に「日本精神」を掲げて非難する相手には、どうしようもなかった。

以上要するに、娯楽統制の主体は検閲当局というよりも、民意(「投書階級」)だったことになる。

権力と民意の逆転は日中戦争の長期化に拍車をかける。新聞やラジオの報道によって戦勝気分が高まった民意は、無賠償・非併合による戦争の終結をめざす近衛の和平工作の妨げとなったからである。
メディアの持つ双方向性は、権力による被害者でもなく、権力に追従する加害者でもないメディアの実像を明らかにしている。

メディア統制をめぐる強者と弱者の立場の逆転が日本社会に何をもたらすのか。それを見極める前に日米戦争が始まった。

以下略
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