(前略)
この訂正作業は、政権幹部による統計批判がきっかけだったともいわれており、一部からは政権に「忖度」したのではないかとの批判が出ている。
本当のところは作業を行った当事者しか分からないので何とも言えないが、どちらのケースも、数字が増えて、GDPが拡大する方向性で処理が行われたのは紛れもない事実である。
近代民主国家において、正しい統計を取りまとめることは、絶対的なルールといってよい。統計を都合よく書き換え、それに基づいて恣意的な政策を実施するというのは、いかなる理由があっても許容されるものではない。もしこれをやってしまえば、独裁者が支配し、基本的人権がまったく守られない隣国と何も変わらなくなってしまう。
今回の不正とは関係なく、実は日本の基幹統計については以前から疑問視する声が相次いでいたのが現実だ。日銀は非公式ながらもGDPの算出方法について疑義があるとするペーパーを公表しているし、一部の専門家はGDPの数字が上向くように修正されているのではないかとの指摘を行っている。
統計全体への疑義が生じていたところに、2度の不正が明るみに出たということであり、現段階においてすでに日本の統計に対する信頼は、想定程度、崩壊したと考えてよいだろう。統計が信頼できなければ、当然のことながら、政府が発表する内容全体についても疑義が生じるので、場合によっては民主主義の崩壊につながりかねない。
多くの国民は普段、経済統計とは無縁の世界で生活しているのであまり知られていないが、日本の統計は先進諸外国と比較するとかなり貧弱な状況が続いてきた。統計作業は地味であるがゆえに、貧しい国は、こうした分野に十分なリソースを割くことができない。つまり各種統計を整備することは、民主主義の維持に不可欠なコストであり、ここに十分な資金と人材を割けることは、まさに先進国であることの象徴なのだ。
近年、日本の国際的地位の低下が指摘されているが、統計の分野ではすでに日本は先進国の地位から脱落している。それどころか、今回の不正によって、民主国家として適切なのかという疑義すら生じている状況である。
一連の不正会計は、法的には統計法に違反しているかどうかが焦点だが、単なる法律論に終わらせてはいけないだろう。実務的には統計法の範疇で処理されるとしても、民主国家において統計を改ざんすることは、民主主義そのものへの挑戦であり、基本的人権の侵害にも相当する重大なルール違反である。政治的には、極めて重い責任が発生すると考えるべきだ。
なぜこの不正が行われたのか、国会は徹底的に調査する必要があるし、もし何らかの意図が存在したという場合には、当事者はすべての政治責任を負う必要がある。日本の恥部を世界に晒すのは嫌なことかもしれまないが、これを乗り越えられなければ、日本の未来は危うい。
https://biz-journal.jp/2021/12/post_272264.html