田中角栄に激怒された1981年。23歳の石破茂の人生が動いた
石破さん:
私の父親は、角栄先生の無二の親友だったんです。
その父が、73歳のとき膵臓ガンで亡くなった。葬儀が終わって、葬儀委員長を務めてくださった田中先生にお礼に行った。
すると権力絶頂の闇将軍・田中角栄が、三井銀行に入って3年目、24歳の私に…「政治家の基本は挨拶まわり。今すぐ名刺を作って、葬式に来てくれた人全員に挨拶してきなさい」と言う。
「お前は2年後、衆議院選挙に出るんだ」と。
呆然としましたよ。いや、何のことだと。いったい何を言われているんだろうかと。
「いや、私はそのような器ではございません。三井銀行で銀行員として仕事をまっとうしたいです」、ここでもはっきり断った。
サノ:
断ったんですか!?
石破さん:
言った、言った、言った。
激怒された。
「バカ言ってるんじゃない。そんなことでは石破二朗のせがれとは言えない!」
…もう「ひえ〜〜」みたいな感じだったんだけど、それでも私はぶつぶつ言ったんですよ。
サノ:
あ、わりと抵抗したんですね?
石破さん:
そりゃしますって。
そしたら角栄先生がバンッと机を叩いてね。「よく聞け。政治家ほど面白い仕事はない」と。
「世の中、森羅万象のルールをつくるのが政治家の仕事なんだ」。角栄先生はこうおっしゃるんだね。
「道路には道路法。川には河川法。山には森林法、田んぼには農地法。ありとあらゆるものが法律によって律せられている。政治家はそれをつくることができる。日本で起こるすべてのことは、この目白で決めるんだ。こんな面白い仕事がどこにあるか」と。
※当時、目白には「目白御殿」と呼ばれる田中角栄氏の私邸がありました
サノ:
(日本の歴史に名を残す大物リーダーの名言に触れている…)
そこから心が動きはじめたんですか?
石破さん:
そんな人に言われたら、やっぱり心動きますわな〜。
ただね、もし「絶対やらない」という確信があったらやっぱり断ってたと思うの。たとえ田中先生に言われたとしても。
だけど結局、心のどこかに“父親に対する憧れ”があったんでしょうな。「自分もあんなふうに生きられたらいいな」と。
サノ:
「父親みたいになりたい」…そう聞くとある意味、すごく普通の「志望動機」ですね。
石破さん:
「自分の存在によって、人の人生が幸せになっていく」。結局ここなんでしょうね。
それはべつにさ、政治家でなくても、お医者さんでもビジネスマンでも、どんな仕事でもいいんだけどね。
私の場合はそれを、父と同じかたちで挑戦してみたかったと、そういう話なんですね。
政治家って、どうしても「権力」って言葉がセットになる職業でもあるから、いろいろ想像されちゃったりもするんだけど。
「偉くなりたい」「お金持ちになりたい」「政治家になって権力を振るいたい」…そんな気はカケラもなかったよ。もちろん今もね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b9337cdcafa0556955c5676e9da87db9a5ecca41?page=2