人は死んでその魂は神になるが,必ず幽霊として幽冥に帰り,その幽冥を掌る神である大国主神の「御制」を待たなければならない。

つまり,死後の霊魂の救済は,大国主神の裁断によって決定する。

そこで,小野のように「霊魂の復活」を語るためには,それを可能にする「幽冥」と「大国主神」が前提にならないといけないが,
近代以降,霊魂はその行方を失ってしまう。

明治期には「神道国教化」が進められ,国民教化のために教導職による宣教が行われる。当時の大教宣布運動の中心機関であった大教院には,造化三神(天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神)と天照大神が祀られていた。
しかし,出雲大社の宮司である千家尊福は「所謂神ノ人ヲシテ言ハシメ,人ヲシテ事ヲ行ナハシメ給フモノニテ,冥府ニ参集シテソノ判裁を請給フナル事,言ヲ待スシテ明ラカナリ,如此幽冥ノ大権ヲ執玉フ上ハ,神霊人魂悉ク大神ノ統治シ玉フ所ナレハ,諸神社ノ総宰モ亦出雲大社ナルヘキ事,更ニ贅論スルヲ待タス」41)といいつつ,
祭神として大国主神も祀るべきであると主張する。それから大国主神の合祀を主張する出雲派とそれに反対する伊勢派が対立する「祭神論争」が起こる。
尊福は「大国主神ヲ以テ幽冥ノ主宰ト思ヒ,
霊魂ノ救済ヲ願フガ如キハ,妄迷ノ甚シキナリト論ズト云ヘリ。余此話ヲキゝテ慨嘆ニ堪ヘズ」
など,霊魂を救済する大国主神の絶対な力を強調していく。

しかし「祭神論争」は明治十四年,明治天皇の裁可によって出雲派の敗北となり,尊福は,神官・教導職の兼職禁止が始まる明治十五年,神道修成派・黒住教に次いで教派神道の一派として独立し,宗教教団の道を歩んでいく。
その後,国家の宗祀となった神社界において「霊魂の救済」は,宗教教団で担うものとして排除されたのである。
神道界の内部分裂を呼び起こして神道国教化の挫折に大きな影響を与えた「祭神論争」は,神社界の霊魂救済廃棄の重要な起点にもなったのだ。

その後,大国主神を幽冥の大権として信奉するのは,出雲大社教・神理教などいくつかの教派神道の教義になってしまう。

国家神道である神社界では,天皇・伊勢神宮を頂点にする国家護持に協力し,祭祀・倫理にそのアイデンティティを求めていく。

一方,神社界が放棄した霊魂救済は,天皇のために戦死した霊を「英霊」として祀る靖国神社が継承していくようになる。

つまり,靖国神社では「現御神」である天皇の命によって戦死者の霊を招魂して祀ることを本格化するのである。

大国主神の専有であった霊魂の救済が,近代には顕事を治めるべき天皇によっても可能になり,天皇は顕事と幽事全てを支配する存在になったのである。

このように,近代には国家的な「英霊」の救済は靖国神社へ,一般的な死者の霊の救済は教派神道に任せ,神社界は歴史を通して形成してきた神道の霊魂救済の意味を完全に放棄してしまう。

いうまでもなく,戦後になってもその流れに変化を見ることはできない。

天皇は人間宣言によって神聖性を失ったが,神道界は依然として近代の国家神道を継承している。

現代の神道では顕事であれ,幽事であれ,その世界をつかさどる神は存在しなくなってしまった。

そして神社界では神葬祭は行うが霊魂の救済はできないという,奇妙な神道を作っているのである。