【音楽】レゲエ界に革命を起こしたリズムは日本人女性が生み出していたことが判明 [955949967]
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80年代半ば、レゲエ音楽にデジタル革命をもたらし、“モンスター・リディム”と称される「スレンテン」。その誕生の裏側には、カシオ計算機(本社:東京都渋谷区)の電子キーボードと新卒の女性開発者の存在があった。スレンテンのルーツ・奥田広子さんが、初めてベールを脱ぐ。
ジャマイカのシンガー、ウェイン・スミスの『Under Mi Sleng Teng(アンダ・ミ・スレンテン)』は、レゲエの世界に革命をもたらしたと言われる。友人のノエル・デイヴィーと2人で、カシオの電子キーボードを使って作曲したダンスホール・レゲエだ。1985年に大ヒットすると、デジタル音の心地よく、常習性のあるリズムは、またたく間に世界中に広がっていく。
レゲエでは、ドラムとベースのリズム体を「リディム」や「バージョン」、「オケ」などと呼び、これを繰り返すことで曲に鼓動を生む。同じリディムで複数のアーティストが曲をリリースするのも特徴だ。曲名にちなみ「スレンテン」と名付けられたリディムは、次々と新しい曲を生み出し、その数は通算450曲にも及ぶという。その影響でレゲエ界にデジタル革命が巻き起こり、ダンスホールの隆盛を生んだことで「モンスター・リディム」とも称される。
リリースから35年以上が経過した今、スレンテンの生みの親は、ウェイン・スミスや発売元のレーベル「ジャーミーズ」だと定着している。しかし元々は、1981年に発売した「Casiotone(カシオトーン) MT-40」に入っていたリズムパターンだ。スミスらは、そのプリセット音源を鳴らして、曲に仕上げたのである。
つまり、電卓でおなじみのカシオ計算機が、世界の音楽シーンを変えたのだ。しかも、カシオトーンに組み込まれたリズムパターンを作曲し、スレンテンを生み出したのは、入社1年目の女性開発者だった。
そのことは、一部の音楽マニアの間でのみ、伝説のように語り継がれていたが、これまで詳細なプロフィールが公開されることも、顔を出して取材に応じたこともなかった。MT-40の発売から40年を経て、開発者・奥田広子さんが初めてベールを脱ぎ、インタビューに答えてくれた。
世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」(1972年)、世界初の名刺サイズ電卓「カシオミニカード」(78年)と、70年代の“電卓戦争”をリードする存在だったカシオが、80年1月、スピーカー搭載の電子キーボード「Casiotone 201」を発売。楽器業界に参入した。
奥田さんがカシオに入社したのはその3カ月後。新人研修を終えるとすぐに、MT-40のプリセット音源の制作を任されたのである。
カシオは自動伴奏機能付きの商品を開発中だったが、商品化が実現するまでの “中継ぎ” 商品 として、ミニ鍵盤キーボードにリズムパターンを搭載することになったという。奥田さんは「開発部の音大出身者は、新卒の4人だけ。しかも、みんなクラシックが専門で、ポピュラーミュージックに明るいのは私だけだった」と振り返る。
当時はMIDIという統一規格もなく、デジタルの音楽制作環境が現在のように進んでいない。楽譜をプログラムコードに変換し、それを焼き込んだROMを専用の機械に差し込んで、初めて入力したリズムパターンを聴くことができた。手間と時間の掛かる作業を、完成までには何度も繰り返すため、外部の作曲者などに発注するのは難しかったのだ。
入社半年足らずの奥田さん。この直後にMT-40の開発に携わる(本人提供)
https://www.nippon.com/ja/ncommon/contents/japan-topics/1432484/1432484.jpg
https://www.nippon.com/ja/ncommon/contents/japan-topics/1429076/1429076.jpg
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02027/
The roots of Sleng Teng
https://youtu.be/qNpGlcxTOpg
Wayne Smith - Under Me Sleng Teng
https://youtu.be/Wjw7m-BKmQ8
続く
卒論に取り組み、レゲエを聴きまくっていた1979年、ボブ・マーリーが最初で最後の来日を果たしている。公演会場に何度も足を運んだ奥田さんは、その少し後に、カシオが初めて音大に出した新卒社員募集に目を留めた。「開発者募集」の文言が魅力的だったのだ。面接試験の際に見せられた発売前のカシオトーンの初号機は完成度が高く、電子楽器に大きな可能性を感じる。そして、決め手となったのは、世界市場を視野に入れた、その理念だった。
楽器部門を率いたのは、創業者の樫尾四兄弟の次男・俊雄氏。計算機の発明家として知られ、楽器にも造詣が深い俊雄氏は、「すべての人に音楽を奏でる喜びを」というスローガンを掲げていた。楽理を学び、洋楽に親しみ、楽器開発への興味も強かった奥田さんは、自分にぴったりの仕事だと確信する。
入社すると間もなく、プリセットの音源制作の仕事が始まった。rockやpops、sambaなど6種類のリズムパターンと、それぞれメジャーとマイナー、セブンスの3つのコードタイプに応じたベースラインを作り、曲調の変わり目などに変化を付けるフィルインも2種類追加した。
スレンテンは、rockとして作曲したリズムだ。それがレゲエの世界で流行した理由を、奥田さんは「当時、頭の中はレゲエ一色。ロックのリズムを考えながら、自然とレゲエに通じるものになったのだと思う」と説明する。
この時代には機能や音数に制約が多く、プリセット音源に使えたのはドラムとベース音のみで、長さも2小節。ドラムに変化を付けるのは難しいため、いかにベースラインを仕上げるのかがポイントだった。
コアな音楽ファンの間では、スレンテンの元ネタは、エディ・コクランやセックス・ピストルズだという説が広まっているが、奥田さんは否定する。「ブリティッシュロックを聞いていたので、インスパイアされた曲があるのは確か。でも、それとも別物の完全オリジナル」と付け加える。
レゲエのリズムは特に意識していなかったが、「トースティングが乗せやすいように」とは心掛けたという。レゲエのトースティングとは、リズムに乗って語り掛ける行為で、ラップやDJスタイルに大きな影響を与えたもの。あまり音を詰め込み過ぎないように単純化したことで、アレンジがしやすく、レゲエ独特のコードパートも入れやすかったのだろうと奥田さんは推測する。
カシオの楽器事業は滑り出しから好調で、新商品を出せば世界中でドンドン売れた。常に複数の開発案件を抱えていた奥田さんは、「とにかく忙しかった」ため、レゲエとも縁遠くなっていく。営業部から「MT-40が中南米で人気だ」と聞いても、それがジャマイカと関係があるなどとは全く想像しなかった。
雑誌『ミュージック・マガジン』の1986年8月号を読んでいると、「スレンテンの氾濫〜」と副題がついたレゲエの記事に「カシオトーンのビートが延々と続く」と書いてある。その音を文字で「ブブブブ、ブブブブ、ブブブブ、ブッブ」と再現しているのを見て、自分が産み落としたrockのリズムがジャマイカのみならず、世界の音楽シーンでブームになっていることを知った。
すぐに『アンダ・ミ・スレン・テン』のレコードを購入。「まさにカシオトーンのプリセットのリズム。ある程度は予想していたが、曲のイントロまでフィルインの音がそのまま使われていた」と、驚いたそうだ。そして、同時に「そうだよね」と妙に腑に落ちた。
「レゲエを聴き続け、卒論まで書いた私が生み出したリズムを、レゲエの音楽と共に暮らすジャマイカの人がちゃんと見つけて、受け入れてくれた。でも、それは輸出企業のカシオが楽器開発を始め、新入社員に大役を任せてくれたから。全ては偶然ではなく、必然だったのかもしれない」
奥田さんが制作したリズムが大ブームを巻き起こしたと分かっても、会社での日常に変化はなかった。「カシオ計算機」の社名が示す通り、保守本流は電子機器の開発であり、楽器部門は傍流にすぎない。特許取得は評価されても、音楽の世界に革命を起こし、文化を生み出したことが社内的に注目されることはなかった。奥田さん自身も、そんなことを気にする余裕がないほど開発に没頭。スレンテンに関する記事などを目にする機会があれば、ひそかに誇りに思うだけだった。
著作権を申告した方が良かったのではないかとの意見もあったが、「多くの人に使ってもらうことで、カシオトーンを有名にする」ことの方が大切だった。そして、世界中の人がカシオトーンで気軽に音楽に触れ、簡単にレコーディングできるようになってほしいと願っていた。最近でも、スレンテンのオリジナルはMT-40の音源だと探し当て、わざわざカシオに使用許諾を申請する音楽関係者がたまにいる。その場合も、「自由に使っていいので、クレジットには『MT-40の音源を使用』と入れてほしい」と伝えるだけだ。 ゆったりしたレゲエは好きなんだけど本場もラップなの? この時代で大卒女性
しかも音大
着てる服もおしゃれだし相当な文化資本を持った人物だよ なるほどスライ&ロビーがJ-POPカヴァーアルバムを作るわけだ レゲエってビッチが腰振ってるイメージしかないんだけど
なんなんあれ 三大意味わかんねえけどなんとなく知ってるレゲエ語
・ヤーマン
・ボンボクラ
・ もしかしてリンゴ追分もこの人が輸出したのか?
Don Drummond / Ringo
https://youtu.be/JT_eCe65m70 ベースラインのひとつじゃないの
レゲエを特徴づけてるのってンッチャンッチャくらいのような >当時の日本の音大は、クラシックを専攻する学生がほとんどで、奥田さんは異色の存在だった。
>「卒論のテーマもレゲエ。指導教官がいなかったので、バロック専門の教授に無理やり読んでもらい、『文章的には問題ないね…』と無事卒業できた」と笑う。
おもしろい >>15
それはまではボブマーリーとかでおなじみのンチャッンッチャだったのが
80年代後半〜90年代のダンスホールレゲエはこういうリズム一緒くたになったからな へーと思ったけどつまんねえ音色とパターンだな
これで曲に仕上げる方がすごいわ チープなカシオトーンのプリセットを使ってヒット曲を生み出したジャマイカ人
前の持ち主がtb303に打ちこんだパターンを使ってアシッドハウスを生み出した黒人
2枚のレコードのドラムの部分を繰り返してラップを乗せた黒人
どれも冗談みたいなことをやって新しいジャンルを作ってるんだよな カシオのキーボードの功績ははとても高価だった高音質リズムマシーンとデジタルサンプラーを
廉価機にブチ込んで大革命でひっくり返したんだよな
この方も時期的にその開発に加わってる筈 >>27
スマホPCが登場してんのにその辺の新機軸がまだだよな
マルチトラックなんか何chも無尽蔵になったのに >>7
それだけで音大に行けるとしたら
金って凄いんだな >>33
音大に入るには「音大受験専用の先生」につかないと入れない
その先生探せるコネと多少の金さえありゃどっかには入れるだろ 面白い記事だ。音楽好きなら誰しも聴いたことあるだろ そんな音大に入ってクラではなくレゲエに夢中になって
ボブマーレーのツアーに連日行ってたってほぼアウトサイダーだろw
幼稚園小学校音楽の先生でなくカシオに入れてるから優秀なんだろうが レゲエ20年以上聴いてるが、これは一説で、半分都市伝説だと聞いてた。めちゃくちゃいい情報。 俺もそれ気になる
Bob Marleyのmystymorningでもレゲエとリズムを掛けた言い方してるけど何かリズムとは違う意味?があるのかな
https://youtu.be/4TKJOE78Fn8 レゲエに興味ある奴なら誰でも聴いた事あるリディムだろうなこれ
俺はget busyからレゲエ聴き出したからやっぱdiwariが1番好きだわ 最近は本場キングストンの流行がわからんな
昔は雑誌リディムがあったりジャパスプがあったり最新レゲエヒットコンピcdがベストセラーだったけど この話相当胸が熱くなったわ。
あれは(みんなそう思っていただろうが)てっきり音楽にあまり明るくないエンジニアのおっさんの、
ちょっとズレた“ロック”観が生み出したプリセットパターンかと思いきや、
こんなレゲエ好きの人がレゲエよりもロックを意識して作ったパターンで、
それが図らずも次世代のレゲエを生み出したんだからな。 >>32
今はネットでいろんな情報が手に入れられるから、すでにある型にみんな行くのかもな
自分は右か左かみたいな安易な属性付けも似たようなもんな気がする 今でも大定番だな
80年代半ばから00年代初期のリディムって今でもこのリディムにのせてラバダブするのが多い
最近のレゲエはなんであんなに悲惨な事になってしまったんだろうなあ ズバリ言うと演奏しない勢の方が増えたからだろ
使いまわしてりゃそりゃオリジナリティもアドリブ性も薄くなる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています