ヒロヒト「うし、じゃあ対米開戦だ!太平洋を朕の海にしろおおおおw」


当時の総理大臣、近衛文麿の日記によると「余は日米戦争の場合、(山本)大将の見込みの如何を問ふた処、それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。
然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」と発言している。
物量の差や戦略資源の差を考え開戦を思いとどまらせようとし、どうしても戦うならば、開戦と同時に大きな一撃を与えて有利な条件による早期講和を結び集結する、という戦略しか無いと説いた。

開戦18日前の昭和16年11月20日には、開戦を避けるためのアメリカとの交渉について、昭和天皇に説明してきた内大臣の木戸幸一から聞いた話を記していました。

木戸は昭和天皇の様子について「上辺ノ決意(かみのへんのけつい) 行過キノ如ク見ユ(いきすぎのごとくみゆ)」と百武に語っていて、開戦に前向きな決意をしているように見えたと、懸念を示していたことが分かります。

このため昭和天皇に対して、ルーズベルト大統領が交渉の妥結を熱望していると伝えたことや、外務大臣などの前で平和的な道を尽くすべきだということを印象づける発言をするよう、進言したと語ったことも記されていました。



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