確かに終わった感じはすごくするのですが、振り返ると約20年前に公開された旧劇場版で終わってたんだと
改めて思いました。今回の新劇場版のように、懇切丁寧に終わってほしかった人は実際にはどのくらい
いたんだろうかと。ゲンドウがモノローグで「一人が好きだった」などと語っていて、
「こういうことが聞きたいわけではないのだよな」という思いになってしまいましたね。
とは言いつつも「こう終わらすしかないよね」と感じながら、2時間30分の上映を背筋を伸ばして見ていました。
よかった点ですが、まず、ちゃんと終わったこと。あとは、前半の第3村が重要だと思いました。
この部分を長いと言う人もいるようですが、あそこは必要だったと思います。
「鬱病患者のカウンセリング」との話も庵野(秀明)監督から出ていましたけれど、
それをAパートでずっとやるんだなと見ていました。
NHK『プロフェッショナル』で、庵野監督自身が、昔のように「これでわかって」というやり方は受け入れられないと
話をしていたので、シンエヴァのわかりやすさは自覚的だったと思います。
20数年前にヘンテコなものを見てきたので、そういうものを期待していた面はあったのですが、
20数年前に今回のような終わらせ方をしていたらエヴァはここまで広がらなかったでしょうし、
いろいろ考えてしまいますね。
庵野監督は「カラー」の社長でもあり、プロデューサーでもある。だからNHKのスタッフに“撮らせて”いますよね。
ドキュメンタリーの感想を含めて、みんな手のひらで踊らされている感じがしました。
ドキュメンタリーの最後の庵野監督がiPhoneを持って走るシーンもちょっとわざとらしかったですね(笑)。
庵野秀明を碇シンジに投影しようとし過ぎている。実際はシンジくんだけではない。庵野監督は歳をとって
ゲンドウにも近くなり、ミサトさんでもあるわけですよ。マリに関しては、これをいうとカラーさんには
「違いますよ」と言われそうですけれど、そもそも庵野監督発信のキャラクターでないゆえになんらかの
媒介だったりするわけじゃないですか。
絵コンテをきらないという気持ちは非常にわかるし、やりたいと思うんですけれど、その制作方法がはたして
どれほど作品の上澄みになっているのかは正直わかりません。アニメーションという表現技法の中で、
何かを180度覆するものではない気がします。とはいえ、より難易度の高いカットは出来上がってたので、
高いハードルを設定するためには有用なのかもしれません。
何人かすごく感動したという人はいましたけど、これで本当に終わったんだな、ということがまず第一という感じでした。見ている人も大人になったし、
当時と同じ気持ちではやっぱり見ていない。
作品の感想に戻りますが、こんなに過去のエヴァを懇切丁寧に踏襲しなくてもよいのに、とも思いました。巨大な綾波レイが出てきたり、
シンジがぽつんと海の前で座るシーンであったり、原画を使うシーンがあったり。ファンに対してとてもサービスをしてくれたなとは思います。まさに「サービス・サービス」です。
ーー過去のオマージュが多かったので、私は最後に予告編まであるのかなと少しだけ期待しました(笑)。
伊藤:でも、いつか「カラー」として、庵野監督以外でエヴァを作るんじゃないでしょうか。Qの予告でやれなかった幻の話も
存在するわけですから。「カラー」として何を作っていくかとなると、エヴァというIP、ブランドがあるので、ガンダム的に作り続けるやり方もできる。
それを二度と作らないというのは商売的になさそうだなとは思います。
https://www.cyzo.com/2021/12/post_299832_entry.html