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虐待された子どもの教育を奪う、生活保護の皮肉な事情

● 虐待トラウマに苦しみながら 人生を諦めなかった青年の歩み

 2021年現在、生活保護を受けながら大学等の昼間部に在学することは、ごく一部の例外を除いて禁止されている。夜間部や通信制なら認められる場合もあるが、就労しつつの「余暇活動」という位置づけだ。中村舞斗さん(32歳)は、子どもや若者の支援に取り組む人々や団体とともに、この制度運用を変えるために働きかけを続けている。モチベーションの源は、この問題に苦しんだ自分自身の経験だ。

 虐待やネグレクトを日常的に受けつつ育った中村さんは、高校生だった16歳の時、児童相談所の介入を受けて家族のもとを離れた。しかし、それで問題が解消したわけではない。トラウマ障害のため精神的に不安定だったことが最大の障壁となり、児童養護施設には入所できず、中村さんは精神科病院の入院病棟を生活の場とするしかなかった。高校は中退することになった。

 病院から退院すると、18歳になっていた。18歳までの児童を対象とした支援制度や施設は利用できない。18歳以上の若者を対象とする自立援助ホームも、精神的なケアを必要とする中村さんの受け入れには難色を示した。

 虐待の当事者であった家族のもとに一時身を寄せるなどの紆余(うよ)曲折の中で、中村さんは20歳で通信制高校を卒業して就職した。そして進学資金を貯蓄し、22歳で看護大学に進学。アルバイトと日本学生支援機構奨学金の借り入れが頼りの、ハードな学生生活を送り始めた。

 しかし、乳幼児や妊娠・出産・育児について学ぶことは、中村さんの虐待の記憶を刺激し、トラウマ障害を悪化させた。その結果、アルバイトが困難になり、収入が激減した。

 学費を支払うと生活費がなくなる。とはいえ、学費負担を先送りするために休学すると、奨学金が停止されるので生活自体ができなくなる。中村さんは、福祉事務所に生活保護の相談に行った。すると、窓口にいた職員が「大学はゼイタク品」と語り、生活保護を利用する場合は大学を退学する必要があることを説明した。現在の制度運用のもとでは正しい説明なのだが、絶望した中村さんは自殺を図った。幸いにも未遂に終わったが、大学は中退することとなった。残ったのは、奨学金という名の借金だけだった。

 中村さんは、トラウマを治療した後で再び就労し、自分と同じような経験を持つ若者や子どもたちのための活動「虐待どっとネット」を始動させた。「虐待どっとネット」は2021年7月にNPO法人化し、さらなる活動の展開に向けて足場を固めつつある段階だ。
● 大学進学はゼイタク? 子どもたちの願いは「選択肢をください」

 子どもが成長して大人になるまでの歩みは、困難な障害物レースに例えられる。虐待やネグレクトを受けている子どもたちは、重荷を背負わされた上で、他の子どもたちよりも障害の多いコースを走らされているようなものである。

 家出や施設入所などを子ども自身が望んでも、あまりにも幼すぎると実行は困難だ。実行して成功する年齢は、15歳前後より上であることが多い。そして児童支援制度の数々を利用できるのは、「児童」である18歳までの期間のみ。虐待される環境からの脱出に成功すると、その瞬間、独り立ちへのカウントダウンが始まる。

 さらに、子ども自身が虐待を認識していない場合も多い。虐待は、「しつけ」「教育」「あなたのためを思って」といった名目で行われるものである。子どもが「自分は虐待されている」と気づいたときに20歳を超えていると、もはや、被虐待児童を対象とした支援制度はまったく利用できない。

 日本の児童支援・若者支援・学生支援は、年齢で細かく区切られている上に「想定外」の部分が多く、各自の事情に沿って隙間なく組み合わせることが可能とは限らない。その上、本人たちの心身には「虐待によるトラウマ」というハンディが厳然として存在する。ハンディを背負っての歩みには、より多くの時間がかかるかもしれない。

 しかし大学等の学費免除や奨学金などの制度は、そんな若者たちの存在を十分に考慮できていない。留年や休学は、しばしば「カネの切れ目」になる。すると生活が成り立たなくなり、学業継続も復学も困難になる。

 もし、生活保護で生存の基盤を支えながら大学等に在学することが可能になれば、状況は一変する。加えて、大学等が経済的支援を十分に提供すれば、日本史上最強の学生支援が生まれる。