文学教授「大学受験はもっと小説の設問を出題しろ!」 [317527133]
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――今回の高校国語科教育の改革についてどう思われますか。
契約書や取扱説明書を読めるように「論理」を重視した結果、「文学」を軽視することになっていて、この流れは明らかにおかしい。「文学は論理的でなく、実社会に役立たない」という改革の背後にある考え方がまったく理解できません。
「悪貨は良貨を駆逐す」と言いますが、かつて入試で古文・漢文を除く大学が普通になってから、高校の授業で漢文を教える機会が少なくなっていったように、一度傾斜配点にしてしまうと、文学もなしくずしに教えなくなっていくでしょうね。
――実学重視にひた走る教育にはさまざまな批判があります。
室町〜江戸時代で使われた庶民の教科書『庭訓往来(ていきんおうらい)』を知っていますか。年始のあいさつの文例や、農民と町人が契約を交わす際の定型文といった「これさえ覚えていれば生活に困らないよ」という教養の基本をひな型にまとめたものです。
今回の高校国語の「改悪」は「『庭訓往来』のように定型文を覚えればそれでいいという時代に逆戻りしろ」、と言っているのと同じ。 こんにちは。あたしはカウガール。
AAとして成り上がるため、スレを巡る旅をしています。
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これをやってしまうと、自分で考えることができなくなってしまいます。明治時代になり、夏目漱石や正岡子規といった文学者たちがやろうとしたのは『庭訓往来』的教育からの脱却です。
自分の目で見たものを自分で考えて、自分で書いた。漱石は新聞の連載小説でご飯を食べていた人で、非常に論理的です。連載1回あたり1000〜1200字の中に「文章の山」をつくり、読者に「明日も続きが読みたいな」と思わせる展開になっています。このように文学は、論理を超越する魅力を持っているのです。
一方、契約書や取扱説明書のような文章には、論理性を超える力はありません。実用的文章ばかりを読んでいるだけでは、人間は受け身になって、発想もどんどん小さくなっていくでしょう。文部科学省は「論理国語」という「庭訓往来」的な教育でつまらない小さい若者をつくっていこうとしているのです。
――文学に触れないことで、ほかにどんな弊害が生まれますか。
「自分の範疇を超えた他者の気持ちがわからない人」に育つに違いありません。
小学校のころに国語の教科書に載っていた新美南吉の「ごんぎつね」や「手ぶくろを買いに」を思い出してください。その人物の気持ちになって考えよう、と授業で習いましたよね。文学は、感情や情緒にかかわる教育も含んでいるのです。
また、現代社会では、カタカナ言葉のように、わかる人同士しか通じない言葉が増えていますよね。自分の知っている範囲だけ、自分のお気に入りの人、同じコミュニティーの人としか会話・交渉できない若者が増え、分断社会を助長するでしょうね。
今回の改革が「感情教育は15、16歳までにきちんとしてある。だから、高校からは論理だけでいい」というなら、怒りは湧きませんよ。でもちがうでしょう。
これから大学入試で少しでも有利になるように、論理的文章ばかり読ませるような国語教育が中学校、小学校と前倒しで行われないか危惧しています。みんなが同じ定型文を覚えてどうするつもりなのでしょうか。文科省がやっている英語教育や英会話もまったく同じです。定型文を覚えることで、表面的な会話はできるようになるかもしれませんが、人と、本当に心を通じ合わせる言葉を編むことはできなくなるに違いありません。 それより異常なスピード偏重をどうにかしてほしい
情報処理は高校の学習指導の範囲外だろ
――文学は論理と対立する概念でないのですね。
前述した通り、文学は論理を超越します。たとえば、物理学者の寺田寅彦は随筆の名手でもありました。物理の知識だけではなく、その背後にある世界観を文学的に表現しています。彼の「天災は忘れたころにやってくる」という警句は有名ですが、こうした論理を押さえたうえで、読ませる文にしていく表現力などを高校の授業で教えるべきなのです。古典もしかり、近代文学には次の時代につながるものがたくさんありますよ。
――「論理国語」では、ディベートなどのアウトプットに重きをおいています。
アウトプットのためにはたくさんインプットしないと。中身がなければ何もできません。
実学重視の日本とは違って、フランスの大学入学共通資格試験であるバカロレアでは、哲学が必須ですよ。アンリ・ベルクソンなどが出され、口述試験もありますから、高校生から普通にロジカルシンキングや哲学を学びます。論理を重視せよというなら、フランスのような入試に変えればいいのにと思います。
文科省は「人を耕す=カルティベートする」つもりがないのだと思いますね。国語科では本来、もっと人間の深い「カルチャー」の部分まで耕すべきなのに、「論理的」で「実用的」な文章を重視するというのは、人間の表層部に機械をつかって種をまいているだけです。
授業の名前を「日本語」でなく「国語」と呼ぶ意味を考えてみてください。決して日本語の文法や知識を教えるだけのものではないはずです。もっと「人間を深くまで耕す教育」であるべきです。 なんだか最近国語の課程を大幅に改訂したらしいな
スレッドが盛り上がってた >漱石は新聞の連載小説でご飯を食べていた人で、非常に論理的です。
>連載1回あたり1000〜1200字の中に「文章の山」をつくり、
>読者に「明日も続きが読みたいな」と思わせる展開になっています。
>このように文学は、論理を超越する魅力を持っているのです。
文学は大切ですという主張自体はいいのだが
この人の言い分が論理からかけ離れすぎてて
文科省の施策を肯定しちゃってるからもうちょい考えてしゃべろうよ 文科省「国語の教科書に小説いらないぞ」出版社「は?芥川の小説載せるわ」 採用数トップに [469534301](206) >>5
>>授業の名前を「日本語」でなく「国語」と呼ぶ意味を考えてみてください。決して日本語の文法や知識を教えるだけのものではないはずです。もっと「人間を深くまで耕す教育」であるべきです。
この考え方は問題やろ
言語とイデオロギーを結びつけすぎ 入試問題では小説も論説文も結局問題文中にある答えを探しだすゲームであることに変わりはないから
そもそもわかりやすく伝えるように書いてある論説文の方が難易度は低い 行間を読むとか言外の意図を理解するとかいう能力がないから、おまいらは一生童貞なんだと思うは > これをやってしまうと、自分で考えることができなくなってしまいます
なんのデータにも基づかない
単なる願望、無意味なポエムっすね >>9
これは使う教科書の決定を国語の教師が行ってるからだろ ネットフリックスやHBOやディズニープラスが教えてくれる。
文学をベースとするカルチャーを発展させるとがわんさか儲かるということを。
一方、日本は吉本芸人を選んだ。 >>13
これ
行間を読ませようとする態度は嫌いだが
行間を読もうとしない奴らもイカれてる >>11
それね
評論は安定的に高得点だったけど、小説は問題によって
相性が悪いと酷い点数になったわ・・・
それで文系を諦めて、理系に進んだ この件に関して、文学の重要性をうったえていた専門家が
「オレは契約書や説明書が全然読めない」と迂闊にも自分で白状しちゃってたからな
あれを読んで、連中の言ってることをまともに受け取る価値はないと思いました >>14
まともな評論なら、「自分には分からないこともある」と気づかされるはずだが
論理国語が提示してる「契約書の読み方」みたいなのばかりだと
本当に「自分で考えられない」「想像の範疇を超えた他者を分かろうとしない」みたいな人間になりそう >>21
契約書といっても、普通の契約書なら大丈夫でしょ
金融関係の物凄くマニアックな法律が絡んだり
デリバティブとかの用語がバンバン出てくるものはキツイけど
あと説明書でも、科学的知識がかなり要求されるものは厳しいね
大学の実験機器の説明書とかマニュアルとか いまの日本は芥川のトロッコだからな
よく知らない政治家にホイホイついていった おれはインポテだった、しかも正真正銘のインポテなのだ。 二十四の瞳がホラー小説に
カテゴライズされて陳列されてた
見た時はもう純文学はオワコンなんだな
と感じたよ 経験上小説読んでる人が自分でものを考えられる人間だとはとても思えないわ 文学は論理を超越する、って繰り返してるけどどういう意味? センター国語が恋愛小説で撃沈した思い出
評論文は満点だったのに 約款読む契約書読むのは決められたこと守るだけだろうが
小説は想像力鍛えることができ創造に繋がる 昔の人は本を読みまくり
その教養が高度成長の下地になった
現代の最先端の教養
https://i.imgur.com/VNiNXYJ.jpg ワンピースでも問題にしろや
小説を授業で使うから小説嫌いが増えてんだろ てか、無味乾燥な説明書とか読んで論理力とか様々な学力が身につくか?
読書はある程度量をこなすべきだろう この話、いつもピンとこないのは
小説の受験問題なんて普通に論理の問題だからな
登場人物の気持ちも論理的に読めば正解にたどりつける
だから小説問題が論理ではないも間違いだし
小説問題が得意なら、リアルな人間の感情を読み取れるわけでもない >>35
そもそも数学や歴史で倫理的な文章力なんていくらでもはかれるんだわ☺ 自分の範疇を超えた他者の気持ちを学校教育で分からせようなんてほうが危ういように思うがな >>35
いや、小説は論理的に考えても政界に到達できんのよね・・・
評論は普通に選択できるし、正解できるんだけど
まぁ、多くの小説は、そこそこ点数取れるんだが
センターの過去問解いてると、たまに相性が悪くて
波長が合わないのか、正解の選択肢が分からん問題とか出てくる
著者自身も「正解がない」とか言ったりしてるくらいだし
論理的と思えない部分あるんだよなぁ 要はビジネスで文書でやりとりできればいいわけで
主人公の感情とか興味ないしつまんないんだよ
小説文学やその読書感想文の押し付けが一番本嫌いにしてしまう >>40
お前みたいな人の感情を何も考えない無神経野郎のせいで社会は大変なんだよ どちらもやれば良いんじゃないのか?
実用文ばかりじゃ読んでいても面白くないだろ
かえって小説の人気が上がるよ >一方、契約書や取扱説明書のような文章には、論理性を超える力はありません。
約款はたいてい法律とかその制定経緯かその会社の過去のトラブルが元にできてるから
明治期に古典的素養を失って個人的な体験を書くだけになった小説よか奥が深い
でも逆に
そんな知識なしで読ませるのは無駄というなら賛成できる >フランスの大学入学共通資格試験であるバカロレアでは、哲学が必須ですよ。アンリ・ベルクソンなどが出され、
フランスのバカロレア対策の問題集買って読めばわかるが定型文書くだけ
もう完全に哲学問題の試験対策は「できあがってる」
これいう人は実際にバカロレアで高得点取るためのガチ対策使って
受けようと思った事ないんだろうなと 小説って崇高なものと扱われがちだけど
ぶっちゃけオナニーだよ。 センターの小説を作者本人に解かせたら全然出来なかったんだっけw
評論と違って小説なんて答え作ったもんだからな 優れた大学への入学者を選抜する試験なんだから、高等教育の適性を測るような試験内容が望ましい
国語の分野なら、第一には学術的な文章が理解できて、論理的かつ明瞭な文章が書けるかの試験であるべきだろう
文学の試験もあってもいいと思うけど、高等教育に普遍的なもんではないし、絵画や音楽と同じ美術のカテゴリに入れるべき >>46
小説じゃないだろ
たしか小林秀雄、悪文で有名 ニートの時に本読みまくってたけど三十路になってから読まなくなった
そんな余裕無いんや
今を生き延びるだけや 出題者「この時の登場人物の気持ちはこうです!」
作者「え?そうなの?」 >>4
令和7年度から大学入試の科目に入るぞ、情報 >>50
いや小林秀雄じゃない。もっと後の世代の人
ウィキペディア辺りにエピソードとして載ってた気がする 説明書の読解の訓練で読解力が上がるんか?
文学含め多様な言語表現に大量に触れて読解力上げるんだろ
教育迷走してるなあ
英語の文法軽視なんかもそう 別に小説が悪いわけじゃなくて論理的な文章すら読めねー奴に小説ばかりの教育ばかりしても役に立たねー >>35
センター試験の小説なんてめちゃめちゃ論理的に作られてるよな
少しでも穴あったら叩かれるから、絶対に反論が来ないように作られてる
>>39
この手の話で作者がどうこうってのが的外れなのは、国語の問題って作者の意図を聞いてるんじゃなく、出題者の意図を聞いてるんだわ >>1
> 「文学は実社会に役立たない」という改革の背後にある考え方がまったく理解できません。
で、文学とやらで飯が食えるのか? >>46
>>50
共通一次時代の遠藤周作のエピソードですだ 日本十進分類法なら
哲学は全ての学問の王者たる1
文学はみそっかすの9
一緒にするな センターの小説が論理的とか寝言だろ
よしもとばななは自作が出題されて解いた時に満点じゃなかったことをネタにしてるくらいだぞ 大学受験に合わせた論理重視の教育はヤバいとは書いてるけど
小説出せなんて書いてないじゃん 文学はまああっても良いと思うけど国語の試験では文学のせいで
意味不明な悪文の意図を推理するようなのが幅利かせて
普通の文章をちゃんと書けるようにならないんだよ
取扱説明書みたいな具体的な内容を意味が通じるように
論理的に読み書きできる方が重要だよってのは
俺も同じ事主張してたし圧倒的に支持するわ
この掲示板でも自分の考えを簡潔にまとめて意図が通じるように書けないくせに
ポエムのような長文をダラダラ書く奴がたまにいるだろ >>64
こいつ絶対文系だろうなって長文君いるよなあ >>56
小説ガン無視の評論速読一辺倒なのは英語の方が顕著だよね
文法問題もコテコテの文法問題から語法重視に変わったところまでは良かったのに、何で削除しちゃったんだろうか
語法やらないとまともに文章書けないのに 自身、本当は小説なんて読まないけど
まだ権威があると思っている人間が言いそうな事だな 小説っていうか夏目漱石ってジャンルを確立したほうがいいんじゃないか
あれ一人で完成してるし アスペは小説の読解とか苦手だからな。
アスペあぶり出しのために小説の問題を増やしたほうがいい。 小論文は好きだけど小説は本当に嫌いだった
解答読んでもまだ納得いかないこと多かったから失くなったんだとしたら清々する しかしここを見てもまだ一部には権威だけはあるようだな
読者は見当たらないけど センターの国語すらできない自称理系のバカがイキるスレ >>69
逆でしょ、むしろアスペみたいな解答が多いから受験小説は大嫌い >>59
ネットフリックスやHBOやディズニープラスが教えてくれる。
文学をベースとするカルチャーを発展させるとがわんさか儲かるということを。 大東文化大学文学部中国文学科卒業後、同大学院修士課程修了
大東文化大学文学部教授 読解力もだが共感力も試験しろよ、
ネトウヨみたいなのは全員高卒でいい センター現代文論文は間違える方がおかしいと気づけばもう満点しか取らない
小説も一問落とすかどうか
論理的であれば解ける素晴らしい問題 幅広い素養を求める東大でさえ小説の問題は出してない
つまりそういうことでしょ 文学やってる教授なんて他人を喰いものにしてるだけだろうに
文学を大学受験問題に入れろだなんて保身でしかない 文学部を卒業した人って作家や出版社で働くのか?
以前、立教の文学部の学生がドヤってたけど、普通の会社に就職してたな 作者の気持ち()とか馬鹿にされがちだけど、サイコロ連続で投げてなんちゃらかんちゃらスレみたいに読解力不足で間違えるやつもいるから必要だと思う
ちなみに俺は問題作者が問題製作を間違えてると思ってる 国際学習到達度調査では、日本の生徒は読解力が劣っているというデータが出ている。
そこ(PISA)でいう読解力とは
「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発展させ、社会に参加するために、
テキストを理解し、利用し、評価し、熟考し、取り組む力」
だそうな。ポエム読ませてる場合なんでしょうか 小説と受験現代文は相性悪いよ
論説とか批評文の方がいいかもね
ただ優れた小説に触れる機会が減るのであれば、それはそれで良くないとも思う センターの小説ってやべぇのが多かったし
評論だけでいいんじゃないか感はある >>41
わかるアクティブで積極的に社会に関わるコミュ障いるよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています