宮崎
町に住むって ことは、つまり修業するってことは、もっとあからさまな 自分になって、つまりキキで言えばホウキも持たず、ネコも連れずに一人で町を平気で歩けてね、人と話ができる。 そういうふうになれるかどうかなんですよ。それを実際にはみんな、流行のファッションで身を固めたり、「ぴあ」 を読んで、人に道をたずねなくても映画館にたどりつけるように(恥をかきたくないから) いまの人たちはしているわけでしょ。 情報誌が売れたのはそれが理由ですよ。みんな恥をかきたくないから、せっせと予行演習をしている けでね。

というのは、僕自身がとても自意識の強い人間だからわ かるんです。 ひどいときは駅員にこの改札口でいいのかど うか、訊くことすらできない、町の中でどの道を行けばいいのか、立ち止まって見回すのも恥ずかしい。ひたすら違う道を歩いてとんでもないところへ行ってしまう。そういう愚かなことをいっぱいやってきた人間なものですから ....。そういうのは本来作品として描きたいとは思ってな かったんだけど、この歳になったら、そういうことを一種ほほえましく客観的に見られるようになったんです。

───さきほどおっしゃった、避けられない愚行というや つですね。

宮崎
誰でも経験があると思うけど、いろいろとバカな ことをやっているんですよ、人間は。だからそれをよくな いとか正しくないと否定することはできないと思うんで すいくらでもやっていいということじゃなくて やらな くてすめば、それにこしたことはないですね。 夜中に思い出して恥ずかしさのあまり大声で叫び出したくなるよう なこともいっぱいやっているわけだけど、それも必要なん だ、そういうこともやらなきゃいけないんだ、という感じかな。


これもう半分ケンモメンだろ