昭和20年9月27日午前9時50分、東京・赤坂の米国大使館に4台の車が到着した。
やがてドアが開き、宮相や侍従長らとともに降りてきたのは、モーニングコート姿の昭和天皇である。
GHQの高官2人が直立不動で出迎え、昭和天皇を館内に案内する。応接室の前で待っていたのは連合国軍最高司令官、マッカーサーだ。
2人は握手をかわし、応接室に入った。宮相や侍従長らは次室で待たされ、通訳の奥村勝蔵だけが同席した。
マッカーサーの回想によれば、昭和天皇は緊張しており、その様子から“命乞い”に来たのではないかと思ったという。
だが、昭和天皇が口にしたのは、まるで正反対のことだった。

「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼等には責任はない。
私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」

https://special.sankei.com/a/society/article/20200229/0001.html