父親には愛人がいて、母親は子供たちをよく言えば「放任」、悪く言えば「金だけ与えてネグレクト」の状態でした。
そんな中で、長女が食事を作り、家族はそれぞれ好きな時に勝手に食事をとるような生活をしていたとのことです。
事件当時は次女と三女は独立していて、両親2人、長女とその子供3人、四女と8人で生活していました。
区入りできず、村八分状態だった丘崎誠人と家族は、月ヶ瀬村で掘っ立て小屋のようなボロボロの家に住んでいました。



区入りできないため、誰にも頼れない中、村の民生委員をしていた被害者の祖父が仲介して、家賃1万円程度でボロボロの家を借り、そこに住むことになりました。


ただ、現代の日本ではありえないほどのボロボロの家で、日当たりが悪くて、トタン屋根とベニヤ板の壁ですきま風が吹くような家でした。

また、下水道敷設の分担金が支払えなかったためにトイレはなく、風呂は薪で沸かすようなところだったそうです。

そんな家に住んでいて、生まれた時から差別を受けていたら、心がすさんでしまうのは当然のことかもしれません。
丘崎誠人が小学3年生の頃には、公民館の放火事件が起こりました。この放火の真相は分かっていませんが、村人が疑ったのが丘崎誠人でした。

そしてそれ以降、盗難事件などの何かトラブルが起こると、丘崎誠人は真っ先に疑われるようになったそうです。

近所の親たちも子供に、丘崎誠人と「一緒に遊ぶな」「近づくな」と言うようになり、子供ながらに丘崎誠人は孤立していきます。

さらに朝鮮とのハーフだったことから、「チョーセン」と馬鹿にされることもありました。母親が文盲だったことで、教師から差別を受けたこともあったようです。

中学生になると不登校になり、友達もおらず、中学の卒業証書は破って燃やしてしまったそうです。
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大乱闘動画
https://youtu.be/_Gyxdy8NYjA