買いたいモノがない?
しかし、キモはそのことではない。そもそも、お金をもらっても消費しないで貯蓄する人が多いのだ。給付金だけでなく、ボーナスの主な使い先は貯蓄だし、前回の特別定額給付金もそれに多く回ったと言われている。現金ではダメでクーポンならいいという話ではなく、われわれに「お金を出して買いたいモノ」がないのが、根本の問題でないのか。消費したくなる「モノ」「感情」をかきたてないと、いくらお金をバラまいても無意味ではないかと考えるわけだ。いったい、われわれは何が欲しいのだろうか?
筆者はバブルの大量消費時代もかろうじて覚えがあるので、逆にZ世代やミレニアム世代に会うと、「何にお金を使っているのか」と必ず聞く。最も多く返ってくるのは「さあ……?」と首をひねる反応だ。
使っていないわけではない。コロナ禍で激減はしたが、その前は友人との飲食や他愛のない買い物をしたり、今なら動画の配信サービスやマンガや雑誌の読み放題アプリなど月額課金にも使っている。しかし、「お金があったらこれが欲しい」という実態のある「モノ」の名前はあまり出てこない。「不動産が欲しい」という若者は割といるが、それは所有というより投資目的や老後の備えとしてだ。「所有すること=豊かである」と感じない人が増えていく日本で、お金を渡しても経済効果、ましてや経済成長はあるのだろうか。
お金をもらっても「欲しいものがない」のが問題
内閣府によると、今回の10万円の給付金は「新型コロナウイルス感染症が長期化しその影響がさまざまな人々に及ぶ中、子育て世帯については、わが国の子どもたちを力強く支援し、その未来を拓く観点から……」支給するそうだ。
たとえば子どものために使うとして、彼らが欲しいものはなんだろうか。リサーチ会社インテージが昨年行った「コロナ禍で過ごすクリスマス」に関する調査では、子どもへのプレゼントで最も多かったのは「ゲーム」で約35%を占める。こちらも、所有というよりは体験消費にあたるだろう。
今では誰も口にしないが、岸田内閣発足当時に「令和版所得倍増計画」というキャッチが躍った。本家は言わずもがな、昭和の高度成長時代に池田勇人内閣が打ち出したもの。当時は、3C(カラーテレビ、クーラー、カー)などが生活を豊かにする新・三種の神器と呼ばれ、国民はそれを買える生活に憧れた。皆が持っていなかったし、欲しかったからだ。
しかし、億ションやプライベートジェットといった富裕層ステイタスは別として、「これがあれば、より豊かな生活」を感じさせるような商品は今やない。俯瞰で見れば、一定レベルの豊かさが行き渡ってしまったからだ。「欲しいものは?」にすぐに答えが返ってこない時代にいくらお金をバラまいても貯蓄に回るのは当たり前だろう。
https://toyokeizai.net/articles/-/500524