バブル経済の崩壊直後で、まだ日本の経済力が強かった1990年当時、意外と日本も米国に言いたいことを言っていたという意味で、よく似た歴史的事実をもう一つ紹介しておこう。
イラクによるクウェート侵攻によって湾岸危機が起きた翌月の9月、ニューヨークで開かれた日米首脳会談(2回目の日米首脳会談)での出来事である。
パパ・ブッシュは海部総理に「シカゴなどで石油価格を投機で引き上げを図る動きがある。90年第4四半期には石油不足が見込まれるので、(米国は原油の国家備蓄を)取り崩すことにした。日本の同調を直ちに求めているのではないが、(当時の西ドイツの)コール首相にも同様の説明をする予定だ」と述べた。
「直ちには求めない」と言いながらも、実際のところは、パパ・ブッシュは「緊密な連絡を維持し、可能な限り協調行動をとり、必要に応じ備蓄の一部を共同して取り崩すことができれば、投機を行う者に強いメッセージを送ることができよう」と言葉を続けており、遠回しながら、海部総理に協調放出を促す意図は明らかだった。
これに対して、海部総理の答えは素っ気ないものだった。
「日本では国家備蓄石油の放出は、海外からの供給減や災害で不足の恐れがある時に限られている」「現時点では政府による(国家)備蓄取り崩しは国民の心理的パニックを招くので行わず、石油価格の上昇は中東で危機が発生した以上当然のこととして国民を説得していく考えだ」「(湾岸)危機がわが国の石油需給に影響を与えることは当然で、今後量の不足が発生すれば別だが、当面は備蓄取り崩しは行わない」とゼロ回答をしたのである。
翌年、湾岸戦争が落ち着いてから、日本は原油の備蓄を4日分放出したものの、この時の放出対象は民間分だけで、最後まで国家備蓄を対象にすることはなかった。https://news.yahoo.co.jp/articles/ed1ed0e6606b8995e0cbd3d49d314bcfc73c180e?page=2