【悲報】日本社会、「万全の万人に対する闘争」へ。自然状態へと回帰!【自己責任】 [597635614]
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万人の万人に対する闘争
「万人の万人に対する闘争」(ばんにんのばんにんにたいするとうそう、羅: bellum omnium contra omnes, 英: the war of all against all)とは、トマス・ホッブズが1642年の『市民論』(De Cive)、及び1651年の『リヴァイアサン』(Leviathan)での思考実験において、彼が考える自然状態における人間の有様を表すために持ち出した表現を言う[1]。
「万人の万人に対する戦い(闘い)」、「万人の万人に対する戦争」などとも訳される。
詳細
主著として有名な『リヴァイアサン』で書かれたフレーズと勘違いしている者も多い[要出典]が、ラテン語による「bellum omnium contra omnes」のフレーズ自体は、ラテン語で書かれた前著『市民論』(De Cive)内で用いられたものである[2]。
Ostendo primo conditionem hominum extra societatem civilem (quam conditionem appellare liceat statum naturae) aliam non esse quam bellum omnium contra omnes; atque in eo bello jus esse omnibus in omnia.
(英語訳: I show in the first place that the state of men without civil society (which state may be called the state of nature) is nothing but a war of all against all; and that in that war, all have a right to all things.)
(日本語訳: 私がまず最初に示したことは、市民社会無き人間の状態(それは自然状態と呼ばれるべきかもしれないが)は「万人の万人に対する闘争」でしかなく、その闘争においては、万人が全てについての権利を有するということである。)
『リヴァイアサン』においては、意味としては変わらないが、
...such a war as is of every man against every man. (日本語訳: 全ての人間の全ての人間に対するかのような闘争)
といった表現で記述されている[3]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%B8%87%E4%BA%BA%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E9%97%98%E4%BA%89
自然状態
自然状態(しぜんじょうたい、英: state of nature)とは、政治哲学上の用語としては、政治体を構成する以前の人間たちがどういう状態にあるのかを、仮想的に表現したもの。逆に政治体を構成している人間達は「社会状態」に入ったなどと言われる。以下は政治哲学におけるものに絞った解説である。
自然状態と社会契約説
「自然状態」は、17〜18世紀のヨーロッパにおいて、社会契約説を成り立たせるための理論的仮想として政治哲学者達が案出した。代表的な論者にトマス・ホッブズ、ジョン・ロック、ジャン=ジャック・ルソー等がある。社会契約説は今ある政治体が人民を支配する根拠付けとして、人民自らが契約して政治体を作ったからとするもので、必ずしも政治体の発生史を正確に跡付けている保証はないが、政治体の存在を当たり前のこととせず、人民が省察して良いのだと転換したことに大きな意義がある。この社会契約説が当代または後代、ヨーロッパの市民革命の理論的基礎となったのである。
自然状態をどう見るかによって次節のように以後の議論が分かれるが、いずれも自然状態を、それだけで完全に自足的かつ持続可能な状態とは考え得ないことで共通している。であればこそ、わざわざ無限の自由を捨てて、人間は社会契約を結び、政治に縛られる社会状態へと入るという選択を余儀なくされるのである。
政治体の存在根拠を求めて自然状態論に行き着いた彼らは、思想史的に考えれば、当時猛威を振るっていた「王権神授説」に対抗するために、極めて慎重な議論の歩みを進めたと評価できる。王権神授説が聖書を根拠にする以上、それを凌駕する緻密さが必要とされたのである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%8A%B6%E6%85%8B
終わりだよこの社会 ジョーカーするのも自己責任
ジョーカーされるのも自己責任 こういうスレが伸びずクソみたいなスレばかり勢いで伸びる
嫌儲も終わりだ
https://i.imgur.com/ouc3oHg.jpg ヒュームの共感の原理に拠れば社会契約説など存在せず共感によって道徳が作られる
今回の事件は共感性の欠如 高速値上げ 給料据え置き 物価上昇
地震より物流止まるのが先 >>9
忖度社会、同調圧力社会でそれは違うんじゃないか?
単純にモラル崩壊してたんだよ 痛い目見ないと分からないんだろうからどんどん進もう 自己責任論者は「自分だけは例外」にしがち
自己責任を追求するのであれば例外は許されない
スレタイ間違ってたわ
「万全の万人に対する闘争」ってなんだ
「万人の万人に対する闘争」です
自己責任で修正します 末法の世きたる
恐ろしいことに世の中は混沌と殺戮にあふれています。
ちょうど仏が亡くなりX000年経っており末法の世になったと市中ではうわさされております。
やれることはなにもない
気の持ちようだ 自己責任論者の中学生の万能感みたいなのほんと頭悪くて気持ち悪い >わざわざ無限の自由を捨てて、人間は社会契約を結び、政治に縛られる社会状態へと入るという選択
無限の自由を求める新自由主義者=自己責任論者は自然状態への後退を狙う市民社会の敵ということだな >>17
その万能感はやはり「自分だけは例外」と思ってるから故なのだろう まあ世の中の大半が社会保障や福祉で得られる利益を理解出来ないから仕方ない
自己責任論展開しつつここは治安いい国だと唱え続けるだろう 社会に対する攻撃をなくすには
人生における致命的な失敗をそもそも発生しない・あるいは救済が機能する社会にする
もしくは
市民”自ら”が「この失敗は自分の責任だ」と認識するようにしなければならない
しかし現状は社会が市民に対して「自己責任だ!社会は悪くない!」と押し付け続けている
これでは社会契約が崩壊し、ジョーカーが生まれるのも当然である 「一人で死ね」「自己責任」を唱え続けることによって社会が良くなるだとかジョーカーが減るなんて考えている人間がいるのならそれこそ平和ボケの極みだ つまり北斗の拳の世界ってこと?
核の炎なしでそこまでいけるとかジャップ誇らしい 自己責任じゃない社会ではジョーカーみたいなのって一切出ないのかね >>25
快楽殺人犯のような例外を除けば自己責任社会よりは間違いなく生まれにくい環境だ
育児放棄せずきちんと面倒を見てくれた家族を殺そうとは思わないだろう? 貧乏な家に生まれた子供は「貧乏に生まれる事を選んでそうした」のだから自己責任
岸家に生まれて何不自由なく育った子供は「努力してそこを選んだ」のだから優遇されて当たり前
生まれた直後に死んだ赤ん坊は「前世のカルマのせいでそうなった」のだから自己責任
安倍界隈とか竹田さんの主張だし五輪で話題になったカルトの教祖もこう言ってました >>17
他人に優しさを求めるわりに本人は他人に対する優しさが無くてびっくりする 自己責任論で他者を切り捨てればそりゃ切り捨てられた側も切りかかるさ
お互い様 自己責任論者はルールを決める側に構造的に搾取されてる事に気付かない御目出度い人達( ・ω・) 言ってる人が玉川だからヤフコメ民も想像通りの反応だな キリスト教の偉大さは二千年前に悟って隣人愛と平等主義を説いた事なんだよな
人間が共同体を維持できるのは暴力性衝動を抑えてる事に加えてエゴイズムも抑えるからなんだよな
んで宗教の影響ある国は自然とエゴイズムを抑えて言動を選択する精神がどんな奴でも少しはあるんだけど日本育ちは基本的にそんな影響の染み込んだ土壌が無いからな
つまり性衝動を抑えることをしない環境で育ったから女を凌辱したりしても罪の意識も何も感じないそれが当たり前の感覚と思ってる連中がごとく他人の不幸で脳内麻薬を補充する事を浅ましく賤しいこととか思えないんだよな
だからこの国では煽りが蔓延しててそれが蓄積して風潮になって蔓延してる風潮に毒された人間が無駄に恥と絶望と屈辱を感じて先天的な性質から鬱か自殺かジョーカーになっていくんだよな ジョーカーが銃を持つからダメです
あとネトウヨさんとか上級国民も銃で暴れてしまう キリストはスピリチュアルな側面は置いておいて共同体がしまいにはジャップみたいにならないようにする為に利他主義的と平等主義的な思想の大切さを民衆に説いたわけなんだよな
十字架にかけられたとしても 人間の本性は強烈なエゴイズムにある
つまり他人は基本的に敵であるという感覚だ
自分の利益だけを考えたらほぼ全ての人間は敵になる
当然敵には破滅と不幸しか望まないわけだからそんな感覚で生きてると言動もそれ相応な物になるわけで日本人という他人の不幸を生きがいにする嫉妬深い生き物ができるわけだ
んでこんな奴らばかりだと共同体が瓦解する
そして人間は共同体無くして生きていけるほど個体的には強い存在ではない
故に絶滅は避けられない
だからそんなのを見越してキリスト教イスラム教なんかが隣人愛と弱者救済と神の前に皆等しい人間であるという思想を説いて共同体の瓦解阻止と持続可能な個人個人の幸福を達成しよと努力したのにね
日本人は人間がどれだけ単体だと弱い生き物か理解できてないんじゃねえか?
利便さに甘やかされた連中だからさ >>5
文明末期の魔界村猿🐵ジャップゴイムランド牧場動物園カルトウヨ大魔界帝国からの…、ネトウヨ『嫌なら来るな❗嫌なら出ていけ❗嫌ならサイコキネシス発動による国籍透視&在日認定❗嫌でもすべて自己責任❗都合がわるくなると村八分&国八分にして非国民認定からの焼き討ちしぐさ❗』
helljapan👿👁です❗
クソワラタ❗\(^o^)/(笑) 市民社会を否定し自然状態を目指す
新自由主義者や自己責任論者というのはそういう意味でジョーカー以上の社会の敵なのかもしれない >>17
やたら不快なのはあの世間知らず感が原因なんだよね 負荷や満たされなさが緩和されないことを仕方がないと言うなら
それによって生じる暴力も仕方がないという話になる
でもその暴力がガチ上級に刺さらないと何も変わらない >>9
自己責任、一人で死ねって共感性が欠如してないと言えないだろ
自分の身に置き換えること無ければ自分もそうなるかもって危機意識もない 連帯責任を捨ててしまった社会じゃ死にたくもなるだろうな。一人を責め立てるのやめようよ。エヴァンゲリオンのシンジじゃないんだから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています