八甲田山で起こった悲惨な遭難事件
1902年(明治35年)1月23日、青森県の八甲田山にて、雪中行軍の演習が
行われた。
対象になったのは日本陸軍第八師団青森歩兵第五連隊。来るロシアとの
戦いに備え、厳寒地での行動に慣れるための訓練として始まったこの演習は、
予想外の大惨事を引き起こすことになった。
今から100年以上前に起きたこの「八甲田雪中行軍遭難事件」と呼ばれる
事件は、今でも映画や文学の題材となり、よく知られているところだ。
今回はこの事件そのものや、事件が与えた影響を追った丸山泰明氏の著書
『凍える帝国』を参考に、改めて事件の概要を記してみよう。
1月23日の朝6時半、歩兵第五連隊210名は穏やかな天候の下、青森連隊駐屯地を
出発した。しかし天候は次第に悪化し、昼食の握り飯が凍り付いて食えない
程の吹雪となった。この時、既に帰営するという意見もあったが、
歩兵第五連隊は前進を選び、先の見えない雪景色の中を進んでいった。
しかし午後8時頃には既に露営地として設定していた田代の温泉宿に
辿り着くことは不可能と判断され、露営が命じられる。しかし雪濠を
作ろうにも2メートル以上掘り続けても土が見えず、仕方なく雪の上で
炊事を行うと火が雪を溶かし、うまくいかない。気温は氷点下20度を下回り、
酒も凍り付き、兵士たちは凍死を防ぐためにほとんど仮眠もとらずにいた。
この時、大隊長であった山口少佐が部下の神成大尉に帰営を命じたが、
時は翌24日の午前1時で、まだ日が昇る時間ではなかった。午前2時半、
雪中行軍隊はその暗闇の中を出発するも、すぐに進むべき道が
分からなくなる。しかし彼らは帰路を求めひたすら進んだ。
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