1944(昭和19)年の1月19日は、旧日本海軍の航空母艦「葛城」が進水した日です。
完成した海軍の空母としては、この「葛城」が最後の艦になります。
1942(昭和17)年6月のミッドウェー海戦で主力空母を4隻失った日本は、中型空母の建造を急ぎます。
こうした経緯で生まれた雲龍型は10隻あまりの建造が計画されたものの、3番艦「葛城」を最後に戦局の悪化などから完成することなく終戦を迎えています。
「葛城」は1944年10月15日に広島県の呉海軍工廠で竣工します。
しかし前出の通り、当時すでに戦局は悪化の一途を辿っており、またそもそも搭載する艦載機や燃料も十分にありませんでした。
そのため、「葛城」は空母としての任務に就けないまま、呉で待機を続けます。
そのようななか1945(昭和20)年3月、母港の呉にアメリカ空母から発進した艦載機が来襲し、そこにいた「葛城」も標的になります。
被弾した「葛城」は呉の南にある三ツ子島へ疎開。
艦を島に偽装して留め置かれます。
その後、7月末にも空襲を受けますが、同じように出撃できず軍港に留め置かれた戦艦などが撃沈されるなか、「葛城」の損害は比較的軽微でした。
そのため、8月に終戦を迎えると、以降は復員兵の輸送船として活用されました。
格納庫や飛行甲板を持つ空母は、多くの人員を収容するのにうってつけだったからです。
艦載機を搭載し、敵艦隊を攻撃するため外洋へ進出する――しかし「葛城」には、その機会は最後まで訪れませんでした。
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