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【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」】甲子園に届かなかった鹿児島実高時代。冬の朝練、雪の上で上半身裸の腹筋もした。厳しい練習があったから、つらいことも乗り越えられる

 初めまして、横田慎太郎です。1月から1年間、「くじけない」と題し、僕からのいろいろなメッセージをコラムで届けたいと思います。子どもが大好きなので、とても楽しみにしています。

 まずは、自分の大部分を占める野球について書きたいと思います。プロ野球選手だった父に憧れ、鹿児島県日置市の湯田小学校3年だった時、ソフトボールを始めました。湯田ソフトボールスポーツ少年団の山田栄一監督(故人)からは、ソフトボールの基礎だけでなく、礼儀作法も教わりました。元気な声でのあいさつや、練習を手伝ってくれる保護者にしっかりとお礼を言うなど、厳しく指導されました。この時、教えられたことは、大人になった今も自分の基礎になっていると思います。

 東市来中学校(日置市)の野球部では、全国大会に出場しました。この時、横浜スタジアム(横浜市)で試合をしたことで、小さなころからの夢、プロ野球選手になりたいという気持ちがさらに高まりました。

 進学した鹿児島実業高校では、想像を超える厳しい練習をしました。冬の朝練習で、上半身裸のまま雪の上で腹筋をしたことは今も忘れられません。その厳しい練習があったので、どんなつらいことも乗り越えられる不撓不屈の精神を鍛えることができました。

 1年から4番を任されましたが、県大会の決勝までは行くのに、一度も甲子園には手が届きませんでした。この時の悔しさは今でもはっきり覚えています。しかし、次はプロになって甲子園で活躍するという目標ができました。

 3年のドラフト会議でまさかの2巡目で阪神タイガースに指名された時は、プロの夢がかなったと同時に憧れの甲子園でプレーができることがとてもうれしかったです。憧れのプロ野球に入った後のことは、来月、詳しく書こうと思います。

 こつこつと続けることで、夢に近づくことができたと思います。小さな目標を立てて、それを達成するために、こつこつと練習を重ねてきました。それは小学3年から高校、プロになっても変わりませんでした。

 みなさんも、何か小さい目標を持ってください。目標から逃げずに少しずつ少しずつ前に進んでみてください。