江戸時代の大関 雷電 実在の人物だった [682717512]
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碓氷峠で大名行列に遭遇して
道を譲ろうにもすれ違えないことに気付いて
馬と荷台を担いですれ違える空間を作り出し
大名行列に道を譲った
というキチガイ 把瑠都とほぼ同じ身長体重だったらしいな
そりゃ江戸時代なら無敵だわ 彼が横綱になったら誰も勝てないから
新たに横綱が生まれることがないので辞退した 本名:関 太郎吉
四股名:雷電 爲右エ門
出身地:長野県
入門:15歳
初優勝:21歳
身長:197cm
体重:169kg
幕内在位:70場所
優勝回数:28回
最高位:大関
戦績:254勝10負2引き分け
勝率.962
43歳で引退
59歳で死去 >>17
当時の最高位が大関
横綱の位が無かった時代だってさ >>17
10回負けてるのも興味深いが引き分けってのも気になる
相撲に引き分けってあったのか >>30
ベイダーよりでかいしさほど太ってないのに195s 横綱ではなかったけど、
富岡八幡宮にある「横綱力士碑」には
雷電が特別扱いで「無類力士」として
横綱と並んで名前が刻まれている デカい力士は早死にのイメージあると思ったらブラックジャックのせいだった >>21
今でも同体取り直しあるだろ
引分を記録するかしないかの違いだが今も引分自体は存在している 墓は千葉にあったり場所わからないんだっけ
いわゆる興行師みたいな感じだったのかね 「全力で顔面突っ張ったら相手の首がベキッて折れて死んだので、以後突っ張りは禁じ手に」とか
「フルパワーでカンヌキ極めたら相手の両腕ボキボキに折れて再起不能になったので、以後カンヌキも禁じ手に」とか
そのへんの逸話の類は流石に大幅に盛ってるとは思うが
伝えられる体格的には巨人症なら別に当時でもあり得ないレベルでも何でもないし
平均身長150台で、力士でも多分170そこそこぐらいが関の山ぐらいの世界に
一人だけ190超えの動ける巨人が迷い込んだら
まぁそら無双はするわね、って感じではある >>15
試合相手を死なせちゃったからじゃなかったっけ? 道の駅に手形とかあったなぁ
デカすぎてなんか生き物として別種な気がしたよ >>30
この人、親父というか養父がサイコパスで中々悲惨な感じなのよな >>44
休場中にプロ野球観に行ってたのがばれてクビだっけ >>15
横綱というのが出来たの最近じゃなかったか
それまでは大関が最高位 YMOの曲と聖飢魔IIのドラマーしか思い浮かばない >>53
雷電の時代には横綱の制度は既にあった
なれなかった理由は諸説あり、どれも憶測の域を出ないが >>53
江戸の土俵に出られなかったことが多かったからではないでしょうか。
松江藩に雇われていたのでしばしば松江藩まで来いと言われ、
江戸での巡業を断念。
就職先を間違えてはいけないということですね。 昔の競馬も僅差だと引き分けにして何回も走らせてたらしいからな
デッドヒートっていうのはそのヒートはデッド、死にゲームでカウントしないって意味があるだったらしい 雷電くるみの里っていう道の駅に手形とか飾ってあるよな
超デカい >>17
オレが子供の頃は生涯に4敗しかしなかったと言われてたが
10敗したことに訂正されたのか >>17
10回しか負けてないのに70場所で優勝28回っておかしくね? >>73
正確な出場は35場所
70は間違いだろう 横綱は試合の結果じゃなくて力士を後押しする各藩の力関係によって決まる神職みたいなもの 千葉県の妻の実家で死んだんだっけ
あんこ屋だか団子屋だか >>59
長野出身で松江藩なんだ
ずいぶん遠くで仕官したんだな 死因は今も不明なんだよな
脳梗塞だとかガンだとか
嫁さんとセックスしてる最中に心臓麻痺で死んだとか 昔って相撲自体不定期開催だったんだろ
大相撲ができたあとも年四場所しかなかったし
昔に比べて今の力士は酷使されすぎ まぁ巨人症かどうかはともかく
平均身長が低い時代だって、突然変異的に巨大になる人間は存在してるからな
当時の日本の人口を考えたら、デカい奴がいてもおかしくはない >>89
当時の浮世絵が残ってるがジャイアント馬場みたいな顔 >>94
バスケットボールやってれば無敵じゃねえかw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています