「友達」について考えるとき、僕の頭にいつも浮かんでくる記憶があるのです。
小学校5年で、人口30万人くらいの中国地方の街から九州の地方都市に引っ越した僕は、九州でけっこう酷い目にあっていました。
「言葉が違う」と同級生からは白眼視され、それに対して「こんな田舎なんて……」と、
たいした都会ではないのに、前に住んでいた街と比較して、バカにするような言葉ばかり吐いていたのです。

そんなの、嫌われて当然だ。
でも、当時の僕は、そこでとってつけたように方言を喋り出すのは屈辱だと思っていたし、
ここはずっと自分が居る場所ではないはずだ、と信じていたのです。

そんなある日、僕が4年生まで住んでいた街に、久しぶりに家族で行ってみることになりました。

僕はその日を心待ちにしていたのです。
小学校でずっと仲が良かった友達に会える、転校していった僕が連絡したら、みんな喜んで迎えてくれるだろう。

ところが、その街について、以前の友達に電話をしてみて、僕は現実を思い知らされました。

「帰ってきてくれたんだ!」と喜んでくれるはずの「親友」たちは、軒並み、めんどくさそうな声で、
「用事があって、会う時間がない」と僕に告げたのです。

僕は、あまりに自分の期待とは違う反応に、打ちのめされて、ひどく落ち込みました。
ああ、僕にはもう、帰る場所なんて無い。

とはいえ、せっかく帰ってきたのだから……と、僕はいろんな人に電話をかけ続けました。
会いたい友達から順番にかけていって、そのリストの最後に近いところくらいにいたのがO君だったのです。

O君は、突然の僕からの電話に「えっ、帰ってきたの?会う!うちに遊びにおいでよ!」と屈託なく誘ってくれました。

僕はそれまで、O君の家に遊びに行ったことは一度もなかったのだけれど、
彼の実家の中くらいのホテルの横をときどき通ってはいたので、場所は知っていたのです。
O君は、嬉しそうに僕を迎え、お母さんも「いらっしゃい!」と歓迎してくれて、紅茶にケーキまで出てきました。

ノストラダムスの大予言とかの当時流行りのオカルトの話をしたり、ボードゲームで遊んだり、
これまで2人きりで遊んだことなどなかったはずなのに、なんだかとても楽しい時間だったのを覚えています。

O君は、クラスのなかでは「いじめっ子」に属している、と僕は思っていて、どちらかというと敬遠していたのに。
借りた本を引っ越し先まで持っていってしまったことを謝ったら
「あの本、けっこう面白かったけど、そんなものはどうでもいいんだよ。また会えて嬉しいよ」
と、言ってくれたのが忘れられません。
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