【謎】なぜ、「夏の日の田舎、誰もいないバス停」にはセットで「麦わら帽子を被った白ワンピースのお姉さん」が思い浮かぶのか [706488531]
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>>2
尺八様知らんとか新参はROMってろ ババアしか浮かばんわ
キモオタはすぐ主語をデカくする ワンピースのお姉さんはわからんが
存在しない日本の原風景みたいなのはある気がする 沢田聖子ちゃんのミモザの下でのイメージ
まあイルカの歌だし太田裕美も歌ってるんだけどね アニメの金田一少年のエンディングでまんまその田舎のバス停にたたずむ白いワンピースのお姉さんがいたな。カスケードが歌ってるやつ
美雪かと思ったけど、違うっぽいしあれ誰だったんだろう サナトリウム文学の影響というか残滓だな
軽井沢周辺が大衆化した結果だれもみたことないし存在しないけど懐かしいという幻影としてだけ残った 夏、田舎、蝉の声、白いワンピース、麦わら帽子、佇む少女、スイカ、綿花畑、南軍旗 古くはドラえもんの原作に
のび太の父親が疎開先の田舎で百合の花を持った黒髪長髪で白いワンピースの少女に出会ったというシチュエーションが出てくる
それ自体が何かのパロディっぼい感じもするから、原点はもっと昔かもしれないけど 少女にして
お姉さんはホウボウだろ白ワンピ似合わん >>19
あの話は思い出は美しいままにとして写真を破いているけれど、のび太はお母さん似なので、別に見せてもよかったような気がする。 手足がスラっとしてないとだめ 大根足とかじゃだめなんだ。 何度も類似スレ立ってるだろ
田舎でひと夏の(悲)恋の原型はゲーテの「若きウェルテルの悩み」
ロマン派文学の描くこうした夏の情景は、ゴールズワージーの「林檎の樹」にて完成にいたる
日本ではこの「林檎の樹」に着想を得たのが川端康成の「伊豆の踊り子」であり、
この川端の軽井沢の別荘に身を寄せて堀辰雄が書いたのがサナトリウム文学として名高い「風立ちぬ」
要するに文学ではロマン派から新感覚派、
絵画では自然主義から印象派にいたる流れの中で、繰り返し描かれてきたビジョンであって、
共通意識もへったくれもなく、文学絵画が歴史的にもたらしてきたビジョンだよ
エロゲやアニメはその応用 実際にいたら帰省や旅行者の身なりでないにも関わらず車のツテがないという時点で
田舎じゃかなりヤバそうな部類だろうがなあ 夏、田舎、蝉の声、白いワンピース、麦わら帽子、佇む少女、黒人兵士、ナパームの匂い、イロコイヘリ ランニングシャツで虫かご持って麦わら帽子被った磯野カツオみたいな少年と貧相にしたワカメみたいな妹が笑いながら走り去っていくのをイメージするが 田舎特有の獣臭と真夏の入道雲と運動部のボーイッシュ美少女 普通は褐色の肌で白い歯と白いタンクトップのガチムキお兄さんが思い浮かぶだろ シルバーカーとBBAしか浮かんでこない
嫌だ、こんな貧相な感性 >>35
美雪以外いないわなw知らんけどw
いや速水玲香か?知らんけど >>15
なんだこりゃ
よくこんな話描けるな
才能あんのにロリコンに拘るのはなんでやねん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています