石原慎太郎「やりたいことをやって人から憎まれて死にたい(ドヤァ!」→「やっぱり人から愛されて死にたいね」 [377482965]
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「人から愛されて死にたいね」89歳で死去 石原慎太郎元都知事の歩み(TBS系(JNN))
https://news.yahoo.co.jp/articles/234c67a2f23f617874c0776a55afb6b77afcb7d2
(前略
2014年の総選挙で落選すると政界引退を表明しました。
「(心残りは)憲法の一字も変わらなかったこと。死ぬまでは言いたいことを言って、やりたいことをやって人から憎まれて死にたい」
ただ、翌年の春に旭日大綬章を受章した際には、こんな本音もこぼしました。
「人から愛されて死にたいね」
歯に衣着せぬ「慎太郎節」をもう聞くことはありません。(01日14:14) 片寄ったからこそ対岸の良さがみえてくる
そんなことを繰り返して生きてきたんだろう
あげ > 歯に衣着せぬ「慎太郎節」をもう聞くことはありません。
醜い考えや汚い言葉を発することが美徳の一種であるかのように言うなよ 良かったな憎まれて死んでいったぞ
バカみたいな金使ってゴミのような国辱オリンピック開催しやがったんだからな
伍子胥のように墓暴いて切り刻むやつが出るレベルだぞ ただの辛口差別野郎ならまだ弔いの念も湧くがこいつは政治家として私利私欲に走って国を巻き込んでメチャクチャにしたクソ野郎だからな
死んでチャラにするのは後世のためにもダメなこと >>5
所詮は慎太郎の「毒舌」など「こういう放言は常に一定数の大衆にはウケる」と計算
尽くでやってただけだもんね。
故立川談志や筒井康隆や今の『そこまで言って委員会』に出てるような人たちと同じ。
だから「人から愛されて死にたいね」は本音。
所詮は予定調和で何の面白みもないルーティンでしかなかった。
西部邁とかもそうだったね。晩年は中島岳志あたりがやたら持ち上げてたけど。
この程度の「馬鹿」が大きな顔が出来た日本の文壇・論壇・政界の薄っぺらさよね。
文藝春秋なんか何かとチヤホヤして芥川賞の選考委員までやらせてたもんな。
いろいろ悪口を考えてたけど今は虚しさの方が大きい。
生涯に渡り目立ちたいだけの馬鹿という以外には何もない人物をみんなでチヤホヤして
都知事にまでして、、本当、日本って上から下まで薄っぺらい。
ちなみに素の慎太郎じしんはずっと「文学青年」のままだったと思ってるよ。
この人、たまに談話などで語りに入ると小難し気な文学書や哲学書の名前がスラスラ
出てくる。少なくとも若い頃は相当な読書家だった。
但し作家・文化人・政治家として成功して多忙になるとロクに本など読んでなかったと
思うが、若い頃は凄かった。
要するに故山本夏彦や筒井康隆と同じ人種。
ブンガク青年・サブカル教養青年がその観念馬鹿のまま加齢してしまい、結果的に
(なぜか)凡庸な大衆の俗情と結託してしまう。
今だと東浩紀や山形浩生などもこのパターンかな?
内心では「オレは大衆じゃない」と思いたかった知識層がなぜか何時の間にか当の
「大衆」の俗情と結託する、、こういう皮肉な構図はままある。 リベラルは「知性」「読書」「教養」「学歴」に幻想を持っているが、実のところは
いっけん「教養ある」者こそが「大衆的」に振る舞っている、、よくある話です。
呉智英などもそうだったし、最近だと萱野稔人や三浦瑠麗もそうだね。
いま『そこまで言って委員会』に出ている人たちも殆どは有名大ぐらいは出ている。
辛坊治郎だって早大だし、野村明大は灘⇒東大の「エリート」ですから。
石原慎太郎だって一橋程度は出ているわけですからね。
ま、ブンガクや読書や教養や学歴に大して期待はするなって事です\(^o^)/オワタ
慎太郎が故西村潔の友人だったとか、確か篠田正浩とも友人だった(んだっけ?)とか、
映画界などとの関わりとか、、もう分かる人も余りいないでしょうね。
まあ自分もそんなに詳しいわけでもないし。
若い頃は太陽族アナーキーぶってて映画など芸能とも関わりがあって、それで途中からはタカ派、、
要するに慎太郎のタカ派言説など若い頃からの一貫した「目立ちたがり」ナルシズムの
延長上にあるものでしかなかったということ。
根底にあるのはもちろん弟(裕次郎)への対抗意識、、自分も昔は映画俳優ごっこを
やっていた慎太郎、、ただのナルシズム馬鹿が死んだだけ\(^o^)/オワタ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています