有識者、正論 「もともと日本に“個人主義”の概念は存在しない。個人主義の呪縛から脱却せよ」 [701470346]
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【正論】
もともと日本に存在しなかった「個人主義」の呪縛から脱出せよ 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫
柳父(やなぶ)章氏の『翻訳語成立事情』は小著ながら圧巻である。
そこには、個人、社会、近代、自由等々の西洋起源の観念をいかにして日本語に移し替えるかに試行錯誤を重ねた福澤諭吉や中村正直など、
往時の知識人の苦闘が鮮やかに描き出されている。
日本には存在しなかった観念
インディビデュアル(individual)は現在ではごく普通に「個人」として使われているが、この言葉が導入された頃の日本にはそういう観念は存在しなかった。
神や社会に対する究極的な単位として、それ以上は細分化できない唯一の存在といった意味での個人が、かつての日本になかったことは柳父氏のいう通りであろう。
当時、日本人は社会の「身分」として存在はしていても、個人としてではなかった。
いま社会といったが、これも後世の造語だという。今日使われているようなソサイエティ(society)の
訳語である「社会」に対応する現実は往時の日本にはなかった。
存在したのは家とか藩とか邦といった集団における身分であった。
個人を構成単位とする人間関係を社会だとする考えは、柳父氏によれば、むしろこの訳語が成立して以降のことらしい。
個人についていえば、福澤がまずは「人」、次いで「独一個人」と訳し、その後、独が落ちて「一個人」、さらに一が落ちて「個人」になったと柳父氏は追跡する。
また社会については、中村正直が同じ目的をもった人々の集まりという意味をこめて「会社」と訳したという。
実際、福澤、中村ら当時の代表的知識人が集った西洋思想啓蒙の場が明六「社」であった。
そういう社の集まりが「会」であり、社会となったというのが柳父氏の究明である。
個人は身分に、社会は世間に対比されて、それぞれ前者の方が後者よりも高い価値をもつ観念であるかのように受け取られてきた。
個人や社会という現実の有無にかかわらず、その言葉自体が自己運動を展開してきたと柳父氏は主張したかったのであろう。
俎上に載せるべき13条と24条
言葉が「人間の道具として使いこなされているのではなく、逆に、何らかの意味でことばが人間を支配している」と氏はいう。
「個人主義」や「社会主義」ともなれば、これはもう思考の専制と支配そのものだというべきであろう。
社会主義の方は冷戦崩壊とともに人々を惹きつける魅力はすっかりうせてしまったが、個人主義の方は衰えるどころか、むしろ強化されつつあるかにみえる。
https://yahoo.co.jp/csnbxj
はい
(略)
焦点は第9条のみ、それ以外には論じるべき条項がないかのような様相である。
第9条問題が喫緊のテーマであることに異論があるはずもないが、同時に議論の俎上に載せねばならないのは第13条と第24条である。
前者は「すべて国民は、個人として尊重される」であり、後者は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するとある。
第13条は個人至上主義そのものであり、第24条は独立した個人から構成されるものが夫婦であるというのみ、
これが共同体の基層をなす家族の形成主体だという観念を少しも呼び覚ましてはくれない。
(略)
国家の命運は家族の再生だ
私は奉職する大学の日本近代史講義の冒頭でこう説く。
現世の自己の存在のみがすべてだなどと考えるのは不道徳である。諸君には父母がおり、祖父母、曽祖父母、祖先がある。
数世代を遡るだけでゆうに百人を超える血族があり、その内の一人が欠けても諸君はここには存在していないのだ。
諸君のもつさまざまな属性は遺伝子の情報伝達メカニズムを通じて血族から諸君に移し替えられている。それゆえ個人はすべて歴史的存在なのだ。
現世の個人は連綿とつづく血縁の中の一人の旅人である。死せる者のいうことにも耳を傾けながら現世を選び取るという感覚を呼び起こそうではないか−。
日本という国家の命運は、外敵からいかに身を守るかにかかっていると同時に、共同体の基層にある家族の再生をいかにして図るかにも委ねられている。
国人よ、まだ遅くはない、個人主義の呪縛から脱しようではないか。
https://www.sankei.com/article/20160503-HQJBI64LUVPLBHTHKPFJB6FYOY/ 日本には「過ぎたるは及ばざるが如し」という諺があるからね 無いから未来永劫要らないのか
なら人間は元々国家や法律など持ってなかったのだから
国家も法律も要らんという話になるぞ we must respect the will of the individual 拓殖大学は、台湾の開拓を実施するための人材を育成する教育機関として開校した[1]
(拓殖とは“未開の土地を開拓し、そこに移り住むこと”の意である)。
拓殖大学は、1900年(明治33年)6月に設立された台湾協会学校を起源とし、1904年に専門学校令準拠の台湾協会専門学校、1907年に東洋協会専門学校、1915年(大正4年)に東洋協会植民専門学校、1918年に拓殖大学と改称。
1922年に大学令準拠の東洋協会大学となり、1926年に拓殖大学と改称。戦前期を通じて植民地経営に資する人材を多く輩出した。
終戦の翌年(1946年)に紅陵大学と改称し[2]、連合国軍による占領統治終了後、旧称に戻した。
これ半分正論だろ ??「インドはカーストがあるからひどいよなぁ」
??「弱者は〇ね!自己責任努力不足!底辺の負け犬が!」
インディア「。。。」 日本人の思想なんて仏教とはまるで関係の無いキリスト教に根ざした西洋文化を
無理やり丸コピしただけのハリボテ社会やから中身スカスカなんよ 縄文時代にはなんもなかったろ
もともとないとか言って今の自民党独裁を正当化するな なら財産も資本主義も存在しなかったんだから捨てたら?
てめぇが原始人に戻ってからほざけ もともと猿に直立歩行の概念は存在しなかったんだから
余計なものは捨てて森に帰れよ >>4
>国家の命運は家族の再生だ
知らんけど江戸時代以前の日本には家族という概念も無かったんじゃないかね?
武士やある程度以上裕福な身分なら家や家族の継続というものにも意味はあっただろうけど
底辺の場合はおそらく子供が成人して独立したら家族そのものもバラバラになって終わりだったろう 最後のほうでやっと持論に持って行ってるけど
ぶっちゃけて赤紙が来てた頃の考え方をよく説けるなあと思う だからヒキコモリ歴38年の俺の将来の面倒は弟が見るべきなんだよ
弟には家庭があるなんて知らないよ
これぞ美しいニッポン 無かったかどうかはおいといて
もともと無かったものは、今後も有ってはならないと考える理由は何なの?w 大化の改新に始まる日本の租庸調制ですが
庸、調は人頭税
ムラでも社会でもなく
個人にかけられた税 漢字パクっといて漢字でお気持ち表明してよく言うよな えええ
日本は「価値観※を共有する国々」じゃなかったのぉ???
※バイデン大統領の演説とかだと
「バリュークリエイションシステム(価値観が社会的に決定されていく過程)が同じ国」
といっているのをなぜか日本の政府やメディアは「価値観」と置き換えている 主体思想かよw
目指すは北朝鮮か?
ジジイの世代と違ってちゃんと若者は民主主義について学んでるんだから余計なお世話だ
勝手に一人で人権放棄しとけ >>28
欧米諸国と民主主義の価値観を共有(してると海外に伝えた方が国益に適うからそうしてるだけ)w
って事だよねカルト右派保守勢力による自民与党政府の言ってる事は
そりゃ基本的人権の尊重は日本人の価値観に合わないから改憲とか堂々と言ってしまう議員も大勢居る訳で 日本以外においても個人主義の概念なんてないだろ。
端的に言えば人類誕生以来、他人が自分を支配することを許せるか否かという社会的な問いがあり
多くの人は支配されたくないという選択をしたから民主的な近代社会があるのであって
それを否定するってことは支配者に死ねと言われたら死ななくちゃならない社会ってことだ。
今さらそんな原始的な社会に生きるのは耐えられないだろ。 やっぱりジャップ土人ってちょっと気を抜くと権利には義務が伴うとか行き過ぎた人権とか平気で言い出すし
庶民自ら個を確立して公権力と対峙して自由を勝ち取るというプロセスを踏まないまま今まで来てしまったと言うなんちゃって民主主義国であって中世封建奴隷大国ジャップランドなんだよねつまり 「国家」も「共同体」も輸入した思想だろ
馬鹿すぎるジジイw 元々無いものは不要なら
家父長制も国体も天皇も不要だろ 他人騙して蹴落として儲けたものが正義の国
家族なんていらないし子供育てるなんて無駄
集められるだけ金集めて趣味で使って死んだら
会った事も無い親族に金が流れる人生が最高に幸せだもんな クソ保守の本音が分かって助かる
自民も憲法13条が憎くて仕方ないんだろ
「個人の尊厳」に対する憎悪がこいつらの本質w 反動主義者だって指さして笑うしかないけど
国民もなー… 日本人も個人主義が良かったけど、
貴族とか武士とか村社会とかが個人を抑圧して来ただけだろ
山でサバイバルしてた人なんか大昔から沢山いるわ つまり日本は近代国家になっていない封建社会だってことが言いたいのかな?
確かに日本は市民革命を経てないのでそういう捉え方はあるかもしれない。 コンビニ店員にギャオるだけの歪んだ個人主義が蔓延るだけ さあはやく日本の漫画と動画をパブリックドメインにする作業に戻るんだ はあ?
石原慎太郎ですら最初は個人の解放をテーマに小説書いてたんだが?
https://i.imgur.com/rwrlIqW.jpg >>23
これが気になる
個人主義を憎んでる人って何がそんなに憎いんだろう
元々なかったとしても悪くない考え方でしょう そう思う奴だけ竪穴でどんぐり食って暮らしてりゃいい
日本人は元々そうしていたのだから 拓殖は昔から右寄り大学だからな.. _φ(^ム^) 検閲が好きな奴はだいたい個人のプライバシーとか秘密とか陰謀を憎んでいる 日本という概念の中にある日本はもう歴史の中にしか残ってない
個人主義の中の日本が日本という概念に新しい日本を投影している
あなた達はその投影された日本を論じている 事大主義でファシズムの下地があるよな
ファシスト安倍政権が安定してたのもこのおかげ 「個人」って観念が西洋からの借り物の思想によるものだってのはその通りで
色々と問題起こしてるのは納得できるが
なら今から過去の伝統的な世界観に日本を変えようとしても
それは多分もっと大きな問題を起こすと思うわ なんだかよくわからんけどファミリーパックのアイスクリームばかり買ってる俺は典型的日本人ってことでいいかな 個人主義ってのはつまりエゴイズムの肯定で
エゴイズムの否定を語ってた伝統的宗教的世界観と対立するもの
で、エゴイズムを肯定した上でどうやって社会をつくってくかってのに西洋は色々工夫を続けてるけど
日本は単純にそれらを信仰するかのように輸入して自分たちで社会をつくる工夫を西洋のようにはしてないんでないかね 年上は偉いと年上本人が言ってしもたり
お客様は神様ですとお客さん自身が言ってしもたりするからな
上が調子乗ってもの言えぬ下の者をこき使う
そして失敗も当然のごとく下のものに押し付ける
まだ日本が豊かな国だと思ってる人は多いだろう
なぜなら負の部分を一定層に押し付けてその他の層は何の変哲もなく今まで通りに暮らすというシステムだから
さらには他人のことなどまったく興味ないという性質もそれにシンクロしてシナジー効果を発揮している もともと、この世・日本列島に、天皇教なんて無かった。 原オタクは共同体から離脱したマージナルな存在に到達したんだが
今のオタクは違うっぽい 欧米先進国の独立独歩かつ誰も俺の魂を犯すことはできないぜ、みたいな精神の自由っていう意味での個人主義と
ジャップの常に他人の顔色をうかがっている抑圧された奴隷だからこその、誰も俺の行動を正すことはできないぜ!っていう自分勝手なイキリ個人主義との違いは大きいよなw
劣等土人の奴隷バカジャップにかかると自由=人の迷惑を考えずに好き勝手にふるまうクズの様子ってことになっちゃうしw
だから自由なんて制限しろ!とかなってしまうセルフ北朝鮮の社会の奴隷ジャップには個人(individual)の概念なんて理解できるわけがないんだよねw
ジャップは社会の中での「身分」がなくなったらアイデンティティが崩壊して生きていけない奴隷民族だからww つまり全体主義になれということか?
ハシズムじゃん そりゃAlphabetだって輸入したわけだしJohann Sebastian BachやMichel PolnareffやPaul Austerを楽しむ研究するヒトだっている 社会主義こそ村社会ジャップに一番適した政治制度だったのに
それを否定して欧米化社会の思想を受け入れ続けてるんだからしょうがないわな
親米保守のジレンマがまさにここにある >>68
人権意識が低いまま社会設計主義を採用しても【村社会】にしかならんよ
公正さフェアであることを揚言できないレベルの年長者は広域統治の器量ではない >>69
馬鹿だな
社会主義に人権は要らんのだ
人権とは個人に与えられるものだからだ
社会主義に重要なのは個人の人権を尊重することではなく
集団の秩序を重んじることだ 国家は大切かも知れないが、そう朝から晩まで国家国家と云ってあたかも国家に取りつかれたような真似はとうてい我々にできる話でない。
常住坐臥国家の事以外を考えてならないという人はあるかも知れないが、そう間断なく一つ事を考えている人は事実あり得ない。
豆腐屋が豆腐を売ってあるくのは、けっして国家のために売って歩くのではない。
根本的の主意は自分の衣食の料を得るためである。
これと同じ事で、今日の午に私は飯を三杯たべた、晩にはそれを四杯に殖やしたというのも必ずしも国家のために増減したのではない。
正直に云えば胃の具合できめたのである。
肝心の当人はそんな事を考えて、国家のために飯を食わせられたり、
国家のために顔を洗わせられたり、また国家のために便所に行かせられたりしては大変である。
夏目漱石 私の個人主義
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html 家父長制、親学、反平等
もっと言えば天皇制や国体
保守派が保守してるのは大体これ
日本人の人権とか国民主権は、国体を破壊する反日的行為
エセ保守じゃないからな
本物の保守派が保守するのが国体だから勘違いするなよ 欧米列強に認められるには個人主義を受容することが要件
この有識者は日本は土人国に戻れといっている >>1
渡辺利夫
カルト宗教三五教のフロントである公益財団法人オイスカ会長 三五教は櫻井よしこやケント・ギルバートと一緒にリベラルなメディアを攻撃する新聞の意見広告にも名を連ねてたな
日本会議に加わってるカルトのひとつ 個人主義を広めたのはポストモダン的なリベラル知識人たちだよな
日本の村社会みたいな素朴な観念を破壊したまではよかったが
個の連帯で新しい倫理を作ることには失敗した
大衆の愚かさを見誤ったせいだよ >>78
日本に個人はいなかったからな
孤独な人が増えただけだったね >>79
哲学なき個人主義は
ニュータウン的なサカキバラをたくさん産んでしまっただけだと思うわ
氷河期世代は社会の犠牲者でもあるが
教養もなく根本的に思想がない豚しかいない ムラの為に励まんか、ムラを守るためにどげんかせんかと
(社会主義/全体主義的に)叫びながら
↓
そのムラの在り方・あるべき水準は誰が裁量もって規定・裁可するのん?と言えば
村長、シャーマン、猿山の猿王らの個人
そらヒロヒトやら安倍がポコポコ出てきて毎ッ回同じ様な腐り方するわ 西尾幹二「ヨーロッパの個人主義」にもこうある。
民主主義にせよ、平等の観念にせよ、自由の意識にせよ、いずれもそれを成り立たせている背景の
社会との関わりにおいてしか理解できないものである。
イギリスの民主主義はイギリス人自身の生活の"必要"から出てきた結果にすぎず、あるいは現在の
生活様式、行動様式の釣り合いのとれたある全体をさして民主主義といっているまでであって、
イギリスの現実から切り離されたらなんの実態もないものである。
しかし日本の場合には、これら近代理念はいずれも日本の現実に否定的に作用する未来の目標、
もしくは価値として外国から与えられる習慣が続いているため、頭の中にこの世にありもしない
勝手な空想図、ある意味ではお伽話的な理想の世界を描き出してきて、それが無意識のうちに
久しく日本人全体の世論を形成しているうちに、日本のほうがやがてある意味でははるかに進んだ意識、
現実とは釣り合わない観念上の「近代化」のみが急速に進められて、その行き過ぎに気がついて、
日本人がふと逆もどりしようとすると、こんどはそれがヨーロッパではもともと当たり前なことであったり、
ヨーロッパ人にとって単なる現実であることが、日本人には無理に意識しなければもはやなしえないこと
であったり、そういう倒錯と混迷の背理のすべてに犯されている心理を私は「抽象文化」と呼ぶのである。 江戸時代に朱子学イデオロギーでそういう奴隷を作ったんだろ
室町期なんか自主独立の気概爆発してるからな 中国や北朝鮮みたいな国みたいになろうってことだろ?
いつもの産経だよ なんでインターネット使ってんだよ、お前はスマホも禁止な 中国・北朝鮮・日本の全体主義三馬鹿トリオで、世界に立ち向かおうぜ 今の日本政府がなくなって新しい統治組織がいつかできるのに何言ってるんだこいつ 動機が利他的だったことにすれば統計改竄も許してしまうのがアンチ利己主義のダメなところ 中国みたいに一挙手一投足を管理監視される国より個人主義の方がいいに決まってる🤠 >>94
日本における個人主義がそうなったってことでしょ
その指摘自体は間違ってない
哲学も思想もない土人国なんだから
土着の素朴な宗教観や倫理観がなくなったらあとはもう拝金主義しか残らなかったのがエコノミーアニマルジャップ 欧米人のこうあってほしいステロタイプを真に受けるバカどもには個はなさそうだね >>82
それは日本に限ったわけじゃない
欧米なんかもっと突き放してて
成人すれば子供は家を放り出されるし、社会は個人の行動までは干渉しない
だからそこから溢れた連中は目的なく生きてたりヤク吸ってウサ晴らししてる
個人主義を受け入れるということは自身の孤独さも受け入れるということだから
そういうのに耐えられない人たちは一定数必ず出てくる
決して個人主義が万能ではない 個人は万能ではない
統計が万能ではなかった時の保険として役に立つだけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています