(略)
焦点は第9条のみ、それ以外には論じるべき条項がないかのような様相である。
第9条問題が喫緊のテーマであることに異論があるはずもないが、同時に議論の俎上に載せねばならないのは第13条と第24条である。
前者は「すべて国民は、個人として尊重される」であり、後者は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するとある。
第13条は個人至上主義そのものであり、第24条は独立した個人から構成されるものが夫婦であるというのみ、
これが共同体の基層をなす家族の形成主体だという観念を少しも呼び覚ましてはくれない。

(略)
国家の命運は家族の再生だ

私は奉職する大学の日本近代史講義の冒頭でこう説く。
現世の自己の存在のみがすべてだなどと考えるのは不道徳である。諸君には父母がおり、祖父母、曽祖父母、祖先がある。
数世代を遡るだけでゆうに百人を超える血族があり、その内の一人が欠けても諸君はここには存在していないのだ。
諸君のもつさまざまな属性は遺伝子の情報伝達メカニズムを通じて血族から諸君に移し替えられている。それゆえ個人はすべて歴史的存在なのだ。
現世の個人は連綿とつづく血縁の中の一人の旅人である。死せる者のいうことにも耳を傾けながら現世を選び取るという感覚を呼び起こそうではないか−。

日本という国家の命運は、外敵からいかに身を守るかにかかっていると同時に、共同体の基層にある家族の再生をいかにして図るかにも委ねられている。
国人よ、まだ遅くはない、個人主義の呪縛から脱しようではないか。

https://www.sankei.com/article/20160503-HQJBI64LUVPLBHTHKPFJB6FYOY/