石原慎太郎「まさに日本が転換期にあった昭和30年代を飾ったのは私と弟(裕次郎)ですよ」 [163661708]
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私は一橋大学の学生だった1955年(昭和30年)に「太陽の季節」を発表し、翌56年に芥川賞を受賞、映画版も公開されました。それは、ちょうど「戦後」が完全に終わった時期と重なります。実際、56年の経済白書には「もはや戦後ではない」という言葉が登場しました。どっちが先かは分からないが、経済白書をまとめた役人だけでなく、多くの日本人も戦後の終わり、そして、新たな時代の始まりを感じ取っていたわけです。
文学の世界でも遠藤周作、吉行淳之介といった第三の新人と比べて、大江健三郎や開高健といった私と同世代の作家は書くものが歴然と違っていた。明らかに、ひとつの境目があったように感じますね。戦後の混乱と屈辱の日々が終わりを告げて、新たな日本の青春期、転換期が訪れようとしていた。私の書いた『太陽の季節』は、そうした世の中の変化を捉え、ある意味で象徴していたわけです。だからこそ、古い世代の人間から顰蹙を買った一方、多くの人々が共感し、同調したのだと思います。
もちろん、当時22歳だった私は、自分の書いた作品への大反響に驚きました。大学卒業後、東宝の助監督試験に受かって就職したけれど、学生結婚だったこともあって生活は楽ではなかった。そんなとき、期せずして物書きで食っていけるようになった。これは幸せなことでした。
とはいえ、フランス文学が好きだったものの、執筆当時の私はサッカーばかりに明け暮れる学生生活を送っていたわけです。いわゆる文学青年ではなく、むしろ、戦後の蛮カラ世代の最後尾を謳歌していました。そんな私が、新たな世代の価値観や風俗について描いた作品が熱狂的に受け入れられた。この小説に人々がある種の解放感を覚えたからでしょう。
若い人たちには想像もつかないだろうが、占領下の日本は、それは惨めなものでした。大通りの真ん中をアメリカ兵が闊歩していて、私が知らん顔しながら通り過ぎようとすると、何が気に喰わなかったのかいきなり殴られたこともありました。そんな屈辱の時代から解放されて、若者が「やっと俺たちの時代がやってきた」と感じられるようになった。その兆しを『太陽の季節』に見出したのだと思いますね。
のぼせて言うわけじゃないけれど、まさに日本が転換期にあった昭和30年代を飾ったのは私と弟(裕次郎)ですよ。それだけの自負がある。
高見順が「作家は時代と一緒に寝なければならない」と言っていましたが、当時の私は寝たというよりも、時代と一緒に肩を組んで遊んでいる感覚だった。それは弟も同じだったかもしれない。さまざまな幸運が重なって、彼の素晴らしい才能が映画関係者に見出され、スターになりおおせたわけですから。
弟は56年公開の『太陽の季節』映画版でデビューを果たしますが、私も同じ年に自分の小説『日蝕の夏』を映画化した際に主演しています。破滅していくブルジョア青年の役で、徳川夢声が演技を激賞してくれた。若造だけど細かい演技が秀逸で見どころがある、とね。その頃、お世話になっていた東宝映画プロデューサーの藤本(真澄)さんにも褒めてもらった。物書き以外にも、飛んだり跳ねたりして面白い時代でした。 大したことなかったよ。
SMAPより下。ゴローちゃん一人にもかなわないくらい 老いるとこんな話をするようになるんだな
俺は凄いんだぞ! >>11
大根役者の裕次郎は慎太郎の七光りでデビューしたんだぞ… 日本の良い時代は高度成長期だろうな
もうこの国は終わったんだよ
滅びるのを待つしかない こいつも20年前に死んでりゃ日本経済に多大な被害を与えずに済んだのにな。
死ぬのが遅いんだよ。20年前に死んどけって話だ。 SOUL FLOWER UNION - NOと言える男
https://www.youtube.com/watch?v=3FWlqUNRZ_8
NOと言える男
太陽の季節に生まれた
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弟のアニでござります
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いじわるばあさんの後釜
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勝ち目のあるケンカだけする
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