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14の精神疾患と闘ってきた47歳彼女の壮絶な半生、ライター歴24年、初めての単行本に込めた願い
これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむが神髄を紡ぐ連載の第101回。
■14もの精神疾患と闘った半生を著書にまとめた
瀧本容子さん(47)は23歳からフリーライターをしている。ペンネームでは“タッキー”を名乗っていることも多い。昨年、ライター歴24年目にして、初の単行本を上梓した。
『アイアム精神疾患フルコース』(彩図社)という強烈なタイトルの本だ。本の内容は、タイトルのとおり、パニック障害、統合失調、感情障害、睡眠障害、薬物依存症、摂食障害、アルコール依存症……など、14もの精神疾患と闘ってきた、瀧本さんの半生がつづられている。
ただ、ジメジメと暗い雰囲気ではない。もちろん、日々の生きづらさや、薬物の離脱症状(薬物をやめる時に起こる禁断症状)のつらさなどはリアルに語られるが、全体的にはさらりと明るい。
インタビュー時に、彩図社の編集部でお会いした瀧本さんも、ルポと同じようなさらっと明るい人という印象だった。
瀧本さんがどのような人生をたどってフリーライターになり、そしてこの1冊を上梓することになったのかを聞いた。
瀧本さんは大阪で生まれ育った。
「父親はほとんど家にいなくて、誕生日とかにプレゼントをくれるどっかのオジサンという感じでした。お父さんという感じがわからなくて、学校で父の日に、
『お父さんの絵を描きましょう』
って言われて、困っていました」
瀧本さんは、実質母子家庭で育った。
「母はとにかく私がいるのが気に食わない、存在が気に食わない、という様子でした。母の後ろにいるとぶん殴られたし、普段は徹底的に無視されました。子供時代には、母親の笑顔を一度も見たことはありませんでした。
そんな母親のことはすごく怖かったんですけど、それでもすごく好きだったんですよね」
瀧本さんの兄は、母親からそのような暴力は受けておらず、
「なぜ、私だけ暴力を受けるのだろうか?」
と子供心に疑問を感じていた。
その疑問はずっと後になって、瀧本さんが20歳を越えてから判明したという。
「知り合いと血液型占いの話をしてたんです。そうしたら知り合いが、
『お前の両親の血液型からは、お前の血液型は産まれないぞ』
って言ってきたんです。それで、自分が両親の子供でないということがわかりました。追求してないので、どちらの子供なのかは知りません。ただ、
『そういうことだったのか!』
と謎がとけてスッキリしました」
中学に入学すると、ほとんど家には帰らなくなった。少し事情がある子らが集まる家に行ってたむろしていた。
ただ、中学3年生になって、クラスに仲の良い友だちができてからはきちんと家に帰り、学校に通うようになった。
「この頃からぼんやりとライターになりたいと考えてました。その頃は、バンドのユニコーンが好きで、いつか音楽雑誌で取材したいと思ってました」
そして高校へ進学した。
「名前さえ書ければ合格するようなレベルの高校でした。中学まではろくな人生じゃなかったので、
『高校で青春取り戻したろう!!』
と思いました。毎日学校に行って、彼氏もつくって、軽音部に入って、仲の良い子とキャアキャアやっている楽しい日々でした」
■編集プロダクションに進む
高校卒業後はライターを目指すためにジャーナリスト専門学校に入りたかったが、母親が許してくれなかった。
高校時代はバイトをして稼いだお金を貯めていたが、それでは学費に足りなかった。
「夢を諦めかけてたんですけど、求人募集を見ていたら小さい編集プロダクションがスタッフを募集しているのを見つけました」
大阪の普通のマンションの一室にその編集プロダクションはあった。情報雑誌の記事を作っている会社だった。
瀧本さんは街ネタ、モノネタ、グルメ取材……など、実際に街で取材して記事を書いた。
「すごく楽しかったですね。自分で書いた記事が雑誌に載って、自分の名前がクレジットされた時の喜びは今も忘れられません。