声優という肩書きにこだわる必要はない

福山 監督はずっとアニメーションの方法論の中から「新しいものを自分たちらしく作る」ことを目指していらっしゃるのかなと思っています。
とくに『G-レコ』は僕は主人公のベルリ・ゼナムが戦うまでの時間にものすごく心が惹かれてしまったんです。
というのも、最近の僕は、普通の人間が普通に話すことに興味が傾いています。

富野 そういうふうに感じてくれて嬉しいし、それでいいと思います。

福山 僕は以前、監督に「なぜ、監督は素人を作品に入れるんですか?」と失礼なもの言いをしたと思うんです。
だけど、監督は「それは義務だよ」とおっしゃった。続けて「僕は現場に既存のものとは違う才能を投入する義務がある」と。

富野 エンターテインメントってそういうものですよ、というのがまず一つ。たとえばキャラクターがいて、セリフをマニュアルどおりに貼り付けていくというやり方が本当に面白いですかという話です。

福山 声優という仕事が専業として形をなしてきて約50年程になりますよね。僕は声優という肩書きにこだわる必要はもうないんじゃないかとも思っています。
だからこそ、僕は逆に声優の存在意義を自らに問いながら声優をやっている。

富野 いま福山くんの話を聞いて、つくづく思ったことがある。それはあなたが考え過ぎだということ。そのものの見方を否定しません。
けれど、声優業を20何年やってきて、やり方を確立し、視界が狭くなっている可能性がある。かつての僕も然りでした。
(続きは書籍で!)


富野監督がいま福山に対して伝えたいこととは…。そして、彼らの熱量はどうやって生まれているのか。
互いの作り手としての「いま」と考え方の核に迫る、興奮のプロフェッショナルトークの結末は下記から! 乞うご期待。
https://futabanet.jp/seiyuumen/articles/-/84357?page=1