面接官「神学者ボンヘッファーのヒトラー暗殺計画について述べよ 大きな悪を避けるために小さな悪を働くことは許されるのか?」 [511393199]
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ナチスに反対するために連合国に情報を流していたドイツ国軍の軍人たち—ロジャー・マンヴェル/ハインリヒ・フレンケル著『ゲシュタポへの挑戦—ヒトラー暗殺計画』[中]-(松沢呉一) | 松沢呉一のビバノン・ライフ
https://www.targma.jp/vivanonlife/2022/01/post105363/ それについて述べたら国際法違反の容疑で部屋に馬場が来るから述べられない はい、中国は今のうちに世界中が一丸になって潰すべきです 別に許されなくてもやらなければならないことはあるだろ ディートリヒ・ボンヘッファー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC
“ボンヘッファーは、ある一定の状況においては殺人が善でありうると主張したのではない。
殺人は悪であり、神の審きの対象であることに変わりはなく、
マタイによる福音書26章52節にあるように、「剣を取る者は皆剣によって滅びる」のである。
しかし、隣人のためにその罪を自ら引き受ける者が彼の時代には必要であるとボンヘッファーは考えた。
そのようにして神の律法を一時的にでも超えて行くことは、彼によれば、
将来における真の意味での律法の成就に不可欠であった。
逆に、善を選ぶことが不可能な状況下において、
より大きな悪を避けるためにより小さな悪を選ばないことは逃避であるとされ、批判の対象となった。” おこがましいとは思わんかねという思想が日本にはある 「神の前で、神とともに、しかし、神なしに生きる」とかさ
「非宗教的キリスト教」とかさ
ボンヘッファーかっこいいんだよな 善悪は相対的
なので大きな悪を避けるための行動は善となる 大きな悪が取り除かれたあとに小さな悪を排除した奴らが覇権を握るんだぞ 「人は悪と戦う際に、いかなる手段も許されると判断するやいなや、彼らにおける善は彼らが撲滅しようとする悪と見分けがつかなくなる」- クリストファー・ドーソン 暗殺が致し方ない場合があるが、それを正当化してはならない。
多数を助けるため一人を犠牲にせざるを得ない場合があるが、
それを正当化してはならない(トロッコ問題)。
ボンヘッファーが言ってるのはそういうことでしょ。
責任を引き受ける態度は立派だけど、
そこで苦悩するだけで終わらせてしまってはダメだと思う。
じゃあどうするか?過去へ戻る。
ファシズムが蔓延する前の社会、
トロッコを走らせる前の点検や整備チェック、
それらのまだ他の選択肢があった頃まで戻り、
同じ過ち(馬鹿げた二択)に陥らない方法を探求する。
この問題の最適解は「どちらが正しい選択か?」ではなく、
「そんな馬鹿げた二択になるまで何をしていたのか?」
(馬鹿げた二択を回避するために今後何をすべきか?)
という方向にあると考える。 ヒトラーを殺さないと東部戦線って状況なら正当防衛だな
復讐や世直しでただ暗殺するのはアウトかな
第2のヒトラーとか後継者が出てきたら意味ないし悪化する可能性があるから
クーデターの成立を考えて手段としての暗殺なら有りだと思う
古来独裁=暗殺で終わるのは常とギリシャ時代から言われてる話で、独裁やってる時点でそこの博打は汲んでいることになる
ヒトラーだけが敵に自然死を待ってもらえる理由は摂理としてない
契約や権利の関係でいうとヒトラーには暗殺されない権利がない
殺人をやるということは、互いの平和契約を捨てて万人の万人に対する闘争を復活させてるわけだから、ヒトラーに対する人間(敵)は自分の側だけが殺人を禁止するメリットがない
ヒトラーが誰かを殺しておきながら、ヒトラーを殺すのは悪いことだから禁止!と敵に思わせることは相手に利益がなく摂理として不可能というわけだ
ヒトラーを監禁できるなら過ちを改めさせるべきだが(死刑には理がない)、ヒトラーが殺人継続中でヒトラー殺す以外にそれを止められないなら暗殺者側に理がある
結局、ナチやそれに類するものは死人が出る前に潰しておくしかない、ということになって、戦後の戦う民主主義みたいな法律ができた
日本は戦後に戦争や殺人の清算をせず、倫理や哲学から逃げて今の白痴化に至る ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています