https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68760

 しかし、菅氏の「暴走」については、いまにはじまったことではない。いまから48年前に、当時の菅直人青年の「暴走」ぶりを指摘し、命を奪われる危険性すら懸念していた著名な作家がいる。
 “才女”とも称された有吉佐和子だ。彼女が著して話題となった『複合汚染』の中に、若かりし日の菅直人の描写がある。



 この作品の冒頭は、1974年夏の参院選に立候補する市川房枝の選挙活動の裏話からはじまる。



 また、当時81歳だった市川房枝を担ぎ、九州、沖縄、名古屋、大阪、東京、そして長野・・・と、日替わりで日本各地を遊説して回らせる青年グループのスケジューリングを知って、

【殺す気かという言葉が喉まで出て来たのを私は呑み下した。青年グループ。彼らは若さにまかせて、市川房枝の年齢を忘れ、候補者の健康保持を忘れて、暴走している。】

 そう酷評している。はっきり「暴走」と書いている。だが、「暴走」していたのは、若さだけが理由だったのだろうか。

【この若者にはどうしても嫌われたいのだ、私は。】

 再三に亘って、有吉佐和子からそう毛嫌いされていた青年は、それから30余年が経ち、日本の首相になった。


暴走による候補者担ぎ出しを「政治活動の原点」と胸張る元首相

 その首相在任中に東日本大震災の発生と、福島第1原子力発電所の事故を招く「複合被災」の対応に迫られた。その発生直後の混乱の最中に、官邸を離れて制御不能になった原発に向かったことは、現場の首相対応に労力を割かれて事故処理への支障となったこととあわせて、のちに批判の的となっている。

 菅氏が首相の座について最初に行った2020年6月11日の所信表明演説の冒頭で、自らの政治家としての出所をこう語っている。

「私の政治活動は、今を遡ること三十年余り、参議院議員選挙に立候補した市川房枝先生の応援から始まりました。市民運動を母体とした選挙活動で、私は事務局長を務めました。ボランティアの青年が、ジープで全国を横断するキャラバンを組むなど、まさに草の根の選挙を展開しました」

 その時にはすでに、自己満足が優先して他者の事情や健康、さらには自身の置かれた立場や責任に思いが至らない稚拙な青年の姿に、「殺す気か」と心の中で叫ぶ慧眼の大人が、すぐ脇に立っていた。そのことを、当人が知らないとしたら、これほど不幸なことはない。