【佐藤】この前、非正規雇用労働者などの支援活動をしている作家の雨宮処凛(かりん)さんと対談したのですが、支援を受ける人たちに共通するのが、お話しのように自己肯定感が極めて低いことだとおっしゃっていました。一方で、理想とするのは、実業家の前澤友作さんや堀江貴文さんだったりするんですね。やっぱり、新自由主義的なものはウェルカム。なぜ自分を苦しめているものを是認してしまうのか、クエスチョンマークしかないと彼女は言っていました。

【斎藤】弱者男性の怨嗟(えんさ)の向かう先は、支配層ではなく、自分のちょっと上の中流ぐらいの層だというのも、よく言われることなんですね。自分たちより弱者に対しては、もっと容赦なかったりする。結果的に、弱者切り捨てに賛成してしまうという、自分の首を絞めるようなことになっているのです。

【佐藤】さらにこうした弱者男性たちは、福祉の話になると、「でも財源がないから」などと言うのだそうです。自分自身は弱者なのに、まるで為政者側の立場にいるかのような発言をする。そのことにも驚いていました。

【斎藤】それは、本当におかしな話なのです。例えば、私は障害者年金の申請書を書く時に、この人に年金を出したら国の財政が破綻するとかしないとかいうことは、一切考えません。自分の患者さんが楽になってくれれば、それでいいわけです。医療行政のことは、政治家が決めてくれ、と。

【佐藤】それは当然のことで、支援を受ける側が財源のことを考慮する必要など、ありません。「苦しいからなんとかしろ」と異議だけ申し立てればいいのです。それを全部受け止めて、どう整理していくのかが代議制民主主義であり、官僚制が存在する意味なのですから。

【斎藤】にもかかわらず、貧困層ほど忖度(そんたく)して、厳しい環境に自分を追い込んでいく、というのは、悲しい構図としか言いようがありません。残念ながら、コロナ禍でさらに格差が拡大し、そうした状況に拍車がかかっているのは間違いないでしょう。どこかで、そのおかしな回路を断ち切る必要があります。

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