https://news.yahoo.co.jp/articles/9ef0137d6da20b0c06b650500cc5bbbcda583038
「あの人、変わっちゃったね」と言われることの天国と地獄
興味本位では決して見られない。哀しいほど、顔が激変した人
ネットで「見た目が激変したハリウッドセレブたち」を検索すると、大量の情報が現れる。世間はなぜこんなに“人の変化”に強い関心を寄せてしまうのだろう。自分も含めての話だけれど。
もちろん多くは興味本位。今はそういうコンテンツの大半が、美容整形による顔印象の変化をまとめているわけで、単純にゴシップを見るような物見高さからに他ならないが、実はその背景に、人間の本性や人生の悲哀、葛藤までが写し出されるからこそ、もっとも好奇心を刺激するものとなるのだ。変わってしまった顔の向こうに、誰もが秘めている欲やサガが露骨に見えてしまうから。ある意味の“恐いもの見たさ”かもしれないが。
それを象徴するのが、今さらだけれど、マイケル・ジャクソンの変貌。20歳前、ソロデビューを果たし天才として世界の注目を集めた頃のマイケルは、紛れもなく絶世の美少年だった。24歳『スリラー』の頃は、少し“変化”が始まっていたものの、最高に美しかったと思う。なぜここで止めておかなかったのだろう。29歳『BAD』のヒットの頃から、次第に変貌がエスカレートしていき、40歳では肌真っ白、別人と化し、その後は奇行も目立ち、50歳で死去している。
不世出の天才が見せた激変は正視できないほど切ないが、でももし彼があと10年遅く生まれていたら、こんな哀しい変化は望まなかったはず。少なくとも今、10年前には想像できないほど社会が多様化、彼が自分のアイデンティティーに関して、深く悩むことはなかっただろうし、もっと普通に生きていたはず。異常とも言える喝采を浴びただけに、同じ量の苦悩を覚え、屈折した変化を見せざるを得なかったのは残念でならない。
だから逆に、彼のこの変貌は興味本位では見られないのだ。自分のイメージと違う人生を生きた苦しみが、劇的な変貌にそっくり見えてくるから。
一方、容姿に不満はないはずなのに、単に若さにすがりたいがために、プチ整形のやり過ぎですっかり変貌してしまったセレブも少なくない。たとえばそういう時、申し訳ないほど必ず名前が挙がってしまうのが、メグ・ライアンだったりするわけだが、この人の場合も、やっぱり興味本位では見られなくなった。
ラブコメの女王として一世を風靡、あんなに可愛らしかった人が、まったく得をしないことは火を見るより明らかなのに、なぜこういう変わり方をしてしまうんだろうと、疑問を持ったからなのだ。しかも、世のバッシングを受けて元の顔に戻る人は戻るのに、なぜこの人はますますエスカレートしていくのか。そこに何があるのだろうと引っかかったのだ。
人気のピーク30歳で、デニス・クエイドと結婚、でも10年後に自身の不倫が元で離婚(実は夫のほうも不倫していた)、イメージダウンにより一時期干された形になり、逆にシリアスな役でイメージチェンジを図ったものの失敗。その後、長らく低迷を余儀なくされる。顔がどんどん変わっていったのはこの時期にあたるのだ。約10年のブランクがあってアーティストの恋人ができるが、相手はバツ3、不安定な交際を続け、婚約するもすぐ解消、話題になるのはもっぱら“変わってしまった顔”についてばかりだった。
こうした経緯を見るにつけ思うのは、輝かしいキャリアを過去のものにすまいと、ラブコメ向きのキュート系の顔立ちから、美人系の顔立ちへとシフトしようという焦燥感があったのか。あるいはまた、プライベートにつまずいたことで、幸せの枯渇から、自分を変えたいと思ったのか。どちらにしてもやっぱり辛い。
どちらにせよ人が変貌する時、そこには必ず人生に関わるドラマがある。だから、見る者に強烈な印象を与えるのである。
実は誰にもある「顔細胞」が他人の顔変化を決して見逃さない
「あの人、変わっちゃったね」……一般社会でも極めてよく交わされる会話だ。変貌を遂げる人に対して、世の中はとても敏感。人が変わっていくことに無関心ではいられない。しかも一般社会では興味本位では終わらず、相手に対する評価を変え、感情まで塗り替えるからより厄介なのだ。
たとえば、一気に老けてしまった人に対しては「幸せではないのではないか?」と身の上を案じるのだろうし、ひどくやつれてしまった人には「一体何があったのだろう」と、詮索まじりに思いを馳せる。でも何かあったの? と直接は聞かない。聞かずに遠巻きにしてしまう。さらに露骨に顔立ちが変わってしまった人には、急に距離感をとり、明らかに好感度を下げてしまうのだろう。