A「うつ病です(泣)」周囲「可哀想に...」 俺「統合失調症です(泣)」周囲「...(ドン引き)」 [426566211]
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A「うつ病です(泣)」周囲「(知らねーよ甘えんな」
こうだろ うつ病は環境変えろよって思うけど
統合失調症は脳みそ変えなきゃ治らないもんな 正直躁うつ病と統失は大差無いから、そういう意味で軽度の統失は可哀想 鬱から糖質になることも珍しくないし
糖質予備軍でしかないよ ・知名度自体がない
・世間的に統合失調症=陽性症状という観念が強い
・統合失調症=犯罪者予備軍というスティグマ
・統合失調症=キチガイとして扱ってきた日本の歴史の影響
・鬱は治って社会復帰するイメージがあるが統合失調症はないので障害者というレッテルが貼られる
・そのレッテルのために更に年金受給者として普通の日本人に差別される 糖質とか前科10犯ですとか自己紹介されるより恐怖だわ 鬱は甘えってくらい認識甘いからな
精神科医が金ほしさにバンバン鬱判定したせいでもあるが >>13
>・世間的に統合失調症=陽性症状という観念が強い
これだよな
単純型統合失調症について認知されてない 統合失調症は薬でコントロールできれば社会復帰できるけどうつ病は一生まともに働けないイメージ 躁鬱もやばいけど、あんまり殺人とかは聞かない気がするもんな
糖質はどうしても、映画やらドラマのせいもあってか、妄想からの凶悪事件のイメージに結びついてしまう
あと、一般人から鬱は感じを想像出来るけど、気持ちをイメージしにくいし 身内に糖質が居たけど症状進んできたら妄想が現実と思い込んでもう帰ってこなくなったな
一度壊れた脳みそは二度と戻らないのが糖質なんだなと思う
親が鬱だけど薬飲み忘れなければひとまず社会生活は出来る うつ病ならまだ投薬治療や休息でなんとかなる
統合失調症は幻覚幻聴幻視
めちゃくちゃ
元々統合失調症の前は「精神分裂病」という名前 生活困窮者のナマポ申請とかサポートする団体で少しだけ働いた事あるけど統合失調症の奴が多過ぎてマジで会話が成り立たなくてこっちがおかしくなりそうで辞めたわ
日本人を相手にしてんのに何で日本語が通じねーんだよって鬱になりそうだった 統合失調症の言い分もわからなくもない
ジャップは陰湿だからな 逸脱と医療化―悪から病いへ (MINERVA社会学叢書)
以下は「医療化」の良い点と悪い点。
逸脱の医療化は重要な社会的影響をもたらす。「明るい側面」と目しては以下の五つが挙げられる。
逸脱をより人道主義的にとらえること
逸脱者に病人役割を適用し,非難を最小化し,一定の逸脱を条件つきで免責すること
医療的モデルによって,変化に対してより楽観的な見方ができるようになること
逸脱の認定や治療に対して医療専門職の威信を付与できること
医療による社会統制が他の統制よりも柔軟で,ときにはより効果的であるということ
しかし,医療化には「暗い側面」もある。
個人の逸脱に対する責任を全く無視してしまうこと
医学が道徳的に中立的であると想定してしまうこと
専門家支配によって起こる様々な問題
社会統制のために使われる強力な医療技術
社会に存在する複雑な問題を個人化してしまうこと
逸脱行動を脱政治化させてしまうこと
悪を排除してしまうこと。
そして、「犯罪有責モデル」「医療無責モデル」のオルタナティブとして「犠牲者」モデルを上げる。
逸脱の医療化は,事実上の、社会政策として認識されるべきである。
逸脱の医療化の程度,ポリティクス,便益,費用などについての調査が,もっとなされなければならない。
医療による社会統制に対する一定の「対抗勢力」が創出されねばならない。
「犠牲者」モデルという形で,行為に対する責任ほ問うが,責めることは、しないという新しい逸脱モデルが必要である。犯罪か病気かという二分法モデルから脱却する必要がある。
http://archive.is/8JbMn 知的障害も精神障害も親が精神障害の場合が多いのが問題
後天的障害はともかく欠陥遺伝だよ ■シンポジウム「『精神分裂病』(現統合失調症)とは何か」 クーパーとサズの来日講演 /東京で第72回日本精神神経学会総会 1975/05/12・13・14
まず、東京医科歯科大の島薗安雄が精神分裂病の生物学的研究の歴史経過を、東京精神医学総合研究所の荻野恒一が病理学・精神分析学的立場からの現状を述べ
た後、サズが「Schizophrenia:The Sacred Symbol of Psychiatry(精神分裂病:精神医学の神聖なる象徴」、クーパーが「What is Schizophrenia?(精神分裂病と
は何か?)」と題してそれぞれ講演している。
サズは、ここでも従来からの主張を繰り返す。要約すると1点目は、精神分裂病の症状といわれている現象があることは認めるが、精神分裂病(現統合失調症)なる
ものは存在しない。なぜなら、精神分裂病の診断は「行動上の諸症状」を基礎に行っているものであり、はっきりした細胞上の病理などを示されていないからである。
精神分裂病とは絶対的・科学的な研究の結果ではなく倫理的・政治的な判断によって生じたものである。すなわち発見されたものではなく、社会的に構成され考えだ
されたものであるとする。症状はあるが病因は不明のまま作為的な病名だけが与えられているとする従来の反精神医学の主張である。2点目に、サズはこのような精神
分裂病が社会的なものであるという前提にたち、患者の市民権や法的権利において人権侵害がなされていることにふれる。3点目としては、医学一般と精神医学を対比
し、医師と患者関係について述べている。自由な資本主義社会において、精神医学の需要と供給、すなわち検査や診断、治療といったものは当事者である医師か患者の
どちらかが拒否すれば成立しないはずである。しかし、「伝統的な医学においては、医師は患者の代理行為者であるが、伝統的な精神医学においては医師は社会の代理
行為者」であるという現実上、医師によって患者が精神分裂病の診断名を冠されてしまうことにより、患者はどのように危険なのかも明確でないまま危険視され患者の
意思に反しても施設に監禁することが精神医学にも必要で法的にも正当化されていること、また患者はその診断や診断過程、診断によって正当化された治療を拒否する
ことができず、そのような同意を得ないままの診断や治療が行われていることは暴行に等しいという(精神神経学会 1976:308 )。 「分裂病」という「状態」など存在しはしないのです。分裂病というレッテルが貼られることは一つの社会的事実であり、
この社会的事実とは一つの<政治的出来事>なのです。社会における市民的秩序のなかでおこっている、
この政治的出来事は、レッテルを貼られた人間の上に定義と結論を押しつけます。分裂病というレッテルを貼られた人間は、
彼に対して責任をもつべく法律的に是認され医学的に権能を与えられ道義的に義務づけられている他者の監督下におかれますが、
こういった一連の社会的行為を正当化しているのは、社会の指令なのです。レッテルを貼られた人間は、
家庭、家庭医、精神衛生関係官、精神科医、看護婦、ソーシャルワーカー、
そしてしばしば仲間の患者たちまで加わっての一致した連携(「共謀」)行為によって、
患者という役割のみならず、患者としての人生の道程を歩みはじめさせられるのです。
R.D.レイン『経験の政治学』(128p.) デビッド・クーパーは言う。「すべての妄想は政治的な宣言であり、すべての狂人は政治的な活動家である」。
セドウィック、ミッチェル、グライス、ヤコビィ等はいずれも次のような異議を唱えた。
社会の犠牲者をこのように「ロマン化する」ことは、一貫した合理的な政治活動のための真の要請から目を逸らせてしまうことになってしまうそして彼らを助けることにもならない。
だがほとんどの人々は結局自分自身を治療に委ねてしまうのである。これはまさに、何が起こっているかを人々が理解しないが故に生じることなのである。
批判的精神医学 : 反精神医学その後 D.イングレビィ編 鬱も淫s他で鬱アピールするような糞野郎が多いけどな でも本当不思議な病気だよな
思考回路のバグなのかな ロリコンです!→うわあ...
つまり統失はロリコン 糖質はそもそも関わらないからどうでも良い
実際は鬱の方がウザい 頻繁に出現するし関わるとろくなことが無い 俺は統失だけど障害者枠で5年働いてるよ
家と病院の往復よりよっぽど楽しい >>44
薬ちゃんと飲んでれば問題ない人も多いらしいよね
何よりだ >>32
メリケンの統合失調症とジャップの統合失調症に違いはあるの?
どっちも被害妄想からの異常行動だと思うんだけど差異はあるのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています