「日本に原人がいたかもしれないという話は皆にとって都合がよかった。だから捏造を見抜けなかった」石器時代発掘責任者 [965417506]
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「後から埋めた?」「そんなことできるか?」
忘れもしない、2000年11月5日の未明のこと。北海道新十津川町の〈旧石器時代遺跡〉の発掘責任者だった長崎潤一さん(61)=当時39歳=は、関係者からの一報を受けて、電話口でぼう然と繰り返した。
「日本原人」の存在を印象づける歴史的な大発見として発表した数々の石器は、「神の手」を持つとされた1人のアマチュア研究家が埋めたニセ物だった。
遺跡が、ねつ造されていた。
日本の考古学界を根底から揺るがしたあの〈事件〉から20年余り。なぜ、自分はだまされたのか。本当に、見抜くチャンスはなかったのか。渦中にいた本人である長崎さんは考え続け、後進の人々に伝え続けている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ecc18a4eb1cb8cb986edfa208106b382d2d02a00?page=1
なぜ、旧石器時代の前期・中期がそんなに重大なのか。
「それは、日本に、我々のようなホモ・サピエンスとは違う、『旧人』や『原人』がいたかどうかということ。単に石器の問題ではないのです」と、長崎さんは言う。
日本では、1940年代後半に相沢忠洋(1926〜89年)が、群馬県の岩宿遺跡(約3万5000年前)を発見したことで、土器を使っていた縄文時代より前の「旧石器時代の後期」があったことは分かっていた。
後期であれば、ホモ・サピエンスの時代だ。しかしもし、もっと古い「中期(4万年以上前)」や、さらに20万年、あるいは30万年以上前の「前期」が存在したとなれば、日本にも旧人や原人がいたことになる。「人類のストーリー」が全く違ってくるわけだ。
「岩宿発見」を機に、考古学者らが様々な発掘を試みる中で、彗星(すいせい)のように登場したのが藤村氏だった。
1970年代から90年代にかけて、藤村氏は東北地方の「座散乱木(ざざらぎ)」「馬場壇(ばばだん)」などで次々と〈中期・前期〉の石器を発掘。座散乱木遺跡にいたっては、国の史跡にも指定された(後に指定解除)。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ecc18a4eb1cb8cb986edfa208106b382d2d02a00?page=2
「長崎、お前のとこもやられていたぞ!」「(石器を)埋めとった」――。
東北旧石器文化研究所の鎌田俊昭理事長(75)から第一報が入ったのは、2000年11月5日の未明。藤村氏の「石器発見」がねつ造だったことをつかんだ毎日新聞から取材が入ったという。
それから数時間後。発売された同紙の朝刊には、藤村氏が、宮城県の「上高森遺跡」で石器を埋めている一部始終が、現場で撮影された画像とともに報じられていた。
当初、ねつ造は上高森と、総進不動坂の2か所だけとされていた。長崎さんは北海道の別の場所でも藤村氏と共同調査していたが、この時はまだ、「これ以上のねつ造はないだろう」と考えていた。そう信じたかった。
だが数日後、長崎さんは、母校・早稲田大の先輩で、道教育委員会の職員だった田才雅彦さん(66)に呼び出される。札幌駅前の居酒屋に座るなり、田才さんは言った。
「お前はグルか、バカか、どっちだ。世間はどっちかとしか見ていない」
長崎さんが「グルではない」と言い返すと、田才さんは諭した。
「それなら、私がバカでしたと謝れ。そうじゃなきゃ、誰もお前を信用しない」
翌月、北海道考古学会の遺跡報告会の場で、長崎さんは「見抜けなかったことを深くおわびしたい」と謝罪し、ねつ造遺跡の検証に乗り出した。同学会の委員長だった鶴丸俊明さん(74)は「悪夢のようだったが、検証を待ってほしいと伝えるしかなかった」と振り返る。
疑いの目で改めて検証してみると、ねつ造というのはちゃんと分かるものだ。
出土した石器には、発掘作業中にスコップなどが当たってできる「ガジリ」と呼ばれる大きなキズがあった。だが、藤村氏が石器を掘り出すところを偶然撮影した映像を見ると、スコップではなく竹べらを使って丁寧に掘り出しており、「こんなキズがつくことはあり得ない」(長崎さん)。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ecc18a4eb1cb8cb986edfa208106b382d2d02a00?page=3
日本の考古学研究の信用は地に墜(お)ちた。だが、「いかにダメだったか」が浮き彫りになったことで、研究者の意識は変わった。
2003年、それまで地域でバラバラに活動していた研究者が全国で連携し、日本旧石器学会が発足。10年には国内のあらゆる旧石器時代の遺跡(約1万200か所)のデータベースが完成し、研究成果が整理・透明化された。
さらに、長崎さんは、「学会で揉(も)む」という空気も生まれたと感じている。
ねつ造遺跡を巡っては、発掘現場で石器が出るとまず報道発表し、それから学会で報告する――という流れが常態化していた。「でも、大々的に世間に発表された後だと、おかしいと思っても批判しにくい。言えない雰囲気が先に作られて、そのまま既成事実となってしまう危うさがあった」
実際、読売新聞も、総進不動坂で最初に石器が出た4日後の98年7月7日夕刊で「七万〜十万年前(中期旧石器時代)の尖頭器が見つかった」と伝えている。メディア側にも反省点は大いにある。
ねつ造の発覚後は違う。長崎さんは、2010年に開かれた学会で、ある研究者が「石器だ」と報告した出土品について、他の研究者が「自然に砕けた石だ」と猛然と批判し、会場で激論になった場面を見た。「ああ、これが健全な姿だと思いました」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ecc18a4eb1cb8cb986edfa208106b382d2d02a00?page=4
あの時、何が起きたか。なぜ見抜けなかったか。研究者なら本来、自分に都合がいいデータやファクト(事実)は疑わなくてはならない。その先に、確かな答えがある。「それなのに」という激しい自戒を込めて、長崎さんは講義をこう締めくくる。
「(日本に原人がいたかもしれないというストーリーは)みんなにとって都合が良かったのです。みんなが前期旧石器を見たかった。だから、(結果として)ねつ造に乗ってしまった」
結局、日本に原人はいなかったのか。
現在は、各地の遺跡の状況などから、後期旧石器時代の前半(3万年前〜4万年前)に大量の人口移動があった、つまりこの時期に大陸から人類が流入してきた(=原人はいないだろう)という説が主流という。
しかし、長崎さんは「原人存在説」を捨ててはいない。ねつ造ではない国内の遺跡で、10万年近く前の地層から「石器としか思えないもの」も見つかっている。
「原人がいないと、説明できないことがある。私は、諦めていません」。今も長崎さんは北関東を中心に発掘に携わっている。原人の石器はまだ出てこない。それでも、掘り続けようと思っている。https://news.yahoo.co.jp/articles/ecc18a4eb1cb8cb986edfa208106b382d2d02a00?page=5 ここも他SNSも
自分の都合のいいニュースは虚構でも精査せず信じるからな ゴッドハンドは今も日本の至る所にいるだろ
産地偽造が連発してるのもその一環なんだろう 本来、人類の普遍的価値遺産として扱われるべき歴史的事物について、その多くが観光資源の観点に偏るかたちで地域住民に認識され、商業的な効果を優先させるように取り扱われてきた実態が、今回の事件発覚によって明らかになった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%8D%8F%E9%80%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6 1990年代までは歴史学で奈良思想という有名な
圧力があって、異議を唱えると東大の教授ですら解雇されてるからな。
皇室に関連するものは神聖視されていて、
それに引っ張られて関西の大学が絶対だった。
関西人は豊臣秀吉が大好きだから
その関係も幼少期関係の研究は全て
意図的にブラックボックスにされていた。 ジャップ神話どおりジャップ島の土からジャップが生えてきた事にしたかったんだろうな ホルホルと中韓伝来否定できるから当時の右が支持しとった 見抜けなかったもクソもなく意図的に見逃してたんだぞ
ゴッドハンドを疑うやつを冷遇したりな >>25
見抜けなかったという反省の仕方がもう当時のままに真実から目を背けた観点だよなあ 真実から目を背けて
見たいものもだけを見るって
普通に今でも行われてることじゃん
歴史戦とかなんとか ゴッドハンド自体は東北の歴史コンプレックスから捏造に走ったみたいだけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています