2月1日に死去した石原慎太郎氏が東京都知事だった時代、「サンデー毎日」は情報公開請求で得た資料に基づき、その“公私混同”をいち早く指摘していた。担当した記者が、その一部始終を明かす。【日下部聡/デジタル報道センター】

※この記事は「サンデー毎日」(https://mainichi.jp/sunday/)2022年2月20日号への寄稿に加筆したものです。当時のサンデー毎日の記事も有料会員向けに公開します。

 2007年4月の東京都知事選。足元を確かめながら選挙カーのはしごを下りる石原知事の後ろ姿にはっとした。背中に年相応の「老い」が漂っていたからだ。

 3期目を目指していた石原氏は当時74歳。駅前広場を埋める聴衆に見せた堂々とした正面との落差に気づいたのがその時だった。ある元都庁幹部の言葉がよみがえった。

 「石原さんの基本的な行動原理は『いかに注目を集めるか』ですね」

 目を引く政策、物議を醸す発言、イベント好き――そう考えると得心がいった。記者会見など公の場では強い言葉や威圧的な態度を見せるが、実は繊細で疲れやすい人物であったというのも石原氏を知る多くの人の一致した見方である。

 1999年に初当選して以来、圧倒的な得票で2回の都知事選を制してきた石原氏が初めて逆風にさらされたのが07年知事選だった。「都政私物化」が争点になったからだ。

その源流は「サンデー毎日」が04年1月18日号から6回連載した調査報道「石原慎太郎研究」にある。取材・執筆の大半を私が担当した。※石原慎太郎研究の当該記事(会員向け)は以下リンクから。

連載1回目