安倍晋三が積極財政派に転じた理由

安倍が積極財政的な考えを強くしたのは民主党政権時代だったという。

「東日本大震災の復興をどうするかを与野党で議論し、国民からの税負担で復興費用に充てるということになった。その時、『これだけ負荷を感じている国民にさらに負荷を重ねるのは間違っているのではないか』という素朴な疑問を持ち、こういうときには税ではなく、国債によって思い切った財政出動をすべきではないかと考えた」

そこで第二次安倍政権の発足に際して元財務官僚の本田悦朗やイエール大の浜田宏一らの経済ブレーンと共に作り上げたのが「アベノミクス」と称する経済政策だった。

しかし、「黒田バズーカ」と言われる大胆な金融緩和を実行したにも関わらず、目標としていた2%の物価安定目標は達成されなかった。

「最初は大胆な金融緩和を行い、第二の矢として軌道的な財政政策をおこなった。ただ、今から考えると『機動的な』ではなく『継続的な』財政政策と言ったほうが良かったかもしれない」

安倍政権時代に内閣官房参与を務めていた本田はこう振り返り、財政出動が弱かった点と2度にわたる消費増税を残念がる。安倍も第二次政権時に「成長率が金利を上回っていた」として、「その状況でPB目標に向かって、やや緊縮的な政策を取る必要はなかったと思う」と悔しさをのぞかせる。


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