1984年(0歳)7月20日、四川省南充市で出生。

1996年(12歳)12月6日、学校付近で誘拐され、(恐らく)徐州市銅山県まで拉致される。数人に監視・支配される非人道的な日々を送る。

1998年(14歳)豊県歓口鎮の董父に買われる。
董父、息子の董志民、その弟の3人に繰り返しレイプされる。
鉄の首輪を装着され、衣服は与えられず、思わず抵抗して噛み付くと、ペンチで歯を抜かれる。度重なるレイプと殴打で次第に精神を病む。董父によって楊慶侠と改名され(「侠」は徐州地方で「痴れ者」の意)、8月2日、年齢を改ざん(1969年6月6日生まれの29歳)した婚姻届を出され、董志民の妻となる。

1998〜1999年ごろ(14〜15歳ごろ)長男(現在23歳、江蘇省外で出稼ぎ中)出産。

1999〜2011年(15〜27歳)拘禁、暴力が継続。董家の男たちに加え、地元・歓口鎮政府の複数の幹部にもレイプされる。歓口鎮の計画生育委員会(一人っ子政策委員会)により強制的に「上環(子宮内避妊器具のIDUを装着)」され、この期間は妊娠せず。

2012年(28歳)次男(第2子、現在10歳)出産。
2013年(29歳)3男(第3子、現在9歳)出産。
2014年(30歳)長女(第4子、現在8歳)出産。
2017年(33歳)4男(第5子、現在5歳)出産。
2018年(34歳)5男(第6子、現在4歳)出産。
2019年(35歳)6男(第7子、現在3歳)出産。
2020年(36歳)7男(第8子、現在2歳)出産。

ちなみにDNA鑑定を実施した南京医科大学法医学系・司法鑑定所によると、楊慶侠はあまりにも多くの男たちから繰り返しレイプされたため、8人の子の父親は誰だか分からないという。

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