結界がよみがえった? 山火事の防衛線と長尾七弁天の位置が一致
2022/2/22 12:17

 1年前に山域167ヘクタールが焼けた栃木県足利市の両崖山(251メートル)の山頂部は史跡「足利城跡」として市の文化財指定を受ける。平安時代に築かれ、足利長尾氏が治めた戦国時代まで使われた。山火事の際、延焼抑止のため同市が山麓(さんろく)に設定した6本の「防衛線」(DL)が、長尾氏が山城の周囲に配した七つの弁財天の位置に対応していることが分かり、同市のNPO法人「足利歴史まちづくりの会」(沼尻了俊理事長)が関連を調べている。【太田穣】

 同会監事で民俗史家の中島太郎さん(59)によると、弁財天は足利長尾氏3代景長(かげなが)が城の守護を願ってまつったとされ、「長尾七弁天」とも呼ばれる。所在や縁起が不明なものもあったが、大手門と搦手(からめて)門、鬼門と裏鬼門など城からの方角を踏まえ、周辺の社を調べた結果、長尾弁才天、明石弁天、子安辨財天、磯弁天、小谷辨財天、今福町の辨財天、厳島神社の7カ所と推定した。

 所在地を昨年の火災時のDLと比較した結果、明石が織姫公園・陽光台、小谷が本城、辨財天が今福、磯が大岩、厳島神社が月谷、子安が西宮――の各DLに対応していることが判明した。

 同会は任意団体だった昨年5月から、七弁天とDLの相関が偶然なのか、水場の存在などの立地条件や軍略上の背景が影響しているのかなどについて検討に着手。現地踏査や縁起の聞き取り、映像記録などの調査を進めている。

 沼尻理事長(33)は「弁財天が水の神ということもあってか、いずれも近くで水場を確認した。風の流れなどの自然条件なども考慮したのだろうが、城を守るため占いや兵法なども踏まえ、結界を張るように七弁天を配置したと推測できる」と指摘。「昨年の山火事ではその結界がよみがえったのでは。科学的ではないが、そう考えると面白い」と話す。

※略※

https://mainichi.jp/articles/20220222/k00/00m/040/066000c

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