【歴史】なぜ旧日本軍は南進(仏印進駐)したのか? [382645794]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
南進政策
日本の勢力を東南アジアへ拡大しようとする海軍主導の政策で、
満州華北をめざす陸軍主導の北進政策に対して言う。
長い間北進が日本の基本的政略であったが、日中戦争の停滞や
第二次世界大戦の開始を機に、南方の石油・ゴム・ボーキサイトなどの
戦略物資獲得と、作戦基地の確保との観点から、大東亜共栄圏構想・
仏印進駐・日ソ中立条約など、南進論が強まった。
1941年の帝国国策遂行要領で決定的となり、太平洋戦争に突入した。
新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 第1回 開戦(前編)」
https://www.nhk.or.jp/info/pr/toptalk/assets/pdf/soukyoku/2021/11/002.pdf
南進論(なんしんろん)とは、戦前の日本で、「日本は南方地域へ進出すべきである」と唱えられていた対外論である。
幕末に佐久間象山などが唱えた開国論(外国の力を取り入れ、日本が植民地になることを防ぐという概念)に起源を持つ。
1880年代には既に提唱されており、日清戦争による台湾領有、第一次世界大戦後の南洋諸島の委任統治の際にも論じられ、特に支那事変の頃に主唱された。
初期の南進論は必ずしも日本による領土拡張や軍事的進出と結びついたものではなかったが、1930年代以降、日本における「自存自衛」理念と結びつき、「武力による南進」が志向されるようになった。
南進論は横尾東作・田口卯吉・志賀重昂・菅沼貞風・竹越与三郎・福本日南などの民間の論客が提唱したもので、自由貿易主義の流れを汲むものとアジア主義の流れを汲むものに大別され、彼らはオセアニアや東南アジア島嶼部への貿易・移民事業を試みた。
日清戦争中の南進論は台湾領有の具体的主張であった。
日清・日露戦争以降、日本の国策の基本は朝鮮・満州・中国大陸など東北アジアへの進出を図る北進論となったため南進論は民間・非主流派の対外政策論、および、台湾総督府による南洋航路開拓等にとどまった(日清戦後のフィリピン独立革命(1898年)の際、日本軍が独立派を支援することでこの地に勢力を扶植することが模索されたが、結局は断念された)。
日本と南洋との関わりは、1868年(明治元年)のハワイ移民開始、1875年(明治8年)の小笠原諸島の領有に始まる。
その後、1885年(明治18年)の巨文島事件や、1887年(明治20年)の海防整備の勅令などを受け、日本人の外洋への関心が一気に高まった。
また、第一次世界大戦での戦勝側の国となった日本は、国際連盟からの委任を受けて、西太平洋の赤道付近に広がるミクロネシアの島々のうち、現在の北マリアナ諸島・パラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦を統治するようになり、「南の島」は手の届くところへやってきた。
そんな中、1900年(明治33年)、後に南の島ブームの原点とも評される押川春浪が、『海島冒険記譚 海底軍艦』を発表する。
この作品は当時の少年を熱狂させ、フロンティア精神、冒険心を大いにかきたてた。
また、昭和初期太平洋戦争前に少年向け雑誌『少年倶楽部』に連載された島田啓三作の漫画作品『冒険ダン吉』もこれに類し幼少年の心を刺激した。
また、1930年代にヒットした歌曲「酋長の娘」(石田一松作詞・作曲)も、聞く人に「裸で、無知で、官能的で、黒い肌の」人々の住む南海の楽園を想像させた。 ベトナムまんこを食してみたかったから
日本人の性欲は異常 北進の気運はノモンハンでの大敗北でとっくに潰えとったでしょ
ソ連にゃ逆立ちしたって勝てないというトラウマは独ソ戦が始まっても関東軍を動かすことは無かった 貰えるものは貰っとかないと
どうせアメリカは何もできないだろうし 信じがたい話だが、当時の日本は英米の警告をハッタリに違いないと思い込んでいたのだ
ルーズベルトに石油の禁輸を示唆された駐米大使はすぐに日本にそれを伝えたのだが…
> 7 月 2 4 日の大本営陸軍部戦争指導班「機密戦争日誌」の記述では
>「外相、南仏進駐に対する米国の動向に就き資金凍結、石油禁輸等強硬態度
>とるべきを発言す。野村大使よりの電『ヒステリック』なるに一驚ならんか。
>当班右不同意。外相遂に本性を発揮しつつあり。警戒を要す」とある。
> 7 月 2 5 日の同記述では、「米大統領、今まで日本に油を供給したのは
>南太平洋の平和を欲したるに在りと演説す。
>『日本の南進により今や遂に平和は破る。全面禁輸も已やむなし』というが
>如き口吻なり。当班、仏印進駐に止どまる限り禁輸なしと確信す」。
> 7 月 2 6 日の同記述では、「当班(戦争指導班)全面(石油)禁輸と見ず
>米はせざるべしと判断す。何時かは来るべし。その時期は今明年早々にはあらず
>と判断す」としている。
この通りマジメに受け止められていなかった 資源求めてインドネシア方面に進出していく際に後方から仏印に脅かされるのはどう考えてもイカンやろ 大日本帝国に戦略なんて最初からない
基本的にいきあたりばったりでやってる 狂犬病と一緒
誰が味方で誰が敵かを理解できなくなって全方面敵に回した 第二次大戦の初期にナチスドイツがフランスとオランダを占領したから
フランス領インドシナとオランダ領インドネシアは宗主国がない状態になったんで
火事場泥棒で盗んだろってだけのことじゃないの?
仏印 今から見れば南部進駐で地雷踏んだ感あるよね
日中戦争の見通しすらおぼつかないのに対英米戦争になだれ込んだのは考えなしとしかいいようがない 日本陸軍は自分たちの戦力を冷静に計算して
ソ連には勝てないと判断
北進を諦めた
日本海軍はアメリカ、イギリスに勝てる見込みゼロなのに
「いけます!」と陸軍、天皇にほざく
陸軍は海軍がそう言うならイケるんだろう
と思って南進になった
まさか海軍が味方にもウソ八百つくとは思わなかった 関東軍特別演習がな
独ソ戦の緒戦の悲惨な敗北に、スターリンがチャーチルとルーズベルトに泣きついた。
そこで南仏印進駐だよ。
本来これだけだと石油禁輸まで行かないんだが
スターリンに泣きつかれたルーズベルトは関東軍特別演習をみて石油禁輸せざるを得なくなった
石油禁輸で日本軍は関東軍特別演習を解除するしかなくなり
南方に行かざるを得なくなる >>8
そりゃフィリピンの防備はどう見ても準備不十分で、アメリカは時間稼ぎすると思い込むのは無理もない。
でも関東軍特別演習がね 明るくて暖かい南国のほうがシベリアや満州よりいいだろ常識で考えろ >>22
むしろ日本陸軍は相対的にソ連には善戦できてるんだよなあ
英米相手に悲惨な負け負け負けまくったのが日本陸軍
特にマッカーサー相手にキルレシオ20以上の悲惨な敗北が多い日本陸軍
ニューギニアな戦いは地獄のビルマ以上と称される >>27
海軍も違い陸軍は米英に対して局地戦で敗北を重ねただけで未だ決戦らしい決戦をしていない!😤 ソ連なんか攻めても、カスピ海越えるまで石油にありつけないし
イルクーツクで力尽きるって
進駐 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています