【歴史】北条氏政さん、ご飯に二回もお汁をかけてしまうww [769417518]
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北条氏政の父親、北条氏康が存命だった頃の話です。
父子で一緒に食事をしていた時。
氏政は汁を飯にかけ、汁かけ飯を口にしましたが、
かけた汁が少なかったと、もう一度汁を足して
その汁かけ飯を食べました。
それを見ていた氏康が大きくため息をつき、首を振ったので、
家臣は不思議に思い、食事の後で、
先程はどうなされたのですかと尋ねます。
北条氏康は
「あいつは毎日食事をしている。
それなのにちょうど良く汁をかける加減も分からずに
二回に分けて汁をかけた。
こんなことすら出来ないのでは、人の心が測れるはずもないだろう。」
と答え、
「北条氏もわしの代で終わりか…」と嘆いたそうです。
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1603/05/news017.html
※ちなみに当時はお米は大事なものだったので一日一回、
朝にしか炊かなかったそうです。
当然、時間が経てば冷えて固くなるので、
それを食べるときは熱々のお湯や味噌汁、
出し汁などをかけて食べやすくしていました。
北条氏政「一度かけたからいいかなと思ったら、お汁が足りない…もっとかけなきゃ」
北条氏康「(こりゃ、ウチも滅ぶわ…)」 ※ちなみに後世の創作であり作り話であることは有名です >>1
終わらないどころか上杉謙信の10万の軍跳ね返して
後北条の最大版図を作ったな 北条家は一応大名家として明治維新まで続いたから
一方、豊臣家は滅んだ
最終的には北条の勝ち
これって作り話らしいな
ジャップの歴史修正体質 毎日毎日同じ量を同じ味付けで食べているということか。戦国と言えど貴族の食事もつまらんもんじゃ 1(中)小田原征伐で焦土戦術却下、理由は「領民が困るから」
2(ニ)平時は週二回、百姓に混じって畑仕事
3(一)河川改修のために小田原城の畳敷にするのを後回しにする
4(三)2公8民の超低税率を達成
5(右)市が開く月16日は関宿以外の関所開放、関銭無料
6(左)穏田見つけるとその田だけ5公5民にして翌年は通常税率に、百姓お咎め無し
7(遊)小田原征伐で青田刈りせず。理由「北条滅んでも領民は生きていかなきゃならんから」
8(捕)家康が次の国主と決まると大量に水路図を送りつける
9(投)切腹時に家康に「領民を頼んます」って手紙を送って切腹 むしろそれぐらいのことで絶望しちゃう北条氏康がおかしい 汁加減が分からぬものに人の心は分からぬ!
格言じみたこと言ったつもりなんだろなー >>19
逆にそれにこだわり持ってそう
人生を楽しむことに関しては長けてそうだし 俺も汁かけるなら二度に分けたい
一度目は汁に水分と味を含ませて冷えたご飯を暖かく
二度目は汁を追加して汁の浮身としてのご飯を楽しみ
かつ洗い物を楽にする為に
そんな息子の心も理解出来ないから息子の教育に失敗するんやで
出来る奴は出来ない奴の気持ちがわからないんだよ
氏政はサッルに逆らう気はなかったろうにな
版図がデカ過ぎて潰すしかなかったのかね 一回でなみなみ注いだら箸の先が5センチ以上濡れるだろ >>38
勝手に攻め込んじゃいかんでしょ
その前の上杉武田、さらにその前の本能寺後の火事場泥棒みたいなことも含めて対外的な立ち回りが褒められたもんじゃない マナー講師「汁かけご飯の汁は2回にわけるのがマナーです」
氏政「そうなんだ」 北条氏政って秀吉の時代じゃなければ名将扱いされてただろ もしこれで勝ってたら「自分の目測が誤ってたと思ったら即座に修正できる器用さ」とか評価されてたんだろ
結果から判断してるにすぎない
>>41
名胡桃城強奪の件は実在したか疑わしいという説がある
状況的に存亡が掛かってるのに田舎の小城にちょっかい出して開き直るという話は理解に苦しむ
北条はサッルにハメられたんだろうと思ってるよ 北条を名乗るのをよく思わない関東侍は伊勢氏と呼んでたってのは作り話? 「食べるたびに汁をかけるのがわしのやり方じゃ」
って真田丸で氏政に言わせたの良い脚本だと思う
三谷幸喜歴史好きなんだなってのが伝わる >>2
大事だったからというより、効率面で朝に一日分の飯を炊いてた。
夕飯時は冷や飯になってるから寒い時期などは
お湯や味噌汁をかけたりしたし、その流れでお茶漬けも出てきた。 北条氏政と武田勝頼は父ちゃんの代より領地拡大してしてんだよね >>51
天下第二位の実力者だもんな
素直に臣従なんて許すはずがない 北条の最盛期作ったのは氏政だからな
関東の2/3以上支配するまではよかった…秀吉に勝てると思ったのは間違いだったけどな
同腹で最年少の氏規より年下で妾腹の氏邦を採りたてて3の座に据えるとか人を見る目も悪くなかった センゴクで情愛豊かなかっこいい君主として
描いてくれたのはマジリスペクト
歴史モノって馬鹿な作者ほどキャラを馬鹿に書きたがり、
頭いい作者ほど幅広くかけるもんだと再確認した しかし一夜城を見せられて10 日で降伏したんだから、何やっても秀吉には勝てまへんと開戦前から北条家首脳も分かってたんだろね
ワンチャン家康がこっちに味方してくれるのにかけてたのかなあ 大大名のまま生き残るにはどうすればいいんかね?
北条氏から伊勢に戻して国替え申し出て伊勢氏故郷の備中周辺に150万石相当で転封とかか?
これなら秀吉も家康けん制するために宇喜多秀家や毛利一門の誰かを関東に置ける 後で滅びたからこんな逸話が残ってる(作られた)だけで、
正直、言いがかりにしか見えない >>68
天下人にも関わらず下痢漏らしや渋色褌推奨など
シモの逸話が残されてしまう家康さん 秀吉もかなり補給が滞ってて
撤退寸前だったってごちゃんで見たけど本当か? >>71
家康公のケツの穴の広さがわかりますね・・・ >>72
九州征伐で兵糧ぎりぎり、疫病死者も数千出てたのは
事実だが小田原ではそういうのはない、
反省を活かしたんだろう
勝ってる側でも長陣は逃散者が出るのは常識で
小田原征伐も大坂冬の陣も出てる >>72
ないない
宇都宮や佐竹も豊臣側で制圧した関東の地も多い
関東から箱根越えて侵攻しなかった時点で負け >>72
俺もテレビで見たな当時の宣教師の記録に残ってるんだっけ? こういうのは大抵後付のこじつけ話だろうが、
実際小田原攻め当時の氏政は耄碌してたとしか思えない
大名として残るだけなら何とでも方法があっただろうし、
上手く行けば徳川と組んで氏直の代で天下取りまで有り得たろう
同じ事が豊臣にも言えて、結局本人の老衰痴呆化と後嫁の傲慢無能ぶりで
家を滅ぼしちまった 深いなあ
確かに頭の悪い人って覚えられないんだよねw NHKでやってたけど小田原城周辺に本当にあんな
高い土塁きずけてたのかなあ >>6
当時もウクライナのような嘘つきがいるわけだw 滅んだ代は悪く言われがちだからな
実際は先代でやらかしてたツケだったり家臣団が増長して好き勝手した結果だったりするのだが 周りの大名みんな上洛してんのに頑なに拒否するし状況がよくわかってなさそう
いきなり攻められたと思ってそうだな
プーチンもイエスマンしかいなくて状況がよくわかってないだろう >>87
言うても秀吉は氏直の優秀さに目を付けて
3年京都で蟄居させた後
丹波一国与えるつもりだったって言うじゃん
その前に病死しちゃったけど >>64
>歴史モノって馬鹿な作者ほどキャラを馬鹿に書きたがり、
>頭いい作者ほど幅広くかける
同意 >>93
ちょっとしたアミューズメントパークだろこれ 毎日同じことしてるのに未だに加減が分からない馬鹿って言ってるんだろ
食事中にまで智慧を搾るかっての >>89
氏規は何度も上洛してた幻庵も恭順派だったぞ
氏政が反豊臣派の家臣の旗頭にされてそれを氏邦が補佐する形になったからな
氏邦がそっち派閥って考えると旧管領上杉家臣が秀吉に屈服拒否したんだと思う 中国目線でこういう話きくと、
ジャップって乞食が乞食を支配してたのかw
って感想にしかならないよな
貧乏臭すぎ 織田に従属しますと言っておいて武田攻めに励まない
滝川一益に協力を約束しておいて信長の死を確信した途端裏切る
家康と同盟しておいて小牧長久手に兵を出さない
こんなことやってりゃ信用されなくなるのも当然 >>72
それNHKの番組で小谷賢が古今東西の前近代の戦史で20万以上で包囲戦して兵站もった例がないっていってたわ
同番組では磯田道史とか歴史家は秀吉ベタ褒めしてたけど日本史だけ研究してるとそのへんの感覚育たないんだろうな 北条直系の子息と知り合ったことあるけど…
滅茶糞にイケメンだったよ この時代の大名は息子と頬一緒に食事なんかしないよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています