ロシア人が私の人生をどう変えたか:日本の鬼島 一彦
https://jp.rbth.com/lifestyle/81886-roshiajin-ga-watashi-no-jinsei-wo-dou-kaeta-ka-nihon-no-kijima-kazuhiko
https://cdni.rbth.com/rbthmedia/images/2019.04/original/5cb4436685600a65d9663a36.jpg
https://cdni.rbth.com/rbthmedia/images/2019.04/original/5cb4435e15e9f977b30a652f.jpg
https://cdni.rbth.com/rbthmedia/images/2019.04/original/5cb4433015e9f90ec42b6fd1.jpg
初めてロシアに訪れたのは、10年前だった。飛行機の大幅な遅延でトランジットに失敗し、真冬のモスクワで1泊を余技なくされた。数年後自分がここでロシア人の妻と暮らしながら、人生をかけたビジネスを仕掛けていく場所になるとは思ってもいなかった。
(中略
6年前に、サンクトペテルブルクに法人登録を行い、医療・輸出入・経営コンサルを3軸とした活動を開始した。経営コンサルでサンクトペテルブルクのラーメン屋、「ヤルメン」の立ち上げでロシアで初めてラーメンビジネスに触れる切欠となった。私の親戚が実家の山形県でラーメン店を営んでいたこともあり、ラーメンは自身にとって深い思い入れのある食事であった。
結果、「ヤルメン」は現地日本人駐在員なら誰もが知る店になっただけではなく、ロシア人にも大変な人気を博すこととなった。しかし開店当初は材料の大半を日本からの輸入としていたが、ウクライナ危機によるルーブル安で、原価が高騰したのだ。私は材料調達を輸入から、ロシアで購入できる食材を使ってロシアならではのラーメン作りにシフトした。
(中略
ロシアでは、過去と現在と未来がなかなか一直線には繋がりにくい。経済的に安定していて、ある程度将来が保障されている日本で育った我々と違って、より“今この瞬間”を大切に生きてきたのだ。