https://news.yahoo.co.jp/articles/274e4451a15be1343d3634418657746d44930d6e

ロシア同盟国セルビアの首都ベオグラードで3月4日、ロシア支持を訴える人々数千人がプーチン大統領の写真を掲げながらロシア大使館に向かってデモ行進した(ナレーションなし)。

ロシアの同盟国、セルビアの首都ベオグラードでロシア支持を訴える人々数千人がデモ行進。

デモ参加者
「ロシアは人類の文明を守っている。これは善と悪の間の戦争だ。
母なるロシアが勝利すると、神も皆も知っている」

人々はベオグラード中央部のロシア皇帝ニコライ2世像の前に集結。
ロシアとセルビアの国歌を歌い兄弟国として歓迎した。



https://imidas.jp/humarerumono/?article_id=l-80-014-19-09-g706
コソボはかつて、ユーゴスラビア連邦セルビア共和国の中の一自治州だった。多数派のアルバニア系住民と、ここを聖地と考えるセルビア系住民が共存していた。
コソボの自治とはまさにアルバニア系住民のためのもので、当時はアルバニア語教育などが認められていた。
(中略)
 そんな中、1989年、セルビアのスロボダン・ミロシェビッチ大統領が、コソボ自治州から自治権を剥奪した。
コソボのセルビア人に向けて行った演説の一節、「もう君たちを殴らせはしない」に象徴されるように、
ミロシェビッチは随所でセルビアナショナリズムを煽ることで求心力を得ていく。
以降、セルビア政府によるアルバニア人への迫害は強まっていった。
 1998年にはセルビア治安部隊と、武装蜂起による独立を目指すアルバニア人組織KLA(コソボ解放軍)との武力衝突が激化し、人道危機に陥った。
これに対して、米国の主導によりNATO軍が1999年3月にコソボを含むセルビア全土に向けて空爆を開始したのである。

3カ月にわたった空爆は熾烈を極め、終結の条件としてコソボに駐留していたセルビア治安部隊は撤退を余儀なくされた。
人口で勝るコソボのアルバニア人にとってみれば、確かにこの空爆は福音だったと言えよう。
一方、セルビア人にすれば、コソボは中世より栄えたセルビア正教の聖地であり、
かけがえの無い土地であった。ここからの軍隊の撤退は屈辱以外の何物でもなかった。

 そして世界のほとんどのマスメディアは、あたかもこれで平和が訪れたかのように錯覚し、この時点でコソボ報道を止めてしまった。
しかし、実際は反転するかのように、非アルバニア人に対する「民族浄化」や、KLAに服従しないアルバニア人に対する人権侵害がこれより始まったのである。


奇しくも今回ロシアがやってることをNATOが全く逆の立場でやってる皮肉よ