痴呆母ちゃん(73才)の介護がマジできつい・・・・仕事も嫌儲も結婚も全部母ちゃんのせいで出来ない どうすればいいの?? [834066302]
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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220309/k10013513901000.html
母に残したのは、白紙のメッセージ
いつものように新聞の夕刊をめくっていると「闘病記」の紹介記事に目が止まった。
目が止まるのは偶然ではない。
私は、人が「死」と向き合った時、何を思うのだろうということを人一倍考える人間だ。
それは私の病気と無関係ではなく、1人の青年の闘病記から何かを得ようとして目が行ったのだ。
もう会えないその青年は、大切な人に白紙のページを残して旅立っていった。
(ネットワーク報道部 馬渕安代)
数日後の訃報
自費出版の闘病記は20代半ばでがんを発症した青年が書いていた。
名前は瀬古昴さん。
父親はマラソンランナーだった瀬古利彦さんで、昴さんは長男だ。
利彦さんは記事の中で「悩みつつも治療に挑み続ける姿は息子ながら本当にエライ」とたたえていた。
記事を読んで数日後のことだった。
昴さんが亡くなったことを知った。
深刻な病状の中で執筆していたことに驚き、私はすぐに本を手に入れた。
読んでみると闘病記を書き始めたのは、がんが脳に転移し、頭が割れるような痛みと闘っている時期だった。
意外だったのは、明るい表現とユーモアに満ちた内容だ。
「なんなら、これを書いている今も入院しています。2020年のお正月。絶賛(笑)14回目の入院です」(闘病記より)
がんが再発したため、将来子どもを持つ可能性を残しておきたいと、精子を採取したくだりはこうだ。
「いました。18匹/いつか将来、使うときが来るまで冷凍保存することになりました(数え方、匹で合ってるんですかね?)/母にも連絡したところ、ちょうど母はお友だちと一緒にいたそうで、そこで喜びを分かち合っていたそうです。恥ずかしいな(笑)!」
どうしてこんなに明るく書けるのだろう、、、、私は思った。
私の踏み入れた別世界
がんは死を意識させる病気だ。
私がその宣告を受けたのは4年前で、記者になって14年目のことだった。
医師の言葉は
「ちょっと調べてみましょう」から始まり、
「がんの可能性があります」
「がんです」
「リンパ節に転移しています」と続いた。
がんの切除、抗がん剤、放射線と治療は進み、再発を防ぐためのホルモン剤の治療はいまも続いている。
「ちょっと調べてみましょう」の時から私は、それまで考えたこともない、自分の死を意識した。
自分の存在がこの世から消えるのが怖い。
死から逃れるために治療を受ける自分は、平穏が永遠に続くかのような気持ちで仕事をしていた、数か月前の自分とは別世界にいた。
私は治療を受けても、100%生き続けられる保証がない世界に足を踏み入れた。
仕事中、どんなに気を張っていても、帰宅途中に自宅近くの路地まで来たら涙が出てきた。
家に着いたとたん、声をあげて1人で号泣した。
今でも、年に1回あるがん検査の結果を告げられる時、医師が判決を言い渡す裁判官のように見える。
そんながんとの闘いを、ユーモアなタッチで伝えた昴さんは、いったいどう生き、どう悩み、どんな思いで執筆したのか、人生をたどってみたいと思った。
少し救いを求めるような気持ちも私にはあった。
自分の道 見つけた頃に
利彦さんも、母親の美恵さんも忙しい中、取材に応じてくれた。
昴さんは4人兄弟の長男で、両親と母方の祖母と7人家族で暮らしていた。
オリンピックの金メダル候補となり、レースに出場すると競技場を満員にさせる人気があった父親。
昴さんが、小さい頃から周囲に“瀬古の息子”とみられていたことは容易に想像できる。
美恵さん
「昴には小さい頃から『あなたはあなただから』と言っていましたが、父親のことは意識していたと思います」
2歳頃の昴さん
昴さんは陸上ではない舞台を選んだ。
中学と高校では野球、大学に進学すると環境問題に打ち込む。
そして企業に就職したのち、国際交流や環境問題を扱うNGOに移る決心をして、スタッフとして働き始めていた。
がんは、新たな進路を見つけ、歩き出そうとした頃に発覚した。
美恵さん
「25歳の時、原因不明の体の不調に苦しめられるようになり、息苦しさで眠れなくなったんです」
「病院で告げられた病名はホジキンリンパ腫という血液のがんでした」
緊急入院のあと、抗がん剤の治療に専念することになった。
歩んでいこうとした道は、断念せざるを得なかった。 ケンモウやってんじゃん
生ホ受給させて老ホー入れろ 結婚は母親が痴ほうになるまでに十分時間あっただろ。
いまさら母親に責任転嫁するんじゃねーよ。 仕事と結婚に関しては本当に母ちゃんのせいか?特に結婚
胸に手を当ててよーく考えてみろハゲ 「午後4時半、車の中に妻を待たせている。」
「午後8時、妻とともに家を出る。」
「車で兄弟宅や思い出の場所を回って焼却炉にたどり着いた。」
「妻は一言も言わず待っている。」
「炭、薪で荼毘(だび)の準備をする」
「午前0時45分をもって点火する。さようなら。」 行政にも相談しないで一日中一人で母ちゃん看てるの?
ちょっと信じらんない 老人ホームに入れろ
それができなかったなら自己責任 包括なんか何もしないよ
相談しても施設のパンフやら渡してケアマネと相談してねーで終わり
虐待案件が出たときにケアマネに全部投げてやってる感全開で責任回避するのが仕事
マジで包括はクソ、たった月4000円で包括が関わるのが嫌で面倒くさいと思った要支援の利用者投げてくるし
そのくせプランにはめっちゃケチつけてくるし 73歳で痴呆って、いくらなんでも早過ぎじゃないか? 介護施設に預けるしかないが
預けたら一気に痴呆進行して体弱って別人になって気づいたら死んでるぞ >>17
確かに。
行政に母親と一緒に行って相談して、窓口はろくな対応しないけど、
電話きたふりしてそのまま置き去りにしてバックレるのが正解 介護サービスや自費サービスうまいこと組み合わせりゃ色々出来るけど
色々と面倒くさいから小規模多機能型居宅介護使いなよ
数は少ないが看護小規模多機能型居宅介護なら尚良し かかりつけの精神科病院あるか?入院させろ
レスパイト入院ってやつや3ヶ月おきでもいいぞ 血液のガンなんて自分なら絶望しかないわ
全身回るし 家から離れるのは誰だって大体嫌だよ
小多機で在宅続けながらデイとか泊まりとか使って徐々に慣れてきたら
グループホームとかに移行も出来るだろうし 本当に苦労してる人もいるのに
スレまで建てる余裕あんのにこういう嘘をつくなよ>>1 問題行動はずっと続く訳じゃなくて、そこまで来たら2年くらいで動けなくなって仏みたいなるからなんとかその間だけ大金払って施設にいれろ
もしくは絶対に同居はするな
保護者責任が発生して面倒な事になる
あくまでも知らなかった事にしろ あと徘徊も止めるな
どっかで転んで骨折して歩けなくなるから、それを待て
なんとでも言うけど同居はするなよ
絶対にだ >>15
この人は人生幸せだったのだろうか
俺には辛いようにしか思えない
辛い思いをするなら一人でいた方がいい 医療費にしても介護保険にしても
住民税払ってるかどうかで負担が激変するからな
そこら辺、よく考えておかないと どうせずっと専業主婦、無職だったんだろ?
無職はマジでボケるの早いよな 両親同時に認知症になりそうで鬱
もう一家心中しかないだろこれ 70代ってまだ体力あるから勝手にどっか行ったりするんだよな 母ちゃんのせいだと思うことで大分気が楽になってるかもしれん 痴呆になるまえに何でも出来ただろ
お前ら家族を税金で養ってる側のがきついよ 何年か前の冬にバイク乗ってたらケツ丸出しで溝にはまってるおばあちゃんに遭遇して警察に通報したわ
待ってる間に事故だと思われて近所の人に通報されてちょっと焦った 弱ってるならまだしも無駄に元気だとヤバイんだよな
微妙なラインだと役所の人来てもシャキッとしちゃったりして なんかおかしいなと思った時点ですぐ病院行って検査
認知症は初動の速さが大事
薬で進行を抑えるから症状が軽い内から対処しないとダメ >>5
残酷だけど貧乏人が出来るのはこれくらい... >>64
逆に資産が下手にあると
完全に資産を使って追い詰められるまですべてを無くすからね >>19
これだよな
全てとは言わないがほとんどがそう
たまにやる気のある職員がいてその時は大当たりでいい方向に持って行ってくれる >>63
認知症に効く薬は無いから変に診断もらう方が面倒だと思うけどな
知らないふりをして別居してほっておくのが一番
徘徊して転んで歩けなくなるからそれを待った方がいい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています