岩手県野田村の海岸線近くに住む無職男性(48)は約15年間外出せず、引きこもっていた。

2階の窓を開けると、高さ10メートルの防潮林をのみ込む津波が見え、瞬く間に自宅も襲われた。
自宅ごと流され、一時は死を覚悟したが奇跡的に生還し「幸運だった」と喜びをしみじみと語った。

男性は母親(72)と2人暮らし。
勤めていた東京の会社が約15年前に倒産。故郷の野田村に戻り、そのまま引きこもるようになった。

「避難はおっくうだった」と男性。
11日の激しい揺れの直後「逃げなきゃだめだ」と何度も訴える母親の言葉を聞き入れなかった。

母親だけが避難した直後、ドンという音とともに自宅は流された。部屋の壁が崩れ、天井が落ちてきた。

あっという間に胸まで水に漬かり、屋根の梁(はり)に手を伸ばし一生懸命に抱え込んだ。 わずかな空間で呼吸し、屋根ごと1キロ近く流された。

だが間もなく屋根は真っ二つに割れ、濁流の中に。 気が付くと肌着ごとジャージーは脱げ、腰や脚は擦り傷だらけに。

ようやくビニールハウスの骨組みをつかみ、引き波に耐え続けた。 どこにいるか分からなかったが、寒さに震えながら高台へ歩き、隣の久慈市の避難所に運ばれた。

「息子はもう生きていないだろうと正直諦めていた」。 野田村の避難所にいた母親の元に3日後の14日、朗報が届いた。

再会し、母親は涙を流して男性を抱き寄せた。「人とのコミュニケーションは苦手だが、避難所の生活はそんなに苦でない」と男性は話している

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110317/dst11031711000028-n1.htm