女好きで放蕩三昧だったのに…水戸黄門・徳川光圀が"名君"と呼ばれるようになったワケ😲 [329886917]
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■慈悲深いお殿様のはずが…水戸黄門・徳川光圀の意外な顔
水戸黄門の愛称で親しまれる第二代水戸藩主徳川光圀は江戸時代を代表する名君である。仁政を行なう慈悲深いお殿様のイメージが強いが、光圀の実像はそのイメージで収まり切れるものではなかった。
青年時代、光圀は放蕩(ほうとう)三昧な生活を送っていた。水戸藩主となってからは、自分の名前を後世に残したい名誉欲が動機となり、『大日本史』という歴史書の編纂事業に着手する。
その裏には同じ御三家の尾張徳川家、紀州徳川家への強いライバル心も秘められていたが、この編纂事業は「水戸学」が生まれるきっかけにもなった。そして幕末に入ると、光圀が産みの親となった水戸学は幕府の存立を脅かす思想へと転化していくのであった。
■不良少年だった過去…青年期の放蕩三昧な生活https://news.yahoo.co.jp/articles/8a114503f961145954bd8a69ed8271cd76485a3a 尾張と紀州が将軍と対立ぎみだったから格下の水戸が重用された 水戸様は江戸屋敷で暮らすんよな。だから副将軍。国入りはどのくらいしてたんだろうか 諸国漫遊で、訪れた先で必ずやりまくってたんだろうな 水戸学の始祖、つまり薩長明治維新の神だから
維新政府による全部捏造美化 丘の上で3年間鳴くことも飛ぶこともない鳥は一体どんな鳥だと思われますか >>7
諸国漫遊なんてしてないからw
ちょいと居住地の周りを散歩してただけなんだわw 印籠を持って日本全国を旅して悪代官たちを成敗したから >>16
いつも江戸にいて諸侯全員から進物とかあって物産に明るくなったから、みたいなことかなあ 大日本史編纂事業に金を浪費して八公二民の重税を百姓に課したのが仁政ですかそうですか 江戸時代の末にはもう水戸黄門漫遊記というフィクションが成立してたわけだが >>23
おおー
大日本史編纂で調査団をそこら中に出しまくってたのかなぁ 若い頃は辻斬りが趣味だったド畜生な
サカキバラと変わらん 渋沢栄一だってそうじゃん
ホモり放題の時代に女抱くのって健全だったんだろう >>12
月形龍之介「は?何か言ったか若造?(5歳しか違わんけど) 赤穂浪士の吉良も本当は良い人だったんだろ?
創作物のイメージってあるよな 何もしなかったからじゃね?
なんかしようとしたら迷惑じゃん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています