2014年2月のウクライナ危機の詳細に触れましょう。

ロシアは以前から黒海に面したウクライナのクリミア半島に黒海艦隊の基地を持っており、ウクライナとの間でその駐留権の延長問題を抱えていました。

2010年4月、ロシアはウクライナとの間で合意に達しました。ロシアがウクライナに売る天然ガスの価格を30%引き下げるかわりに、ウクライナは、2017年に終了することになっている黒海艦隊の駐留期限を25年(最大30年)延期することに同意したのです。ロシアとウクライナの両国議会もこの協定を批准しました。それと同時並行で米露の人事交流もさかんに行われ、ロシア=ウクライナ合意に、米国側も同意を与えていました。

ところが4年後の2014年2月に起きたウクライナ政変で、極右の暴力団まで動員して、ヤヌコビッチ政権は非合法的に葬り去られてしまいました。そのどさくさにまぎれて、反ロシア勢力がウクライナの政治的権力を簒奪することを恐れたロシア・プーチンは、クリミア半島の併合を断行しました。

この時、ウクライナのネオナチ的極右暴力団まで動員して同政権を転覆させた張本人のひとりがヌーランドであったといわれているのです。また、ロシアのクリミア半島併合に対して、ウクライナの反露右派政権に武器を供与し、ウクライナにロシアとの戦争をけしかけたのもヌーランド女史だったと伝えられています。

つまりヌーランドは、極端な反ロシアのタカ派で、時のヤヌコビッチ政権を転覆させ、対ロシア冷戦体制を構築しようとしたと推定されているのです。