https://static.tokyo-np.co.jp/image/article/size1/4/3/1/c/431c92033472d706b85ac236f1c813a1_1.jpg
 小宮 ふくろさんのイラストと共に分析をしたことがあります。その中でフェミニスト美学の研究を参考にして五つの分類をしました。まず性的な部位(胸や尻など)を強調する。次に、理由なく肌を露出させる。それと関連して、メタファーを用いて性的な行為を連想させる技法もあります。また、女湯のぞきから性暴力まで、女性が侮辱や侵害と感じる性的接近をエロティックに描く。最後に、無防備なポーズ、戸惑いや恥じらいの表情で、見る側に女性を性的に利用できそうだと感じさせる。女性が自立性や活動性が低く受け身であるという理解を生みやすい表現です。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/164407

ふくろ 絵の作者は、どんなわずかな点や線であっても意図して描き込み、そうした細部から全体の印象をつくっています。エロさが差別的になるかどうかは露出度ではなく、全体の文脈による。たとえば自分の好みで肌を見せる服を着た女の子が、自信満々で仁王立ちしていれば主体性の表現にもなる。「やめて」と恥じらうようなポーズを取れば性的対象として見たり触ったりしても拒絶しない女性、と受け身な印象を与えるかもしれない。私は女ですが、子どものときからそういう表現を浴び続けてきたので「女体=エロ」だと思い込み、半裸の女の子ばかり描いていました。大学生の頃には、「女なのに女を消費できてすごい」と悦に入っていました。見られる側から脱出できた気になっていたのかも。
 小宮 この社会で女性の身体は「鑑賞され、評価される存在」という意味を持たされている。特に男性から性的に見られ、序列をつけられています。評価する側に回るのは、女性の自分が主体となるための一つの手段になっているのかもしれないですね。
 ふくろ 美術史学者の若桑みどりさんは、著書「象徴としての女性像」で、家父長制社会の構造を維持するためにさまざまな女性イメージが数千年にわたって生み出され、それを男性だけでなく女性も消費することで性差別が内面化されてきたと指摘しています。強制性交が無罪になるとか、医大入試で女子受験生だけが落とされるとか、直球の女性差別のように分かりやすくないかもしれない。でも、女性の描き方も実際の差別を補強し、再生産するものです。


  https://static.tokyo-np.co.jp/image/article/size1/4/3/1/c/431c92033472d706b85ac236f1c813a1_2.jpg
左側の少女のイラストに性的な記号を取り入れて表現すると、右側の少女のような描写になる(