本文より
🤗おしゃれやね〜
> その火炎瓶が、なぜモロトフ・カクテルと呼ばれるようになったのか。それには、フィンランドの人々が関係している。
>1939年にソ連軍がフィンランドを攻撃したとき、スターリン政権の外務大臣だったビャチェスラフ・ミハイロビッチ・モロトフは、軍用機がフィンランドに運んでいるのは、爆弾ではなく食料だと言い張った。
> そこでフィンランド人は爆弾を「モロトフのパンかご」と呼び、それに合う飲みもの、すなわちカクテルをお返しした。
>ウオツカを製造していたフィンランドの工場は、すでに即席の火炎瓶を大量生産する準備を整えており、フィンランドはソ連の装甲部隊に対して大きな戦果をあげることができた。その結果、「モロトフ・カクテル」という名前は一躍世界に広まったのだ。
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1979年、ニカラグアの都市エステリで、国家警備隊本部にモロトフ・カクテルを投げ込む、サンディニスタ民族解放戦線の活動家。この写真は、「モロトフ・マン」として知られることになった。(PHOTOGRAPH BY SUSAN MEISELAS, MAGNUM PHOTOS)
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2012年、エジプトの首都カイロのタハリール広場近くで、デモ参加者が警官に対抗してモロトフ・カクテルを準備する。
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1981年、北アイルランドのベルファスト。二人の覆面の男が逃げ出す中、残る一人がモロトフ・カクテルを投げようとしている。
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1968年5月、パリで起きた暴動の際に、モロトフ・カクテルを準備する活動家。
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2014年にキエフで起きたユーロマイダン革命で、警官隊に対抗してモロトフ・カクテルを使う抗議活動の参加者たち。
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1981年、ハンガーストライキを行っていたアイルランド共和軍のメンバー、ボビー・サンズを支援するデモ行進で、モロトフ・カクテルを準備する様子。
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北アイルランド問題で抗議派が使ったのはモロトフ・カクテルだった。写真は1985年のベルファスト。
ウクライナ市民が自作する「弱者の武器」モロトフ・カクテルとは
「今すべき唯一の重要なこと」と地元教師、その歴史を振り返る
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ロシア軍を撃退するため、ウクライナのいたるところで、市民たちが大量のモロトフ・カクテルを作っている。
西部の都市リビウでは学生や芸術家たちが、かつて深夜のダンスに興じた場所で製作にいそしむ。首都キエフの郊外では元経済専門家が、作り方を検索して自分で作ったと記者に説明している。東部のドニプロの街では女性たちが屋外に集まり、この一時しのぎの武器を作っている。(参考記事:「写真で見るウクライナ侵攻と混乱、ライフル持つ市民、渋滞する首都 19点」)
「今すべき唯一の重要なことだと思います」と、地元の教師は話す。
モロトフ・カクテルとは、いわゆる火炎瓶のことだ。高度な技術を持つ敵に対抗する身近な武器として、100年近く使われ続けている。投石よりもはるかに強力だが、作るのはそう難しくない。必要なのは、ガラス瓶と可燃性の材料くらいだ。(参考記事:「図説:ウクライナ独立から30年、ロシアによる圧力の歴史」)
火炎瓶が初めて使われたのは、1930年代のスペイン内戦とされる。右派の反乱軍(ナショナリスト派)が、左派の人民戦線政府(共和国派)の戦車に対抗したときだ。ある英国の准将は、この手製の爆弾で9両の戦車が破壊されたのを目の当たりにして驚いた。やがて火炎瓶は、人民戦線軍側でも使われるようになった。
(後略)