宮古・八重山分島問題
http://rca.open.ed.jp/history/story/epoch4/syobun_8.html
1881(明治14)年2月、両国の代表が石垣島でおち合い、正式に宮古・八重山の土地・人民を清国に引きわたすことになりました。
しかし、いざ調印の段階になると、清国側は国内の混乱や日本の東アジア進出の危機感をおぼえて調印をためらいました。また、琉球の清国亡命者の再三の請願書も影響して、結局は正式調印されることなくこの条約は棚上げされました。
1872(明治5)年の琉球藩設置にはじまり、1879(明治12)年の廃藩置県による沖縄県設置、そしてこの分島・増約問題にいたる政治過程が「琉球処分」とよばれるものです。
その後、日本の朝鮮進出によって日清間の対立は激化し、ついに日清戦争(1894〜1895年)が勃発しました。この戦争で日本が勝利をおさめ、台湾が日本の植民地となったことにより、琉球問題はあいまいにされたまま日本に属することになりました。
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