「曽祖父は海軍中佐で戦艦陸奥に乗っていました」「うちの親戚は瑞鶴の艦長です」「祖父は愛宕に乗ってレイテ海戦に行きました」 [605031433]
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🇯🇵蘭 (Ran)🌸☘
@Ranchan2021
おはようございます😊
今日は春分の日
そして「暑さ寒さもお彼岸まで」のお彼岸ですね
今から家族と墓参りに行ってきます
私の曽祖父は帝国海軍軍人(中佐)、戦艦陸奥にも乗って戦ったそうです。
今日は曽祖父の意志を引き継いで蘭も日本を護るためネットで戦っていることを報告したいと思います😌
@awanokaijin
自分は昨日、お墓参りに行って来ました。
今日は仕事なので…😩
自分の叔父は特攻隊、降魔特別攻撃隊第108振武隊所属で知覧から飛び、私達の国の未来のため、十代の若さで散りました。
先祖様はじめ、戦火に散った英霊様に感謝です🙏
@buchi_okzk
うちの親戚は瑞鶴の艦長だった横川。
息子の名前は翔○、娘の名前は瑞○!
意識していなかったけど結果的に兄弟艦と同じに。
でもうちの親族では瑞鶴が優先なので・・・・妹の勝ち!
@Inada2127
おはようございます。私の祖父も帝国海軍です。中佐でした。愛宕に乗ってレイテ海戦に行きました。本日もよろしくお願いします。
https://twitter.com/Ranchan2021/status/1505709005079212035
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
ただの艦豚のような気がする 仮に事実でも祖父でしかマウント取れない哀れな孫定期 つまり戦いに負けた戦犯の子孫ってことね
お前らのクソプレイのせいで船沈んで不利になったクソじゃん 増える前の普通の近衛兵だわ
将校クラスの子孫ってそんなたくさんいるもんなのか 今日は曽祖父の意志を引き継いで蘭も日本を護るためネットで戦っていることを報告したいと思います😌
ジジイも地獄で泣いてるだろコレ… うちの祖父は祖母と出会う前に戦艦大和に乗って戦死しました 陸奥って勝手に自爆して沈んだ以外に見せ場ないじゃん 敗戦後は特攻隊帰りがものすごい数いたからコレもその手だろw 真っ赤なウソや他人の褌借りる話でなきゃ構わんのだがな
どうせ負け戦なんだし アメリカでも「俺のグランパは日本に原爆落としたんだぜ!」って語る奴いるのかな 京アニに特攻した青葉シンジさんより強い奴って居ないよね うちのじーちゃんは満州で通信兵してたって言ってたな ボケちゃって艦これ的な何かと記憶がごっちゃになってるだけだよ。おまいらもなるよ うちのじーちゃんは長門で大砲撃ってた
大砲の右側に立ってたから左耳が悪くなっちまったって言ってた 嘘つくのも大概だけどまず祖先の自慢じゃなくて自分自身を自慢できるような人間になろうな うちの大叔父は駆逐艦の艦長で
艦と運命を共にして
海のもずくになっちゃったわ ワイの親戚も戦艦に乗ってたわ
どれだとは言わないけど うちの爺ちゃんは赤紙来て、訓練所着いたらすぐに終戦になったと言ってたわ >曽祖父は海軍中佐で戦艦陸奥に乗っていました
よっぽど部下の扱いが悪かったから、爆沈に至ったんやろなぁ… 母方の曽祖父は海軍にいたらしいがよくわからんのよね
何か褒章はされてたけど
父方の祖父は陸軍で兵卒から曹長に成り上がったのが生涯の自慢で親戚一同に嫌われていた >>17
徳島の池田高校の蔦監督が特攻隊の生き残りだったよな なにこれ私の先祖はアメリカに無残に負けた糞無能ですごめんなさいってこと? ホントでもウソでも親戚にナチスがいるアピールと同じレベルやろ
戦争に加担したことを恥じなさい じいさんは艦橋見張員やってたらしいけど何に乗ってたとかは知らんな 平均的ケンモメンの俺のじいちゃんは体弱くて徴兵逃れられたけどね。焼け野原の日本で大工やってたよ 曽祖父鉄道員
祖父鉄道員
父鉄道員
俺ニート
何を間違ったんだろ 海軍なんて船に乗ってるだけ
アメリカでも海軍としてイラク戦争に参加しましたとか言うと嘲笑されるからな
というかネイビーなんてホモ扱いされてる 何故か全員海軍の将官クラスなんだよなw
陸軍で餓死した兵士は一人も居ないw 自分語りになるが母方の祖父は本土防衛隊として九州で終戦
父方は緒戦で中国から後送されたまま終戦まで悠々自適
もちろん戦争への評価も全く対照的 自分の祖父は川重に居たが、事務職だったようだ
ソースは日記 じーちゃんは回天乗る直前に終戦したらしい
乗ってたら今の俺いなかったなw
そういう意味では早く終わらせてくれたアメリカのおかげとも言える うちの爺ちゃんは三菱重工で武蔵作ってて端材で作った灰皿とかキセルがあるんだけど例の大和のプラチナの奴のせいで言いづらくなった お前らのせいでジャップランドがこんなことになってるんやぞ
反省せい 中佐だと副長クラスじゃん
特定されても不思議じゃないレベル よく分からんけど海と陸ってどっちが生還率高いんだ? はっきり言って先祖なんて赤の他人でしかない
親族と認識してるのなんて祖父母までだわ 父方の祖父 従軍中に虫垂炎に罹って帰国
母方の祖父 出征直前に終戦
お前等上級ごときの愚行に左右されるような血統じゃねーんだよ俺は ジジイは職業軍人だったのに日中の時に現場にちょろっと行っただけで後はずっと後方内地
戦後は郵便局員として悠遊と過ごす
こういう奴らが大日本帝国を腐らせてたんだろうな 俺の曾祖父さん中国行ってたらしい
↓
ウチもだわ
自分の地元はこんな感じだった 戦艦の乗組員は数千人単位
日本海軍は内地で130万、外地40万人
子孫は数百万規模だろう
ジャップは戦争狂 親族が軍人とか侍とか多すぎだろ
どうせ本当は代々百姓のくせに \ ウ ソ つ か な い で ー /
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ うちの爺さんは戦場で飯炊いてるうちに戦争が終わったって言ってたよ 結婚式のスピーチで大和に乗ってた爺さんのスピーチまだ? ( ´・ω・`)日中戦争で歩いてばっかりだった兵士の子孫とかベトナムでフランス人とグルになって現地の食料奪ってた兵士の子孫とか全然出てきませんな >>71
徴兵されたら軍人だからな
士官学校やら職業軍人かは知らん うちの爺さんは沖縄戦、知り合いの爺さんはガタルカナルで火炎放射で焼かれたと 爺さんは身体検査で落ちて航空機の整備に回ったと聞いた ジャップの先祖はみんな将校クラスしかいないんだな
日帝に一般兵は存在しなかったのか まぁ糞ジャップ上級共の金儲けに付き合う必要なんて微塵も無いからなはっきり言って
そんなものに参加させられても何の自慢にもならん
特攻隊に所属してたが特攻前日に戦闘機の燃料を抜いて
特攻を中止にさせた爺さんを知ってるぞ >>40
うちの母方の祖父ちゃんは名主で
年齢的にも結構なオッサンだったけど
赤紙で召集されたけど
本土決戦に備えた部隊というのは表向きで
実態は農地を開墾して農作物を作るという農部隊で
プロ名主の知見をフル活用して
農作業のノウハウを持たない若い将官のブレーンをやったり
他の召集兵にノラ仕事を教えて回っていたらしいw
戦後の農地解放で田畑の大半を失ったけど
軍隊経験で自分の活路を見いだしていたらしく
戦後は農業指導員をやって元小作人な連中に農業指導したり
農業試験場の所長をやったりしていたわw 私がホテル勤めをしていた頃の話。
ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には
苦労を掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが
段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。
挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で「(空母)信濃です」
それを聞いた一同微妙な雰囲気になり、非常に残念そうな顔になりました。
おじいさんも下を向いてすぐボカチンしたみたいな感じになっていました。
私もその後は仕事になりませんでした。 祖父1945年に中佐クラスだとしたら、本人はどう見ても50歳
50歳超えて、祖父自慢 戦争犯罪者の子孫
お前らのジジイが無能だったせいで負けたw 介護施設勤務だけど利用者で従軍してたって話す人意外と多いわ
具体的に聞くのは憚られるので深くは聞かないけど じーちゃんが乗ってた船はフィリピン沖で沈没して現地の小さな島の人に助けられて終戦まで畑仕事しながら遊んでたらしい
人を殺さずに済んで良かったっていつも言ってたわ 指揮者的ポジョンだと嘘くさいから機関士あたりにしておくかって感じなんだろうな そら搭乗経験ある兵隊なら万人単位でいるから本当松もあるだろうが
ネトウヨ系のプロフは大概ホラだろうし、意味のない自己紹介だよ うちの爺さんは大和に乗ってガダルカナルへ行き最後は神風特攻隊に参加した
嘘だと思うなら本人に聞いてみろ うちの祖父は陸軍少尉として中国大陸で戦ってたよ(実話) >今日は曽祖父の意志を引き継いで蘭も日本を護るためネットで戦っていることを報告したいと思います
なんだよこれはwww 戦艦なんて二千人三千人乗ってんだからそりゃそんくらいいるだろと 病弱で特攻隊に落ち、当時は悔しくて泣いたけど洗脳だったと言ってますわ たとえ嘘じゃなかったとしても自慢にならない存在っていう 家は全くそんな話ないな
地主だったからか
単にヤクザモノだったからか
軍関係だと射撃の賞状が母屋の裏にポンと捨ててたくらい 爺さんは飯炊きだったらしいが嫌いな上官のメシにフケ入れまくったって言ってた >>58
あの人未だにツイッターしたりしてるんだよねすごいメンタル >>112
ドラマだと左官の家は大概豪邸だからセーフ こういうのは、本人は名もなき企業で非正規が相場なんだから察してやれよ >>54
親父の次兄は召集されて半年経たずにマレーで戦死したわ
次兄の出生前に急遽嫁いできた許嫁が
出生前に次兄から種付けプレスされていたけど
結局孕まなかったので
思いっきり居場所が無くなって不憫だった所に
学徒動員で工場働きさせられる羽目になったうちの親父が
俺も工場が空爆されたら死ぬんだからええやんw
って事で兄嫁とセクロスして孕ませて
俺ちゃんの異母兄となる
やたら歳が離れた従兄をこしらえたりしていたわw うちの親戚の爺さんは
語学が得意で通訳させられてたから
前線送りにならずに済んだらしい ネトウヨの祖父は生存者がいない(反論されない)沈没艦に配属される説 お前らの爺さんや御先祖が戦死してようが爆死してようが関係ないから
くだらねー私怨の反米に他人を巻き込もうとするな クズが 実家に一式陸攻って書いてある双眼鏡があったけとどっかいっちゃったな
じいちゃんが知り合いにもらったらしいけど >>113
艦これイベントでこの指輪を100均で買ってきてレプリカとして100円で売ってるサークルあって笑った うちのジジイは中国で工兵だわ
橋とか作ってたってさ
国鉄職員やったからかな ようはお前らの先祖がガイジすぎたせいでジャップは原爆落とされて被爆したってこと? 横須賀の造船所の技師だったので前線には出ないで済んだ
その方がずっといいわな うちの爺は鹿島で防空壕掘ってる時に終戦迎えたと言ってたな
鹿島灘に米軍の艦隊来て砲撃喰らったと唾飛ばしながら
嬉々と語ってたわ
婆は神奈川だか横浜の軍需工場で弾作ってた女工
んで、曾祖父がパイロットだと聞いたんだが
これってなんの複葉機か分かる飛行機モメンいる?
https://i.imgur.com/NdM64rp.jpg >>21
スタンド・バイ・ミーで眼鏡が
「俺の父親はノルマンディーに参加したんだ!」って威張ってたな >>24
艦コケ由来の聞きかじった知識があるからだろそりゃw 片方の祖父はルソンからパプアニューギニアに送られる途中で輸送船沈められて泳いで別の船に移動して
現地ではマラリアにかかって死にそうになって飢餓状態になって
体中に手榴弾の破片と銃痕が残った状態で帰ってきたよ 昔の人が苦労した結果
→朕はたらふく食うておるぞ
→金ねンだわ
→作文剽窃殿下 >>95
嘘松するにも佐官は盛り杉なんだな
漫画アニメに影響されたギリ健こどおじ辺りなのだろうか
>>112
たぶんこれな 爺さんの弟(俺の大叔父か)が田舎町始まって以来の秀才で
陸軍少佐だか中佐だかで終戦を迎えたはずだが
リアルで漏れ聞く話はヤバすぎてとてもじゃないが大っぴらにすげーすげー言えるもんじゃないぞ
前にネットで断片的に聞いてた話を元に検索したら
それを裏付けるような情報が色々出てきて「うわー…」ってなったし 他にも一式陸攻乗りだったけど
長い捕虜生活中にコーラの旨さを知ってしまい
戦後は毎日コーラを欠かさず飲み続けた大叔父もいたし
復員後はヒロポン中毒になったジャンキーもおれば
シベリア抑留中にソ連の女将官をたらしこんで
日本に妻子がいる身でもあっちでも子供も作って
復員後もシベリアと日本を行き来した二重生活者とかもおる うちの曽祖父は5歳で特攻してアメリカ軽空母を大破させたらしい 水木しげるは雪風に乗ってたのか、幸運艦だったり死神言われたり、主要海戦に参加するも雪風だけ無傷だったりとか日帝駆逐艦は特に酷使されてたらしいしWW2で最強駆逐艦争いをするのは雪風とどっかの駆逐艦って聞いた。戦後も雪風だけは返して!って元乗組員が活動してたね 国が違えば先祖のナチス所属を自慢してるのと同義だが頭大丈夫かこいつら?w ここで頼まれもしないのに先祖語りしてるケンモメンも
嘘吐きネトウヨと五十歩百歩だよなw 大叔父が愛宕に乗ってレイテで戦って命からがら帰ってきたってのは聞いたけど
100パー嘘松扱いされるからツイッターとかでは言わない 父方は高射砲の射手やって自軍の破片で片方肺潰して戦後苦労したと聞いた、だからうちの家系は皆嫌煙者
母方は兄弟二人死んだとしか聞いてないけど高祖母は自殺したって突然言われて唖然とした記憶
精神疾患は遺伝するし病み気味なのも隔世遺伝だと納得したわ >>54
うちの爺様は南方で死ぬ目にあったといってたわ
広島市民で復員してきたら家のあたりが一面の焼け野原で途方に暮れたそうだ で、ネット番長やってるんか
お祖父様もさぞかしお嘆きのことだろう ID:2Vp3kDN/0
>>86
>>117
こいつは虚言癖なのでNGするように
しかもこいつたたき上げで中佐ていってるからな
アホかよ じいさまは今話題のシベリア抑留されて家族も死んだと思ってたら帰ってきたパターンだな
死ぬ前に露助だけは許しちゃおけねえといいながら死んでいった
これは何十年も書き続けてるからどっかに残ってるかもな 大叔父がBC級戦犯だったから
B.C.Richのモッキンバードを弾いてるわw >>54
人数的に言うと圧倒的に陸軍が多いんで普通は陸軍になるはずなんだけど
まあ陸軍はイメージ悪いしな
そして陸軍ならだいたいの家族から招集された人が出ててかなりの確率で
悲惨な目に遭ったり悲惨な死に方してるからな ワイの爺さんはシベリア抑留者や
珍しくもないだろうけど軍人恩給は生涯貰えたぞ 祖父は小遣い稼ぎのために国内の情報を連合国に売ってたみたい わしの祖父は中国で捕虜になったらしい。で共産思想を植え付けられて日本で共産党員になってたな。 俺の爺さんは満洲にいたらしいが俺の小さい頃に死んだから何やってたかさっぱりわからん へえ
ワイのジッジは中将だったけどマニラで絞首刑になったで
どうだ怖いか? うちの祖父は普通に徴兵された農民だな母方のほうはチビガリだったから徴兵検査で落とされたみたい しかし昔の人ってみんなめっちゃ字がうまいよなw とても真似できんわ。 >>173
カーチャンの次兄は徴兵逃れして上海に密航して
戦後は某大学で教鞭取ってたわw 確かひいひいおじいさんがオランダ軍に所属してた もうひとりのほうは輸送中に魚雷食らって死んだり硫黄島で死んだりしてる 大和とか武蔵とかが乗員3000人程度として、その乗員の入れ替わりもあるから延べ数でいえば結構な人数いないか?
さらにその軍人が祖父・曽祖父ほどになると子孫の数は相当増えてるよな
だからそこまで嘘ばっかりという訳ではないと思う
ただ一方で海軍と陸軍では圧倒的に海軍の方が人員が少ないのに、やたらと目立ってるのは謎 昔は感染症の研究者だと指導教授が731部隊でした、てのが結構あるw うちの家系陸軍ばっかりで船乗りも飛行機乗りもいない >>177
良心的な兵役検査だな
片方の爺ちゃんはチビガリだったけど徴兵されて南方送られた 江田島の海軍兵学校で数学の教師してたと聞いた
中尉だったらしいんだが 普通は陸軍の中国戦線で話しを聞けば「山の中歩いてたら戦争終わった」がほとんど ネットには先祖が武士な人とじいちゃんひじいちゃんが大和に乗ってた人が多いね ジジイが結構おるな
90近いうちのばあさんでも子供だったぐらいなのに うちの爺ちゃんは南方で終戦して引き揚げ中に米軍の潜水艦の攻撃を受けて士官が乗ってた船だけ撃沈してしまったんで非士官用の船の中で一番偉かったもんだから東京裁判受けたあと暫く巣鴨に入ってたそうな
死ななかっただけ運が良かったのかもしれんがとばっちりにも程があるわ ( ´・ω・`)じいさまは体弱くて徴兵されなかっただ
結局は結核で死んだが「結核死は遺族が差別されるから心臓病で死んだことにしとけ」と口外禁止だったらしいだ
正に陰湿ヂャップだ >>183
大きい作戦は万単位で人が動くから親戚知り合い含めれば
どこかに参加者いること多いね 俺のひいじいちゃん戦車長で戦地行く途中に船ごと沈められて戦死
なんとも… >>194
本人が戦争に行った系だと戦車将校だった司馬遼太郎とか特攻隊員だった城山三郎とか >>157
嘘だとは思わないんだけど大叔父ってのが少し遠い感じがする
でも曽祖父が〜とか言う奴よりはずっと信用できる感じ うちの祖父が近衛兵だったのは祖父の葬式の時に大叔母から聞かされたわ
祖父から戦争絡みの話は一切しなかったな >>192
大和に乗ってたはともかく先祖が武士なんて珍しくないぞ
お前も五代ぐらい遡ってそこから辿れば親戚に有名人とか当たり前にいると思うよ
武士なんて10世紀から始まって19世紀までいたんだからどれだけ日本人に混ざってるか考えてみろよ
お前も本州生まれで大きめの家なら高確率で先祖に武士が混ざってる >>194
半藤一利
旧軍関係者にインタビューすると階級は盛るわ
そこにいないのにさもいたかのように話すわでほとんどが嘘つきと見栄張りで注意しなきゃいけない
とだいたいの本の後書きとかで書いてる わたすのジッジは特攻隊に行く前に終戦になったらしいです(´・ω・`)
ちなみに軍都と言われてる場所でさあ 父方祖父は満州に入植してから徴兵
中国戦線の従軍は思い出したくもないと一言も語らず逝った
母方祖父は特攻隊の訓練してる間に終戦
毎日殴られ2度と軍隊なんぞ行きたくないと語る
どっちの祖父も軍隊や戦争にろくな思い出無かったがこいつらの祖父たちは異次元の人らなのか? 何が怖いって祖父が戦中世代って、もう結構な高齢やん
でも彼らはそのアップデートができずに十代設定なの これで嘘がバレると「曽祖父がそう言っていたのは本当ですが真偽の程は分かりません😤」って先祖に罪を擦り付けるんだろ🙄 そりゃ1500人から乗るわけだからそれなりの人数がいて当たり前。 俺の爺ちゃんは戦争の事は死ぬまで何も話してくれなかった
中学の修学旅行が広島で行く前に戦争の歴史に触れようって宿題で爺ちゃんに聞いたんだけど普段は陽気で饒舌な爺ちゃんの顔色が変わった事に気付いた所で出ていけって言われた時は触れてはいけない話なんだと理解した
戦争なんてやっぱり起こらないことが一番なんだよな >>206
話さないみたいだね口を噤むから聞いた婆さんが後世に伝えるパティーンが多い印象、思い出したくないんだろうかね >>206
うちも。近衛連隊
近衛兵とは厳密には違うらしいけど
手帳に書いてある 戦争行った世代でも無けりゃ日帝とは実質的に関係ないわけだし愛国やるにしても持ち出したところで国の不利益か付け入られる隙ぐらいにしかならん 中野学校にいたとしか聞いてない
スパイでもしてたか >>218
うちのジジイは幽霊を異様に怖がっていたからな
家族でハワイに行くってときにすげー怒られた
あんなところは霊がウヨウヨいるから行ってはダメだ!!って 爺さんは満州に居て激化する前に帰って来れた。
士官しか乗れない軍馬に乗せてもらってはしゃいでた
ほのぼのエピソードもあれば、酒呑むと
中国の人には酷いことをしてしまった…と涙を流して
詫びていた事もあった。何を見た、させられたのかまでは
語らなかったそうだ。 嫌儲でもネットで先祖の軍歴語りが出る時点でジャップって頭のおかしい民族なんだなってよくわかるよ >>207
てか花屋の政とか組紐屋の竜なんて感じの
江戸の町人だと子孫を残せずに絶えているからな
本家からどんどん離れた傍系が没落するってだけで
現段階で没落している連中でも
明治よりも前まで辿ると
三十俵二人扶持以上の武家とか
そこそこ羽振りのいい商家なんて奴ばかりなんだよな >>212
殴る側だったんでしょ、所謂古参兵や職業軍人
戦前の徴兵の扱いは奉公よりはまだ楽って感じで比較的緩かったと聞く、戦争に突入して一気に余裕なくなった結果その頃徴兵された世代は今でいう氷河期世代で貧乏クジだった 戦争のこと話したがらないのは戦争で悲惨なのを目撃したとかではなくて
部隊で「イジメ」を受けたが一番の理由だよ
関東軍なんかは真冬にたるんどる!寒風摩擦してこい!で足の指凍傷なんかのイジメが十八番 >>195
停戦後に攻撃って
それ半分戦争犯罪だろ 寒い地域ににいる人たちは満州方面送られて
関西地方のやつらは南方に送られたって感じで合ってる? 私がホテル勤めをしていた頃の話。
ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には
苦労を掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが
段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。
挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり
直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。
私はその後は仕事になりませんでした。 ワイの爺さんは葛城に乗ってたから出陣する前に終戦を迎えた
そのあと葛城は帰還兵の輸送に使われたようだ >戦艦陸奥にも乗って戦ったそうです。
陸奥は一度も戦ってないんじゃないの うちの身内には
チャイナで略奪したてのやガ島帰りみたいなのしかいねえぞ
兄さんのくにで学校の先生やってたのもいたな 私の曽祖父はB29に乗って東京を火の海にしました😊 俺の爺さんはどこかに行ってたらしいけど戦争のこと全く話そうとせず逝ってしまった 原爆後の瓦礫撤去作業に参加してたらしい爺さん
被爆対象者なのに国は手厚く無かったと言ってたな >>198
結核で死んだら遺体を運ぶ台車すら誰も貸してくれず、遺族もガチ差別対象だったと何かの自叙伝で読んだことある
陰湿ジャップの伝統は揺るがない >>232
世界的な終戦の日は玉音放送じゃなくて正式に受理した9月3日な
その間はソ連迫ってた満州以外にも至るところでまだ双方で戦闘は行われてたし空襲もされた うちのじいさん軍艦乗ってたらしいがなに乗ってたか死んだときに見せてもらったけど30年も前だから戦艦でも空母でもない名前だったくらいしか覚えてねーや
てかじいさんで軍艦のりとか明治か大正始め産まれだろ >>198
>>242
結核で差別
津山三十人殺しを思い出した なぜこの手の嘘は無くならないのだろうな?
将校の孫と必ずアピールしてるけど恥ずかしくないのか? >>142
敗北という形で国民を裏切った国賊だろ特に将官以上はよくも恥を晒して生き続けたものだな ウチの祖父は終戦まで本土にいました
陸軍のナンチャラカンチャラっていう階級です いや結核は感染力割と強いし
台車で感染するかもってのも理解できる
特効薬できるのは戦後だし
コロナと同じで不治の病やもん
当時としては仕方がない面もあるんだよ >>235
職業軍人の士官とかならまだしも、おそらく徴兵されて数年間だけ海軍にいただけなのに大和だから直立不動の敬礼とか正直おかしいよな うちの死んだ爺さんはギリギリで終戦してまじラッキーって言ってた >>1
Height 大和撫子親衛隊
@Height46733229
僕の曾祖父の祖父(元大日本帝國海軍士官)は、インパール作戦の上陸部隊の中隊長から、「我ら英国軍1個師団と交戦中支援火砲乞う敵味方の区別無用」との連絡で、巡洋艦他7隻で一斉艦砲射撃を行ったそうです。乗組員は血が出るほど唇を噛み号泣しながら!それが無駄な死ですか?
2021年2月8日 >今日は曽祖父の意志を引き継いで蘭も日本を護るためネットで戦っていることを報告したいと思います😌
ここ最高の笑処
せめて家族の最カツを守るために働けよwwwwww 先祖とか親戚が出征してた話全然聞かんわ
祖父は徴用はされてたみたいだけど
18になる前だったから徴兵はギリ免れたのかね 旅行先の銭湯にいた特攻隊崩れの爺さんは
自分達の世代が馬鹿なことをしたせいで迷惑をかけて申し訳ないって話してたわ
現地で実際にいたやつはそうなるよな 曾祖父の1人は日露戦争で従軍医師、もう1人は従軍看護師 >>207
特に先祖に鹿児島出身がいればほぼ確実に武士(郷士)がいる
薩摩藩人口の3割弱が武士(郷士)だったから >>76
友達の爺さんが昔赤紙蹴って満州に逃げて馬賊になって略奪のかぎりを尽くして戦後何食わぬ顔して帰ってきたそうだ
酔っ払うと当時の話を懐かしそうに話してロシアの女は最高だったワイが口癖だったとか >>253
宇垣美里はおっぱいを盛っても
陸軍大臣より上に肩書きを盛らないだろ 旧海軍の大型艦乗ってたら偉いみたいな風潮クソ食らえだわ
軍に徴発されて沈んで犠牲になった民間輸送船の乗組員も大勢居るんだぞ >>255
インパール作戦の上陸部隊?
こういうのちょいちょい見かけるね >>261
ぶっちゃけ"先祖が"レベルならよほど"特殊な"地域以外はだいたい武士の血入ってるよ 俺の父親の高校時代の学生服は
海軍勤めだった親戚のお下がりを仕立直したもん戦争なんかそんな話くらいしかないわ >>262
そういうのも「そういう人がいた」ってのをさも自分のことのように話す嘘つきだよ
こういう嘘つき共ほんといっぱいいるからな うちのおじいちゃんは背が低すぎて招集されなかったってずっと聞かされてたけど、死後数年たっておばあちゃんから本当は戦争に行ってたって聞かされた。
人殺しの孫は嫌だろうと思ったらしい。
勲章も沢山あった。 陸軍の足引っ張り続けてた海軍の末裔かよ
全日本国民に土下座しろや >>244
海軍なら厚労省に照会すれば軍歴証明を開示してくれるからオススメ
戸籍が必要だったり手間はかかるけど子供や孫なら請求できるからやってみるといいよ
戦争当時の文書の写しが届いて面白いぞ
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000093051.html Twitterってこういうキチガイがいっぱいるからすげえわ >>265
志願はできるが枠と適性ってとこかそこはあんまり変わってなさそうだなぁ >>255
なんで山の中の戦いのインパールに海軍が出てくるんだ? 爺さんは学徒出陣で満州行ったとか言ってたな
学徒出陣の映像が流れると「この中にいるから探せ探せ」とか冗談かましてたのが懐かしい >>255
インパールまで河を遡上して砲撃した帝国海軍の頼もしさよ! ほとんどの日本人の先祖は武士で大戦時は士官なんだよな こういうのって大抵証明するものは持ってないんだよな
ウチもそういう話はあるが証明するものはない
精々写真か >>257
日中戦争前だとクジ引きとかだな
割と生まれた年とかの運もある
大正生まれはかわいそうだね >>278
技能召集兵だとスキル優先で配属されたらしいからな
街の電気屋さんが召集されたら
工兵とか通信兵とかさ >>278
徴兵された時に海軍を希望とか出来たらしいね
もちろん希望したからと言って必ず海軍にいけるわけじゃないけど
陸軍に行くと基本地元の連隊だから知り合いもいるし
たまには休日に家に帰れたりもするからほとんどが陸軍に
海軍を希望したやつは除隊後に国鉄の機関車の機関士になりたいとか
目標を持ってた人が多かったとか >>284
結局子孫を継続できるのはそういう層ってのもあんじゃないの ワイも適当に設定こしらえてマウント取りたいなぁw
先祖が乗ってたことにするのにいい戦艦ない? 俺は百姓の家系で武勇伝とか一切なくてツマラン
戦争でも徴兵されてないか軍属だった親戚の人も全員が国内での任務だった つか沈んだ船の生き残りとかスゲーすくねーんじゃね?
うちのじいさんは船が沈まずにシンガポールで武装解除されて助かったらしいが >>255
インパール作戦の上陸部隊とは
ビルマ沿岸からインパールへ届く艦砲とは twitter嘘松オークションの魅力
具体名出すとすぐ確認されるから線引きが大事なチキンレースよw
最近何かで証拠出されて顔真っ赤になってたのあったよな 嫌儲で度々レスしてるけど祖父が少年飛行隊だった
自分よりずっと若い時に志願して満州の地に何を思って向かったのかは、本当に謎だ
とても温和な人だった 無能な敗戦国軍人のゴミ遺伝子が入ったゴミ子孫www 艦これとかやってそう
vtuberとか見てそう
自民党とか好きそう >>292
海戦で沈んでない船がボロが出なくていいかもね
伊勢日向大淀あたり 階級や配属は様々だが戦争に参加してる人の子孫というのは多い
もっと上に遡ればほとんどそうかもしれない
なんか実感もてないよな >>305
榛名は知り合いの信用金庫の理事長のお父さんが乗ってたとか
俺が小3の時の担任の先生は金剛の生き残りって言ってた
どちらも真偽不明 >>1
ネトウヨの親は偉いけど左翼の親は馬鹿ばかりだよな >>71
母方は普段農家やってて国に何かあれば志願兵として行く感じや
概ね海軍。その影響で従姉まで一時海自におったわ
女も国のために働けみたいな風潮なんで戦時中は娘も看護婦にして奉天だかの満鉄病院に行かせてたしな
瑞鳳乗組員でレイテの生きのこりの親戚がいる。最近まで生きとったわ
本家から近衛兵が出て本家の嫁がイキってて気に入らないと祖母さんが文句言ってたw 名前入りの近衛師団除隊記念杯とか盆とかあるから近衛だったんだと思う
ババアはなんも言ってなかった >>24
第何連隊のどこそこにいて何とか島に出兵したとかすぐシュバられてボロが出るから?
もしくは海軍善玉論を信じているか >>292
魚雷挺でブイブイいわせてたとかでもいいぞ! >>71
いや侍は意外と多いし軍人も意外と多いと思うよ
足軽も侍だし後年はなるためのハードルが低くなったから
ただ、ネトウヨみたいなのは話を捏造したりしてるの多い気がするけどね >>255
・陸軍の中隊長ごときが海軍に射撃を乞う通信は指揮系統上できない
・インパール作戦の頃に巡洋艦を含む7隻もの艦船を陸軍の為に差し向ける余裕は海軍にはない
・そもそもインパールに艦砲射撃は届かない
嘘松100% 南方の軍艦乗りが生き残って帰ってきた数より
中国大陸で従軍して普通に帰ってきた軍人のほうが圧倒的に多かったはず
中国戦線で戦ってた祖父を自慢する連中がいてもいいのになぜか自慢するやつがいないw
まあそういうことだ お前は今何してんのって話だが
小学生のホラ話だったらともかくいい大人が匿名とはいえこんなことして楽しいのかね >>294
山城と扶桑は生存者がほとんどいないと聞いた
ただしどっちも古い船だから乗った事がある
という人間なら多いかも 歴史上の人物でもこういうのはでっち上げてるしな
源平藤橘しかり、神話の神の子孫だとか、アウグストゥスの子孫だとか、 詳しいことはしらんが
学徒動員で通信兵として広島にいたが原爆前に四国に移動になって助かったと聞いた
移動なかったら俺いない(´・ω・`) 父方のジジイは大翼成会とかいうのの会長までさせられてたから
でも戦前は社会運動家だったから特高に目つけられて投獄までされてた
嫌々やっとったのか本心でやったのかはしらんけど 母方の祖父は戦争行ってないらしい
背が低かったから徴兵されなかったとか言ってたけど謎である
父方の祖父はもっと謎で満洲(大連)でけっこう裕福に暮らしてたらしい(親父がカメラ買ってもらったとか言ってた)田舎の農家の3男坊だか4男坊だかの筈なのになぜ成り上がれたか謎である 特攻隊祖父10代で?
10代で結婚して子供いたのか?
戦死松だな >>265
そうなのか
爺さんの軍歴証明を見たら、徴兵で海軍入ってすぐに有名な戦艦に配属されてたからみんなそんなもんだと思ってたわ >>71
職業軍人ならともかく兵士なら多いし
武士でも郷士クラスならあまり農民と変わらんぞ
特に鹿児島だと先祖に武士(郷士)なんてごろごろ
いて自慢にもならん >>319
国費で外国旅行してきた〜って感想あったり撤退ばかりの中国軍追ってたらいつの間にか終わってたって武勲になるような話無いからな
初年兵の終わりに捕虜撃つように言われてショック受けたりシベリア抑留したり暗い話はたくさんあるが 結構いるんじゃないの?うちもじいちゃん海軍だわ
しかも戦争前からの職業軍人で
なにに乗ってたとかは知らんが
まぁでも飯作ってたらしいから武勇伝的なのは聞いたこともないけど
母ちゃんもほとんど聞いたことないとか言ってた
戦後は給食とか食堂とかホテルとかで働いてたみたい 大和爺のおかげでこの手の嘘松がバカにされるようになってよかったな >>335
俺は31
祖父は18かそこらで飛行隊に行ったのかな?
幅広い年齢の人がいると思うしもっと若くても祖父よりもう1つ遡れば行き当たるでしょう 大卒で従軍してた爺さんは銃創とか見せてくれたけど詳しい事は聞く前に死んでしまったな
なんで色々訊いとかなかったんだろうな俺は >>335
おれは35だわ
母ちゃんが末っ子で40代のときの子だから戦争経験者の孫にしては若いほうだと思う
平均的な年齢なら50くらいなのかな
わからんが >>332
戦争が始まるまでは徴兵は基本2年で満期除隊だから
除隊した奴の代わりを補充せなならんから毎年海軍にも大勢入ってるよ
配属される艦の希望も一応は聞いてくれたらしい >>260
海軍にも徴兵あったみたいだよ
海兵団練習部という新兵訓練施設で教育受けてから補充兵として艦船部隊に送られる
大和から補充の要請来てれば大和にも行ったんじゃない? >>319
中国方面は終戦間際に行ったら実戦はあんまりなかったみたいよ
まあ爺さんが話したくなかっただけかもしれないけど 自分に成し遂げたことがないからジジイの功績でマウント取りたがる この手の話に
中国戦線から帰還した軍人の子孫が全然いない件 優秀な人は駆逐に載せられる
手記みてたらわかる
少ない人数でなんでもこなす能力がいる >>24
陸軍はたいてい子供には言えないような後ろ暗いことしてるから子孫に伝わりにくいのでは
うちの爺さんも戦争に関してはまず語らなかった >>335
33歳(昭和63年生)の俺の祖父は終戦時に18歳(昭和2年生)で戦争行ってない
それを考えると戦争行った世代の孫なら最低でも40前後位かな しかし俺の親戚が乗ってた駆逐艦白露はアホみたいな理由で沈んだ >>333
圧倒的に陸軍の歩兵のが多いはずなのに
こういうのは決まって海軍の教育受けた軍人の設定だから >>347
伝統的に海軍の方がかっこいい雰囲気あるからな 爺さん中国戦線だったよ
農地改革て裁判起こしてたから
敵はもっぱら日米やね 別に海軍善玉論を信じてるわけじゃないけど海軍は戦争犯罪に関わりにくいから公に言いやすいわな >>255
陸軍の中隊長が海軍に直接支援要請できるんだ 婆さんなんかは戦争に対してクソ辛辣だったな
飯はないし着るものはボロだし終わってくれて清々したとさ 爺さんは戦時中は肺結核で入院してたって話を聞いたな
ちなみに戦後すぐ死んだそうな >>360
陸軍海軍というより南方行ってた人は語りたがるのよ
大陸行ってた人は語りたがらない
シベリア抑留組とか絶対に語らんやん 中隊長に指揮権限があったとかは些末な問題だろ
そんなもん現場の上級指揮官が死んでればどんどん下に権限が移るから不可能じゃない
それよりも内陸のインパールに艦砲射撃がギャグ >>356
昭和35年生まれだから28歳
別におかしくないだろ >>314
戦前から海軍はスマート陸軍は泥臭いってイメージがあったんだってさ
真っ白の軍服着て英語喋れて外国行ってるのと、泥まみれで穴掘りばっかりやってるの、どっちが映えるかって言ったらね? 親父の兄3人徴兵されたけど生きて帰ってきた
その事自慢しない
親父は話聞いたんだろうな
戦争は絶対ダメだって言い続けてる
軍艦乗りしか自慢しないって事はそういう事だと思う >>30
これ
自分はニートでネットで
暴れているだけの負け犬 >>364
南方は南方で語り継がなきゃ的な使命感がありそうだな 詳しくは知らんけどしっかりとした兵隊じゃなかったから軍人恩給が無いだか少ないだかで婆ちゃんが嘆いてたわ 海軍士官って数年で転勤のようだから一度ぐらいは戦艦乗ったことある人が多いのかもね 中国大陸からの引き揚げた軍人や軍属は104万人
それを考えれば現代に大量の子孫がいるはずなのにだーれも中国戦線のことを語らない
あっ…察し てなるよなぁ >>365
海上からインパールに砲撃届かないし届いたとしても目標に当たらなそう 船に乗ってたってやつも対空砲担当は悲惨だぞ
船は担当の大砲の大きさがそのままカーストになる
対空砲の豆鉄砲担当は精神注入棒で叩かれる担当でもある 昔は中国戦線を題材にした日本映画とかいっぱいあったよ
兵隊ヤクザとか独立愚連隊とか >>375
艦内のいじめが酷くてそれを解消する為に
定期的に転勤をさせてたってなんかで読んだな 死んだ爺ちゃんの兄は中国に出兵して帰ってこなかった
実家の仏間にある遺影が軍服姿だったな >>349
後ろ暗いっていうか殺す相手の顔見えるし銃剣なんか使ったら刺した感触も手に残る
思い出したくないだろうし気軽に話す気にもならんだろうな 徴兵されて飛行機の整備士としてジャワ島行ったけど
すぐ飛行場の飛行機全部失って米軍も面倒臭くなったのか空襲すら殆ど無くなり暇してたら終戦
ジャワ島行く途中輸送船団の船が夜中次々と潜水艦にやられ爆発して沈没していく時が一番怖かったらしい うちの爺さんはガチでインパール作戦に駆り出されたぞ
2回本当に死にかけたらしいけどなんとか生きて帰ってきたらしい 爺さんが広島の原爆の時に広島に居て救護に行ったくらいだな
1日ずれてたら宿舎直撃で死んでたわって笑いながら話してたが >>383
分かる
同じ殺し合いでも相手の顔が見えない艦隊勤務と相手の顔が見える歩兵とじゃ
戦場での記憶は全然違うものになるんだろうね >>381
陸奥の爆沈の原因がいじめという話があるな うちの母方の曽祖父は近衛隊だったらしい、戦前で英語の本読んでて日本は絶対に勝てないって何度も言ってたそうだ
貴重なものだから隠しとけって英語の本貰ったけど怖くて燃やしてしまった、今となっては大変なことをしたと思うと祖父が言ってた
父方の爺さんは中国に出兵して、現地の中国人と仲良くなって麻雀みたいなのやったり映画みたりしたってさ 下っ端で中国いかされて帰ってきたぞよく知らねーけど >>370
祖父じゃなくて親父って
お前も孫がいる年齢だろ 陸軍輸送部隊所属だったので痩せ細った帰国者ばかりの中太って帰ってきたらしい グローバル化の時代なのにエンタープライズ乗艦してたとかミズーリ乗艦してて調印式にも出たとか一切出て来ないのは何故なんだい? 大和に乗ったあとゼロ戦にのって阪神大震災で左翼に罵倒されました😭 先祖は関ヶ原の戦いで武勲あげ徳川に採用され、のちに、家康の孫の家の家老幕末までつとめました うちの祖父は陸軍で終戦後は国鉄だったらしいが戦争の話は聞いた事ないな
かーちゃんが昭和22年生まれの7人兄弟の末っ子でかーちゃんの兄弟姉妹とその子供は全員市役所か消防で一族初の犯罪者が俺と共犯が俺の親父 >>402
犯罪って何やらかしたんだよ
そっちの方が気になるだろ 機銃掃射から逃げた。橋げたに隠れてやり過ごした。
って、終戦当時12, 3歳だった祖父が話してくれたことが何度かある
いちど「祖父がこんな話してた」って人に話したら嘘ついてると思われたみたいで、それ以来人に話したことないんだけど
あれはホントの話だったのかな >>393
アンパンマンの作者のやなせたかしも兵隊で中国に行ってたんだよな
でもやなせさんはほとんど戦いらしい戦いもなくのほほんと過ごしてたらしい
ケシの花畑が綺麗だったとか描いてた
どこに配属になるかで大違いだよな 虐めに耐えられず、砲塔内で炸薬に火をつけ自殺したらしい
目撃者の証言「砲塔から煙が上がった後、大爆発が起こり陸奥が沈んだ」 自称自衛隊員のネトウヨが、自分の結婚式で祖父が大和の乗務員だった話をしたら上官たちが直立不動の敬礼をしたって話が優勝だろ >>404
機銃掃射はよくきくけどどうなんだろうね
少年Hでもたしかあったよな なぜか戊辰戦争で函館五稜郭に立て籠もり、そこにいたロシア人神父に洗脳された。実家の担当神父から聞いた。プーチン#んでくれ >>163
こういう噺なら信じられる
1みたいななろう系の噺は嘘臭い
何で自分自身の実績を語らないの? ラジオ作って売った話とか
定職就かずに証券取引?に手を出していたら、取引所?の若い兄ちゃんに「やめとけ。働いてからやれ。」つって忠告され、ちゃんと働き始めた話とか
当時の同じ話なんども聞かせてくれたんだよなじいちゃん
機銃掃射から逃げた話もなんども繰り返してた >>404
>>411
おれのかーちゃんも小学校からの帰りにアメリカの飛行機が飛んできて
田んぼの畦に隠れたって言ってた
そのかーちゃんも80歳で死んでもうすぐ丸4年だわ >>406
うちの爺さんもそんな感じだったな
前別のスレで聞いた話によると終戦より前に中国方面での実質的な戦闘は終わってたとか >>294
南方の輸送船沈められて生き残ってる人は結構いるんじゃないかな
うちの爺ちゃんとかそうだし 俺のところのジジイは管理職かなんかしらんがちょっと偉い奴だったらしく性格が悪かったそうで
戦後、生き残った部下に刀で切られて死んだ負け犬や 爺ちゃん一つの大砲で10個くらい倒したとか言ってたり戦後はビルマかどっかで二年くらい復興の手伝いやったとか
言ってたけどちゃんと聞いとけばよかったな うちの爺さんはシベリア抑留組だな
帰ってきてからは地元の漁師町から炭坑町のこっちに越してきて10段階でいうと下から4くらいの生活をずっとしてた 祖父の遺品整理して始めてインパール行ってたことが分かったくらいには生前何も話さなかったらしい 母方の祖父は北方
父方の祖父は南方
南方行ったほうは全然語らんかったな
よほど悲惨やったのか 曾祖父さんがハルマヘラ島ってところに行ってたらしい
何事もなくて終戦まで地元の人達と畑耕してただけなんだとさ >>404
ホントなんじゃないの
グラマンに遊び半分みたいに機銃掃射されたとかよく聞く話 >>411
そうそう
少年Hみたいな話だった
妹尾河童は神戸?か西宮?あたりだったよね
あの辺で体験したってんならまぁホントの話かな…と思うけど
じいちゃん三木のあたりだからホントか盛ってるかわからんのよな >>341
これ
四十代半ばの俺は父方の祖父は俺が産まれる前に死んだ
母方は厨房のときに死んだ
親父は昭和十六年生まれだから戦後のことしか知らんし
もっと聞いとくべきだったな
お前等も祖父が戦中世代で旧重大で頭がしっかりしてるなら今のうち訊いとけ >>404
戦争体験談でその手の話はよく聞くし
実際あった事だと思うよ うちの爺さんは弱視だから満州で鉄道の仕事してたって。
多分それがコンプレックスだったのか戦争の話はほとんど聞かなかったわ >>409
フイリッピンって発音がリアル
俺が厨房の頃の先生がその発音だったは >>184
ああ、ありがとう
めっちゃそれっぽいね >>416
ラジオ商殺しとかあったな
その頃はメジャーな商売だったのだろうか 俺ンところのジジイはその時点でジジイだから格好いいエピソードがゼロやな
写真見てもクッソ性格悪そうで嫌いや
ほんでその息子の俺のジジイは理由は知らんが戦争には行ってないらしい
そのジジイの息子が俺の親父だから曽祖父ってことになるのか >>434
シガポルもなんだか英語ネイティブみたいな発音で面白いもんだな 日本軍の軍制で
師団は地域で分けられてるから
インパール参戦してたとかいうなら
京都甲府仙台もしくは宇都宮に住んでないとおかしいからな
お前ら捏造するときは気をつけろよw >>343
なるほど
たしか昭和14年徴兵とかだったはずだからそれっぽいな
すげえためになったわ賢モメン うちの祖父は戦艦大和に乗りたいと志願したが、馬鹿なこと言うなと言われて鉄拳制裁されたらしい
その結果生き残った訳だが >>415
凄惨な経験をするほど口を閉じるんじゃないの
戦争という建前があっても殺人だよ
当事者からしたら誇れるような事ではないんでしょ >>424
うちの爺ちゃんもそう
満洲行ったらすぐ捕まって強制労働
待遇ひどくて仲間がかなり死んだと言ってた >>445
シベリア行きになるかどうかが運命の分かれ目みたいな所あるな 戦争系にトラウマあるから子供にはあんま語らんのがデフォやろな
ペラペラ知ってるのはフカシがほとんどやと思うわ その結果、敗戦国です
負け犬のゴミどもは無様に死んで子孫は未来永劫敗戦国民です 戦争に行った人たち一人ひとりに真実がある
誰かに伝えたい事死ぬまで誰にも言えない事 戦時中は反ソの空気はなく父は苦労せず、親戚の偉い人に。楽なとこに配属だったらしい。
戦後ソ連ロシア正教会革命支持のスターリンあげ流され苦労したとか >>292
作ってた側に回ったらどう?大和武蔵信濃 >>443
だと思う。
祖父は六機ほどのSBDを見かけて海面スレスレまで降下して逃げた以外敵を見たことないって言ってた
というか孤島や潜水艦目指して一人で飛ぶのは結構怖そうなのに良く話してたな こういう話って基本嘘だと思ってるけど事実でも親戚徴兵されて挙げ句戦死してなんで愛国者になるのかわからん
俺なら寧ろ日本嫌いになると思う その英霊の眠る船にチンコ突っ込む妄想でしこしこぴゅっぴゅした挙げ句オワコン化してヤリ捨て😂 うちのじいちゃんは志願という名の事実上の徴兵で中卒で
海軍の技士見習い(要は船内雑用)として南洋連れてかれて到着直前に沈められたらしい
そこから本土帰還までは一切話してくれなかった ワイの曾祖父は鉄砲撃てなかったからシンガポールから帰されたって聞いたわ >>454
死を正当化して受け入れる手段として自身のネトウヨ化が必要だったのでは
東条の娘とか見てるとそう思う おれの爺さんはちょうど戦争がない時期の徴兵検査で甲種合格見事近衛師団に引っ張られたのが自慢で生前はよくその話を聞かされた >>455
祖父の友達は醤油一気飲みして兵役逃れたらしい >>441
てか色々言われるが2ちゃんねるはかなり役に立つよな
俺も十七年くらい前から毎日何度も観てるは
嘘をウホと(後略) >>461
醤油の一気飲みするとどんな感じで体壊すんだろう >>409
すげえわかりやすい解説文
こういうのはいいな >>459
任地が離れる奴とかが、まあなんにせよ靖国では会えるだろみたいな冗談言ってたらしいから、変なテンションだったのは確かだろう 祖父は上海戦で敵の高性能機関銃に苦しみました🤕
みたいなの一切聞かんよなこいつらの口からは
大陸戦線で初めて苦戦してジャップ側も死者が増えた戦闘なんだが
当時国内でも衝撃が走ったんだぞ
それまで国民党軍なんて恐ろしく弱いと思われていたからな >>424
ファミ通町内会で「シベリアはおじいちゃんの青春」ってネタがあったがそれどころじゃないよな 関東軍でシベリア抑留されてたらしいわ
無事復員してきたが詳しいことはわからん おじいちゃん士官学校?出たての若者で戦時中なのにパリピみたいな写真ばっかだった
生前少し話聞いたけど、国中飛び回ってたらしい。一体なんの仕事だったのかさっぱり >>469
まあ徴兵でいかれてる奴は若いの多いから子供も残せないまま死んでるやろ
だから語り継げる奴が少ない 嫌儲だって俺ちゃんみたいなのいるしホラ吹きはどこにでもいる >>465
それは分からんけど割とポピュラーな方法だったらしい
祖父は予科練受かったけどコネで割と安全なとこに配属されて命令書とかを運んでた まあいい話しかしない奴は一部は本当だろうけどほとんどデマかフカシだろう
戦争自体で死ななくても抑留だったりトラブルで死んでる人も大勢いるわけだし 祖父の従兄弟はなんとかっていう戦艦に乗ってたけど撃沈されて、助けられたとか言ってたな
魚雷が突っ込んでくるのを見てたとか うちの爺ちゃん
大地主の長男だからか戦争行かずに町内会で竹槍振ってたらしい >>460
方言の問題で同じ地元同士で集められるから優秀だとかではなくて
地元が東京でラッキーとかそういう類いの自慢な 陸軍だった曽祖父は普通にフィリピンで戦死してたわ
死にまくったんだろーな いっぱい乗員がいたしそういう話が多いのもおかしくないだろう 戦前からフィリピンで農園経営してた曽祖父は現地徴兵で戦死の知らせは紙切れ一枚だったらしい
恩給も出ずに曾祖母は働いた事無い人だったから爺ちゃんは中学も行かずに働いたから天皇大嫌いだったわw うちの直系の曽祖父も職業軍人で陸軍中尉で大陸での侵略戦争で死んだで。
仕事やから仕方ないと思うことはあっても誇りとは思わんな。
このクソガキもちゃんと認識を改めんと先祖が死んだ意味なくなるのになぁ。 >>436
今で言うテレビやアンテナも売ってる電気屋のことだ 母方の大叔父もシベリアで抑留されて、死ぬまで夜うなされたりしてたし。
今のクソガキってこういう事実についてもっと知りたい学びたいという興味関心が全くないんやな。
そら先祖も浮かばれへんわ。 >>486
船員でした、ならともかく全員佐官クラスなんだよなぁ 生きて戻ってきたならなんかコネあるかサバイバル能力高いかだと思うよ 父親の弟が昭和元年~3年生まれってネトウヨ何歳なんだよ バカボンブの話題に突っかかってたバカウヨが間抜けすぎて笑った 俺はイギリス軍捕虜の子孫だ
士官殿の家はどう考えてるのか分からないけど一般国民からしたら戦争って運でしかないし誇れるようなこともないよ 関西以外の人は馴染み薄いと思うが桑原征平アナの父の遺品にあった陣中日記なる手記の話が生々しかったわ
中国出兵から帰国までの手記をラジオで音読してた
ちらと調べたら出版を計画してるらしいから出たら読みたい 曾祖父が陸奥に乗艦経験がある海軍中佐ならこいつ本人は50代以上だろうが
ツイを見るかぎり若い女の設定のようだ
無理がある
あと下っ端から叩き上げで海軍中佐になったとか言ってるが
根本的に帝国海軍の士官を理解してなさそう
陸軍と異なり海軍は下っ端から中佐になれない うちのじいさん徴兵されて中国行ってたらしいけど戦争番組とかすっげー嫌ってて即変えてたな 南方帰りの近所のジジイはアルコール依存で早死したわ
戦争のことは一切語らなかった >>474
ほんとこれ
親族に戦争未亡人いたと聞いてるけど、結局子供でもいなければ話が継承されないと悲惨な記憶も忘れられるんだよな
20代にして夫が戦死、子供なし再婚なし財産は空襲でパー、遺族恩給とパートで細々生きる、みたいな時代に翻弄された人が沢山いるのに >>505
佐官なら戦犯ってどういう基準?
階級で戦争犯罪を犯したかどうかが決まるとでも思ってるの? 醤油飲んで兵役逃れってマジでできるんかねじいちゃんの兄貴がそれで徴兵回避したらしいけど うちの母方の爺さんは千葉の鉄道連隊で鉄道敷設の訓練してる間に終戦になって危うく戦場に行かずに済んだらしい。 うちの爺さんは満州でのんびり兵隊やっていたが
沖縄に配備されてそのうち死ぬと思ったが、米軍が上陸する前に部隊が台湾に転属して命拾いしたらしい
台湾は平和そのものでラジオとかで聞く沖縄戦との落差がすごかったという 祖父が山城でレイテ行って戦死
横須賀の公園にある慰霊碑で名前見てきた 片足切り落とすくらいすれば徴兵スルーできるんかな?
醤油イッキはノーダメか即死かしか無さそう うちの大叔父は海軍で南方行って餓死したと聞かされたぞ
骨も帰って来なかった 祖先を自慢しても英一郎容疑者と変わらんよな
恥ずかしくないのか? >>444
明治生まれのじいさんの字は読めなかったな 父方の祖父
長崎造船所で勤労奉仕した後陸軍に入隊して訓練中は竹刀で前から後頭部を殴られ牡丹江近くの基地で砲兵
8/12から始まった空襲をちょうど牡丹江に伝令行ってて列車が蜂の巣にされながら車両と車両の間に隠れてかわしながら基地に戻って
迫ってきたT-34の群れに向けてでっかい砲をぶっ放して当たって吹っ飛んでウオオオ雄叫びあげてたけど
翌朝きれいさっぱり片付けられてて姿が消えてた
その日軍刀に仕立てた国宝級正宗を見せびらかしてた大佐殿の自慢を聞いた後寝てたら
その夜隣の山の上から基地に機関銃を浴びせられてその正宗大佐以下大勢の隊員が戦死
(鉄帽かぶってたら前から弾が貫通して後ろで跳弾して頭の中を弾がビリヤードみたいにカンカンぐるぐる回るんだと)
隣の山に伏せて突撃手榴弾で制圧した後(ソ連の機関銃を拾って試し撃ちしたけど日本のより性能が良かったと)
この時戦時なんたらっていうので曹長に昇進した
そのうち状況が悪くなって基地を脱出して南に逃げてたら
「南に行く列車に乗れ」という上官の呼びかけがあって
列車に乗れた助かったと思ったら横の兵隊がおいおかしいぞ北に向かってる言われて(窓の外見たら太陽が逆の位置にあったと)
そのままシベリアに抑留された
鍛冶屋の手伝いに選ばれて命が助かった
(鍛冶屋のおやじと娘がナターシャとかナタリーだかナンシーだったか?色々世話をしてくれたと)
2年後に解放されて帰国した
母方の祖父 満鉄社員の料理番やってて命からがら帰国した >>276
これでじいちゃんの軍歴を調べたい
ほとんど教えてくれなかったんだよね
人肉食べたってくらいしか https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_121.html
50年間、口外してはならない 極秘調査・兵士たちの“心の傷”
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4577/index.html
シリーズ 終わらない戦争A
封印された心の傷 “戦争神経症”兵士の追跡調査
こういう人達には顔を背け都合の良い箇所だけは拾い上げてズリネタにすんだから反吐が出るよ ナチス所属を自慢するようなものと書いてる人もいるが順当な人ならシュワちゃんの父親のように罪悪感に苛まれて一生を終えるんだよな
戦後の欧州じゃそういう人だらけだったって話だけど日本じゃ聞かないよな うちの祖父は自分の名前から何番目の子供だったんだろうって想像してたらしくて
当時はそういうのが普通だったんだなあって思った 戦艦の艦長は大佐だね中佐は戦艦だと副長あたりとか駆逐艦ぐらいだと中佐が艦長 母方が樺太行ってシベリア抑留されて
父方が満州警察やってた
父方の祖父が結構な財産作って帰ってきたけど
何やってたかは死ぬまで言わなかったな そもそも比率的に陸軍の方が8倍近くなんで
ネトウヨの話は明らかに偏りすぎよ
自分の祖父だって名古屋第3師団の兵卒として
中国大陸南下して戦ってた >>539
満州アヘン利権かな?嫌儲民しかピンとこない >>535
多分日本ではそういう人はあまり口外せずに亡くなっていくんじゃないかな
一応戦争特集とかで反戦の語り部として生き残りの人が出てくるぐらいだと思う
逆に牟田口筆頭に自分は悪くなかったとほざいて天寿を全うする奴らの多いことよ うちのじいちゃんはどっか南の島にやられて左手の指なくして帰ってきたらしい
爆発に巻き込まれたと聞いた >>522
切り落とした時の状況について厳しく問い詰められるぞ
本当は兵役を逃れるためにわざと怪我したんじゃないかって
例えば右手の人差し指を切断すれば兵隊に取られないって言われてるけど
右利きが右手を刃物で負傷するってレアケースだからすぐバレる 亡くなったじいちゃんはシベリア抑留されてた ソ連製の硬貨持ってたな あの超有名な陸奥ちゃんに僕のひいおじいちゃんが!ぶひいいい!っつって艦豚が感極まって射精すると同時に
げに美しき日本誇らしい、ひいては俺の血は誇らしいと恍惚感じちゃったんだろうな
気持ち悪っ… >>530
海軍は厚労省で、陸軍は各都道府県だから注意
多少の手間はかかるけど得るものは大きいよ 騎兵部隊入ったのはいいが極度の食料不足と虐待で復員後結核になって片肺失った 死んでった兵士の責任取れよ
俺の祖父はお前の祖父の命令で死んだんだぞ 戦士した人の戒名ってすげー立派だよなひと目でわかる こんだけいるのに、南京やパールハーバーに怒るくせに参加した自称子孫いないよな
ネトウヨ全盛期でも参加した曽祖父の話だと〜とか聞いたことない
そう言う事 子孫がヘイト豚のネトウヨじゃ犬死も良いとこでしたね 創作とか嘘松だと昔の軍人がやたら芝居がかったセリフ言ってるけど実際はむしろかなり適当な喋り方してるよな
戦前の記録に残ってる事件の通信とか上官にタメ口だったりするし 立派に国のために生きた先祖を尊敬してるんだね
もちろん自衛隊に入ったんだろうな 横須賀出身なんだけど周りはわりと海軍軍人の子孫とかそもそも自衛官という人は多いしそんなに疑わんけどね 俺の祖父は満州で行方不明だよ
爆弾括り付けて戦車の下に飛び込んだって事になってる うちのおじさんは呉で信濃を待っていて待ち続けて終戦した
一応海兵は出てる少尉殿 >>568
兵卒や下士官ぐらいなら誰も疑わんやろ
俺の親戚もそうだし
それがいきなり佐官だらけになるから呆れられている
艦長クラスなら名前残ってるからいい加減なこと言ってたら本物の子孫に怒られるわ 別のおじさんは陸軍で満洲で終戦
シベリア送りにならずに生還できたけど戦闘でADSLになってアル中で周りに迷惑をかけまくって死んだ >>575
やっぱ昔の人はHDMIにならないんだな 普通に召集令状で召集されて、一兵卒としてマリアナ諸島で餓死
軍部の幹部連中アホのせいで 爺さんは陸軍の軍医で満州で防疫関係の仕事してたけど敗戦直前に運良く飛行機で日本に帰ってこれた
嫁の祖父は陸軍の兵隊でインパールに行ってひどい目に遭ったとか 戦争の思い出を嬉々として語るお年寄りってそんなに多いのかな
嫌な思い出が多いから、話したがらない人が多いと思ってた
特に、戦場に出向いて殺し殺されを経験した人は わいの爺さんの親戚は南方戦線に送られて上官に暴行されて殺されたんだが
戦死として扱われて靖国に祀られたってよ糞だな >>580
父方が長州の陸軍一家で法事で集まると酔うとどこそこでチャンコロ何人ぶっ殺したとかワイワイ言っていた
海軍に入った人がいつもいじめられていた そんなにべらべら喋るか普通?
祖父母まだ生きてるけど昔の話絶対しないぞ 俺のジジイは山本五十六にぶん殴られたから死んだとき万歳三唱したって言ってた
俺も安倍晋三が死んだらそうする >>583
結構普通に話してくれるわ中国戦線行ってたから知らんけど
大連から大陸渡って延々と歩き回されたって話とか 祖父は海軍(妄想)父は空自(妄想)のガイジが頑張って考えた結果がこれなんだろ
嘘松にすらなりきれない出来損ない人間 >>583
食い物がなくて飢え死に寸前だったとか、一番上の子供(生きてりゃ叔父にあたる)が医者にかかれなくて死んだとかそういう話はぽつぽつしてくれたよ
戦果を誇るとか大日本帝国万歳とかそういう方向性じゃ全くないわよ
新婚で仕事も順調だったのに徴兵されて無理やり連れてかれた組だし >>589
無理しても話を聞いた方がええぞ
本当は死ぬ前に誰かに聞いてほしいんだようちもそうだった
でも興味無いとか、引かれたらとか、遠慮してるわけだ
そのかわり聞くときはきちんと聞くのが大事 ある出版された戦争体験談の中に祖父の手記が載ってるんだけど、おれが直接聞いた話よりずいぶんエグい内容だった >>235
大和乗組が嘘松かどうかはともかくとして
「海自組」が「大和」と聞いた途端「すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼」とかいうのが嘘くさすぎる
第一こんな漫画みたいなリアクションする大人はいない
第二に大和なんて戦術的にも戦略的にも、もっと言えば政治的にすらなんの活躍もしてないフネじゃん
もっと活躍したフネ、大変な目にあったフネはなんぼでもあるし、
さきの大戦をちょっとでも勉強してりゃ名もなき海防艦や哨戒艇、監視艇の類にもっとも敬意を払ってるだろ
だいたいどのフネだから偉い偉くないなんてそこまで露骨に態度で示すわけがない
(現役艦ならともかく)
ただただ不快なコピペ >>593
大和乗組がそんなに尊敬されるのなら、大和ホテルなんて明らかに揶揄する言葉なんてのが発生するわけがないんよなぁ 子供の頃おばあちゃんが小泉の文句ばっか言ってたのは覚えてる >>593
戦艦勤務は当たりだからな
比較的楽な職場
最悪なのは駆逐艦だよな wikipediaの硫黄島の戦いにリンク貼られてる従軍者の手記は壮絶すぎて一気読みしてしまった うちの祖父はなんかの軍艦の炊事係だったけど駐留先で赤痢にかかり入院してるいる間に帰属の船は沈没しました >>583
うちの爺さんも靖国は毎月いってたけど話は死ぬ直前しかしなかった 祖父の義弟(妹の夫)が、
士官で戦後水交会の会長。
親父は海兵予科で終戦。
前に身内が大和だ武蔵だと嘘言ってた奴がいたから締めてやった。 額縁に写真だけ残ってる祖父の弟は北方の島で死んだ言ってたからアッツで戦死したらしい 命をかけて戦った結果ネトウヨやらケンモメンの孫ができるとか浮かばれねーな 特攻隊だったけど出撃寸前に終戦になったって言い張ってる親戚が4人ぐらいいる 俺の父方の祖父はインドネシアで一兵卒として死に方もわからず亡くなった
母方の祖父はビルマで砲兵の下士官としてインパールに参加して所属の中隊でただ1人生還した
義祖父は予科練から特攻隊員になってすぐ終戦、戦後はヤクザになってた >>409
歩兵第29連隊 wiki
1943年(昭和18年)
2月7日 - 連隊の残存兵253名はガダルカナル島を撤退する。
2月8日 -ブーゲンビル島エレベンタに入泊し、無事上陸。
3月23日-連隊長交代
4月7日-ココポに移り補充隊を掌握。
4月18日-フィリピン移駐のため、ラバウル港を出航。
5月8日-マニラに入港し、ゴンザレスに向かう。
5月11日-ゴンザレスに全連隊が終結完了。とあるも参加出来た兵は五十名に満たなかった。
10月6日-ゴンザレス発
10月8日-マニラ終結連隊主力はサンタアナにて待機。
10月12日-第三大隊はシンガポールに向かい、マラッカに駐屯。
11月3日‐連隊(第二大隊・連隊砲中隊を除く)に出発命令下達
11月5日-輸送船興帝丸によりマニラ出航
11月10日‐シンガポール入港セレンバンに向かい前進、13日集結完了。第十八独立守備隊指揮下に入り教育訓練及びマレー半島の警備にあたる。
12月12日‐第二大隊・連隊砲中隊シンガポール入港。
12月中旬‐軍旗再親授の報とビルマ転進の為の出動準備の命令を受ける。
1944年(昭和19年)
1月13日‐軍旗再親授のため大島連隊長は旗手古沢少尉、誘導将校伊東中尉以下小野軍曹、赤塚伍長を伴いセレンバンを出発。
1月下旬‐ビルマ転進の師団命令を受ける
1月31日‐宮中にて軍旗再親授。
2月1日‐連隊長一行は立川発、福岡歩兵第113連隊補充隊に仮泊。
2月2日‐雁巣飛行場発台北に向かう途中長崎県の千々石町九千部山中腹に搭乗機が衝突。乗員は全員殉職。現地の部隊ではこの日深夜、軍命令により事故処理と軍旗宰領のための人員を決定。
2月5日‐三宅健三郎大佐着任
2月8日-連隊長代理、栗栖少佐以下西部軍司令部に出頭。
2月12日‐陸軍省、陸軍大臣室にて派遣技術員が旗手立会いの下、軍旗を修理。所要時間は約40分。
2月17日‐連隊長以下立川発
2月22日‐連隊主力(連隊本部、直轄各中隊、第3大隊)はサンドウェイ地区防衛隊となる旨の師団命令を受ける。
2月25日‐連隊本部、直轄各中隊、第3大隊はレパタンに集結完了。
2月26日‐連隊長以下ラングーンのミンガラドン飛行場着、連隊終結地レパタンに前進。師団長参列の下、軍旗奉迎式を挙行。
2月27日‐第1大隊は54師団の指揮下に入りアキャブに前進。主力はサンドウェイに前進。
3月 - ビルマに進出しサントウエイの防御に当たる
8月 - 龍陵に移動、第一次断作戦に参加
10月 - 第二次断作戦に参加
1945年(昭和20年)
1月 - 仏印に転進
第2師団司令部に部隊配置の指示を受ける。
3月7日以下の地域に配置完了
ストットレン - 連隊本部、第3大隊本部、11中隊主力、連隊砲中隊主力
クラチェ - 9中隊主力、10中隊、3機関銃中隊1小隊、3大隊砲小隊、連隊砲中隊の1小隊、工兵隊
パクセ - 11中隊の1小隊
プノンペン - 速射砲中隊主力、第7中隊(捜索第2連隊に配属)・大湖南側地区…第2大隊(第7中隊欠)
タイニン地区 - 隊1大隊主力
2月 - 明号作戦に参加
8月15日 - 終戦、玉音放送聴取、軍旗奉焼の緊急電報を受ける。当連隊は通信中隊の尽力により無線機を改造して受信することが出来た。 ガンダムみたいな感じで気軽に中佐だったとか言ってるんだろうな >>568
そもそも士官以上なら転属しまくるから
家族が横須賀に定住する意味ねーし >>581
暴行死も自殺も戦死で報告するってのは普通に行われてるらしいね
最高にジャップ >>520
何で米軍は台湾スルーしたんやろね?後ろから撃たれないって分かってたから放置しといたんやろか? >>595
うちの婆さんは小錦が大嫌いで負けると手を叩いて喜んでたな。鬼畜米英が身に染み込んでたんやろな。 >>615
本土に行くのに余計な回り道になる、
沖縄上陸戦やっても横撃されるほどの戦力は
台湾にないし空襲で片がつく、
何より同盟国・中華民国の領土圏に突っ込んで
ゴタゴタ起こしたくない、
日本領はそのまま米国勢力圏になるが
台湾占領しても返還濃厚で旨味がない 私の曽祖父は慰安所が大好きでしたがそれだけではあきたらず中国の女を犯していました >>583
生きてても記憶はどんどん消えてくから聞きまくるのがいい
俺も爺さんが死ぬ数年前あたりから聞きまくったが、途中からは特定のエピソードを繰り返すばっかりであんまり参考にならなくなったわ 釈迦の骨みたいに大和の乗組員100万人くらいいそう 曽祖父の遺影はセーラー
でも船に乗ってたのかすら知らん
親戚は大和に乗ってたとホラってたけど誰も信じちゃいなかった >>593
勝手に神格化されてなんの実績も無く上層部の無能判断で沖縄に送られる途中に沈められただけの船だからな
まさにハリボテの象徴で旧軍の無能っぷりを示すような存在なのに直立不動の敬礼?
00年代に大和テーマにした映画あったけどそれに影響されたバカなのかな >>603
確かに爺さんから直接話を聞いたことは無かったな
ただ婆さんからは結構話を聞いてた
空襲が始まると防空壕に入らず近くの缶詰工場に皆集まって吹っ飛んでくる缶詰をひたすら拾ってたという話しをするのが大好きだった
ホントにそういうのがあったのか知らんが 米海軍の大和的なヒーロー艦がエンタープライズなんだけど
これはとにかく被弾しても沈まなくて最初から最後まで戦い続けたからヒーローになったんよ
大和は出来たときから名前とスペックで持て囃されて戦果は散々なのと好対照
活躍したからヒーローになるんであって旧軍は順序が逆 うちの爺さんは、
弾薬が残ってると怒られるから、
蛸壺から鉄砲だけだしてバンバンめくら打ちしてたって言ってたわ うちの親戚中将って聞いてたけどネットで名前検索したら少将って出るし軍籍謄本?取り寄せてみたら少将って出てくる
終戦直前に中将に昇進したって聞いてるけど本当のところ何が正しいのかわからなくてモヤモヤする 第一航空艦隊「行ってきます」
第五航空戦隊「行ってきます」
第一機動部隊「行ってらっしゃい」
第三艦隊「行ってきます」
第一機動艦隊「行ってきます」
第三航空戦隊「行きます」 ウチの母方の祖父は木更津で終戦を迎えたと言ってた
グラマンの機銃掃射から逃げるのが面白かったと言ってたわ
父方は美大だったから招集免除だったらしい >>616
ウチの爺さんがサッカーで髪染めてる選手をTVで見るたびに、小学生の自分にあれは毛唐かと聞いてきてた 大伯父はコネで近衛兵やってたらしい
イケメンじゃないとなれないらしいがワイは不細工や ふーん凄いね。
ウチの爺様は有名な教授だったから戦争には行かなかったわ。 こういう虚言癖の言ってる爺全部加算していったら大和の乗組員何人になるんだかな 川口少将の孫は大学時代の同級生にいたぞ
あとうちのガキが学校で、総理の子孫と同級生だが何か? うちの爺さんは海軍工廠に居たらしいんだけど艦艇の設計に携わった人員のリストって保管されてるの? 終戦から77年
50過ぎのジジイどもがこれ書いてると思うと普通に怖いな 愛宕乗りはナゼか大和乗りと言うことが多いので嘘です(´・ω・`) サイゴンで終戦なって軍の食料品食い放題で楽しかったて言ってた 俺の祖父も戦争行って補給艦乗ってたし勿論ただの一般兵だけど
一定年齢より上の親類なら大抵同じだろうから戦争行ったのだけは事実で他は話膨らませまくってるんだろうな ちょっと前の介護施設にはイギリスの捕虜になった人とかシベリアから帰還した人がいたりして
そういう人の話は面白い そういう人は悲惨な話はあまりしない 裏話的なエピソードもってる
そういうの聞いてない人は嘘松 シベリア抑留から帰ってきたじいちゃんは全然戦争の話せんかったな ネトウヨっぽい艦これオタクの甥っ子に曾祖父さんはヤマトに乗って戦死したと適当なホラを吹いたら信じてて草 ネトウヨのじいちゃんの大日本帝国海軍大和型戦艦2番艦武蔵搭乗率は異常
親戚に最近亡くなった元近衛兵のおじいさんがいたけど
戦時中も皇居周辺を馬でパカパカやってたらしい
その人一回だけ仕事したことがあって
皇居に火が燃え移った時に消火活動してたらしい 佐世保で本土決戦に備えて塹壕掘りじゃ駄目なのか
盛るの好きだね 俺の爺さんはガチで赤城に乗ってたらしいけど
そんな事より砲弾の破片が目に入ってそれを取るために麻酔もかけずに目玉を弄られたって話の方がショックが強くて覚えてるわ
曽祖父は第一次世界大戦に行って
祖父は第二次世界大戦でスパイ兵だった
ロシア語、核変化間違えずに話せる人だった うちの爺ちゃんも海軍さん
将校とかではなく農家出身なら料理できるだろ、と料理させられてたらしい
(農家の三男坊で大して料理しないのに)
艦での生活は意外とのんびりしていて甲板で訓練や毎日魚釣り(夕飯の足し)していたと言っていた
食べ物には困らなかったが上官の理不尽な体罰が辛かったって言ってたな
実際の戦闘の話は殆ど聞かせてくれなかった
子供にはあまり聞かせたくないと
凄い幼かったから当時は気付かなかったけど名前の書かれた腕時計を何点も大切に持ってたけどあれ遺品だよなぁと後で気付いたよ
他にも航空隊?(艦載機?)の人達との写真がとにかく沢山あった
どれもみんな若くて笑顔で悲しかったな
今は役場職員からの勧めで町の資料館に寄贈してしまってるけどまた見たいなぁ
ちなみに戦後は大牟田市の三池炭鉱で経理課にいて事務員してたそうだ
ちなみに隣の家の爺さんは背中にバッサリ刀傷と銃傷何発か、左腕は肩から欠損してて(行くと必ず見せられる)
何人殺したとか怪我で死にかけたがそれは誉れとか色々行く度自慢してて
それはそれで貴重な話を聞けたな〜 ネトウヨの妄想よ
しかも相変わらず他人のことでホルホルして気持ちよくなってるおぞましさ 20年前に大往生したじーさんは沖縄で捕虜になって帰って来た
手先器用な人で整備関係の仕事してたって言うけど戦地の話は酔った時ぐらいしかしてくれなかったな
所属部隊の懇親会があって10年前に最後の一人が亡くなった時に義理で葬式行ったけど故人親族の話聴くと前線でなくても結構悲惨な状況だったと聞いてモヤモヤした 関東軍所属ってパターンが一番多いだろうな現実的には うちの爺ちゃん、満州の前線から遠い都市で延々待ちぼうけ食らってたら終戦になって帰って来たってさ
だから敵を見たことも撃ったこともないそうだw うちのじーさんは戦地に一切行ってないんだが
学校の先生だったから? >>670
公務員は徴兵されないからな。うちの爺さんも当時保健所勤めしてて徴兵逃れてたわ >>631
帝國海軍軍人が揃いも揃って現場猫だったせいでロクに確認もせずに撃沈ヨシしてたおかげ もう死んじまったけど爺さんは一言も戦争の事語ったりはしなかったな
自分からひょいひょい語り出すもんなのかね >>673
お前のジジイが戦争経験者の全てではないだろ うちの爺さんは元々大工で太刀洗で戦闘機の整備をやってて空襲にあって逃げた防空壕の中で亡くなった
ありがたいことに太刀洗平和記念館に写真を飾ってもらってる 俺の爺さんは幸いな事に両方とも戦争行ってないんだよな
父方は村の数少ない国鉄職員だったから招集されず
母方は漁師だったが食糧生産に従事する人は招集されにくかったとか >>60
NHKのインパールの特集で牟田口のお孫さんが出てた
祖父に対しては批判的だったね
勇気あるお孫さんだった 俺のおじいちゃんはラバウルに行かされてた
曾祖母が戦地から帰って来た息子に魚を食べさせてあげようと思い雷魚釣って振る舞ったら雷魚に当たり死を彷徨ったと言っていた >>680
現役が入管にぎょうさん居るからの
このご時世、さすがに恥ずかしくて名乗れまい >>404
島根県の田舎にも機銃掃射の跡あるんだよね。
なんでこんなとこまでわざわざ来てるんだって思ってた。 祖父が戦艦大和に乗ってたニートよりも祖父が小作人で今会社勤めの社会人の方が偉いんだぞ >>593
大和はどうか知らんけど乗ってた艦でのマウントの取り合いはあるみたい
親戚(瑞鳳乗組員)が入院してたときに大部屋の同室に武蔵乗組員の爺さんがいて、マウント取られたといって怒っとったわ
艦橋もないような小さい空母だから馬鹿にされてる!って >>685
武蔵組なんて大半はシブヤン海で死ぬし
生還者も激戦地に陸戦隊として送り込まれて
ほぼ死ぬから うちのばーちゃんの兄弟はブーゲンビル島のタロキナってとこで戦死したらしい >>472
パリピw
中野学校出の特務は軍服も着ず髪も伸ばして一般人に紛れてたというがどうだろ
軍も「お役所」であるから事務方もあるしなあ
書類を運搬したりとか物資の在庫管理したりとか
別の忙しさがあったんじゃないかな うちの爺さんは関東軍で良かった。南方に送られたら俺が存在して無かっただろうな
ダイナマイト食べた人の話聞いた
その人は「ダイナマイトはニトログリセリンだから食べれる」と理解して食べたらしい
感想を聞いたら「羊羹みたいだった」って言ってたw じーさん、軍医で大尉だったかな?
フィリピン送りになる
ところ、乗艦予定の輸送船が潜水艦に沈められたことで、難を逃れたと聞いている
つまり今の俺がいるのは、この輸送船を沈めたアメリカさんのお陰である ウチのじいさんはノースカロライナで日本兵に艦砲射撃食らわせてたわ 酒飲むと兄弟がフィリピンで戦死した話を始めるおじさん見て安倍晋三は糞だと改めて思った >>67
そう悪くいうな
祖父が命をつないでお前がいる
「後方勤務」の仕事も「郵便局員」の仕事も知らんだろう
兵站を軽視したという旧軍と同じ価値観を共有する必要はない >>670
小学校の先生(訓導)だと、戦死して学校で追悼式をした話とか
戦地から帰ってきたけど人が変わったみたいになってて悲しかったとか、
そんな文章を読んだことがあるな
訓導は国から俸給が出ていない(府県から出る)「待遇官吏」だそうで、
お国直結の「官吏」とはまた違う扱いになるらしい
上級の学校だと、大学なり専門学校なり出て年を食ってるか、
「インテリで体格が貧弱」かで徴兵順位が低かったからかも
官公立の学校だと「教官」なんて言われるように正規の「官吏」になるし 祖父は満州に行ってました
祖母は茅野に疎開して御柱見てました >>416
じいちゃんばあちゃんは何度も同じ話を繰り返す
「何度も聞いたよそれ」と思ったが
今になればもっと聞きたかったと思う うちのじいちゃん1は戦争が嫌で理転して余裕で生き延びた
じいちゃん2は空襲で負傷して回復した後参戦しようとしたら
軍の人にもう日本負けるから帰りなって言われたので帰った
俺がケンモメンになるのも納得の結果なんだよなあ シベリア抑留者って尋常じゃない苦労してるけと案外と生還率高くて90%以上無事帰還してるのよね
捕虜の生還率でいうと、米英の日本軍捕虜>シベリア抑留者>>>日本軍の米英捕虜>>>>>>>>>>>>>>>>>>日本軍の中国人捕虜 うちは父方も母方も両じいさんは孫のオレにはほとんど戦争や戦時中の事は話してくれなかったな
戦後の事は食べる物も何もなくて本当に大変だった位しか話してくれなかったな
オレが知ってるのは父方のじいさんは上海で馬に蹴られて片方の肺を潰されて日本に帰ってきたってのと
母方のじいさんは特攻隊で終戦の日の次の日に特攻予定だったって事しか知らん 学校の先生から戦時中の話聞いたな
飛行機の機銃掃射で友達が亡くなったて言ってた わざと痛いネトウヨ演じてるんじゃないの?ってくらいだな
蘭 (Ran)@Ranchan2021
保守系女子だけど左派系の事も理解したいと思います
テレビの偏向報道、特定野党、特亜三国の反日に危機感を持ちました
社民、立憲共産党に騙されない日本人になりましょう
過剰な新型コロナの報道に反対 思想の右左を問わず色々と勉強したいと思います
他には音楽、可愛い動物、宇宙も好きです
通常はDMしません #六四天安門 >>650
裁判には連れてかれたらしいが特に何もなかったとか
軍医だからじゃないかな 戦地の話って土人相手に滅茶苦茶やったか負け戦でアメリカにボコボコにされたかだから子供に話すようなもんじゃ無いのよ >>707
ジジイは若い女のふりするのが大好きだよな 自分の祖父は国鉄の技術者。
ビルマに派遣されてた。
もしかして戦場にかける橋(タイメン鉄道)の建設に携わった? >>488
戦艦は最強だから大将とか提督とか元帥とかが艦長だと思ってるんだろ >>510
いまならPTSDって診断されてるだろうな 哀しい話だ >>703
労働力として日本が売った捕虜だからねえ >>33
戦争で若人が命を賭して守った未来がこれか… >>703
でも無事帰還した後に赤化したとか言って虐め殺されたりもしたんだろ😭 町内の小さな墓地にデカい墓があるから見てみるとどれも戦死はしてなかったから横側にどこで戦ったとか詳細にか書かれてたわ
日露戦争のと愛宕乗組員とかいたわ 【版権禁止】絵を描いてうpしてリメイクし合うスレXX2
http://おーぷん.おーぷん2ch.net/test/read.cgi/oekaki/1592032957/
おーぷん=open
こういう奴らには今度国会図書館行くからその祖父の名前教えてくれ軍歴簿見つけて記念に写メ送ってやるからと言えよそれでなんかいい訳して教えなければ嘘松認定書を送ってやれ 俺の爺さんなんか30超えてから徴兵で満洲に連れてかれて挙句の果てにシベリア抑留だよ シベリア抑留から戻った47万人のうちの1人
戦争がおわっても収容所は旧軍の身分制社会だったから将官クラスの中抜きぴんはねと指導という名の私刑がひどかったらしい どこそこの戦いで戦功をあげたとか戦艦〇〇に乗ってたなんてのは
じいちゃんひじいちゃんが話を盛ってる可能性もあるんだよね
そこは多めに見てあげたいと思う
いずれにしてもお国のためにお疲れさまでした ウチの爺さんなんぞ102工作部隊の軍属だわ
コレ特殊部隊みたいに見えるけど実は海軍工廠な 昔、知り合いの結婚式で大和に乗ってたって人が居たな。
それ聞いた周りの人が敬礼の挨拶してた。 俺の親父はその時の天皇だった
「あの時本当に処刑されそうでマジで焦ったわwww」って酒飲みながらよく言ってたわ >>51
孫はネットで虚言ばら撒く、か
まずは自分を誇れるようになろうな、虚言おじさん >>691
甘味求めてダイナマイトを食べるというのはよくあったみたいね 爺さんは飛行機乗りになりたくて
陸軍の航空学校に入ったが適性検査で弾かれて通信兵となった
中国戦線に軍曹として従軍して
満期除隊したのは太平洋戦争開戦した月
その後は無線機の設計をしていて
木更津にも行ったことがあると言ってた
木更津は海軍の航空機の工廠があったから
航空機向けの無線機だと思う 爺さんが従軍してた奴多すぎ嫌儲の高齢化が伺える
うちの死んだ爺さんは会計の方だったらしい 実際は招集から逃げまくって上野公園でルンペン生活
非国民扱いされても結局は生き残った勝ち組
孫は非労働者でネトウヨ活動 戦争行った爺ちゃんは、戦争も国も嫌いになったって言ってたわ。 海軍は自ら志願して兵学校出たエリートだね
と思ったら上の書き込み見ると海軍にもそれなりにはいたそうだね
うちのご先祖様は普通に徴兵されて南方の島で戦死したと聞いている
数的にはこっちの方が多いと思うんだが悲惨すぎて自慢のネタにする不届者は居ないよね うちの爺ちゃんは終戦直前の徴兵で輸送船に配属されてた
燃料が無くて港から出られないので
配属されてからの航海経験は0で
甲板磨きしてたことしか印象に残ってないって言ってた 運が良かったなまともに護衛出来なかったから輸送船や商船の船員の死亡率は軍艦よりかなり高い >>737
兵卒・水兵は海兵団に入って訓練して配属って流れ、
士官になる奴は江田島の海軍兵学校上がりになる 知ってるか?太平洋戦争の頃には日本はすでに自動操縦による無人艦を開発していたんだぞ
駆逐艦とか補給艦とかな
その代わり有名な戦艦や空母は定員オーバーでギッチギチの状態で運用されていたんだ 標的艦になった土佐も無線で動かしてたけどそんなに大した技術でもないぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています