武士の兄弟って大体殺し合ってるけど、仲いい兄弟って居たのか? [788292605]
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簡単に言えば、武官は「官人として武装しており、律令官制の中で訓練を受けた常勤の公務員的存在」であるのに対して、武士は「10世紀に成立した新式の武芸を家芸とし、武装を朝廷や国衙から公認された『下級貴族』、『下級官人』、『有力者の家人』からなる人々」であって、律令官制の訓練機構で律令制式の武芸を身につけた者ではなかった。ただし、官人として武に携わることを本分とした武装集団ではあった。
また、単に私的に武装する者は武士と認識されなかった。この点が歴史学において十分解明されていなかった時期には武士を国家の統制外で私的に武装する暴力団的なものと捉える見解もあった。ただし、武装集団である武士社会の行動原理に、現代社会ではヤクザなどの暴力団組織に特徴的に認められる行動原理が無視できないほど共通しているのも確かである。 けっこういる
小早川隆景吉川元春とか
武田晴信信繁 海外だと兄弟でやってるバンドとか映画監督とか多いのに
日本人の兄弟が仲悪すぎなんだよ
仲良くしろよ 富は争いの種
少し貧乏くらいが当人にとってはいいよ 時代は下っても平氏名乗ってる家は仲良しが多くて
源氏は争いばかり
平氏源氏の血なもんか怪しいけど 生物の本能的には正しい行動なんだろ?
ある意味野生動物みたいなもんだし お家騒動はヨーロッパでも悲惨
孫殺すはめになったり 武田信玄と豊臣秀吉は弟が先に死んだから駄目になった 秀吉秀長が最後まで裏切らずにやっていけたのってやっぱり出自の問題なのかね
私欲のための兄弟間の殺し合いが当たり前で育った上流と違って百姓は口減らしのために泣く泣くよそに出すくらいだよな 次男以下を他所の家の乗っ取りに使えるようになってから殺し合い減ったよね 仲良さそう
北条 武田 三好 毛利 長宗我部 島津 豊臣
仲悪そう
最上 徳川
殺し合い発生
南部 伊達 上杉 今川 織田 朝倉 大友
中堅以下はそもそもエピソードあんま知らな 腹違いも多いし
仲良しこよしで有名な平家も腹違いには結構冷徹 そもそも長男以外は食っていけないような世の中
江戸時代でも次男以下の傍流はもって3代
絶えても本家から補充されてまた〜の繰り返し
そもそも今の仲良くって感覚ではなく主従に近い >>21
織田信長の織田家は平家子孫を名乗っているが兄弟で殺し合いやってるじゃん 王家を継いだ甥と叔父の確執とか、強大な王家が分割されていくのって人間の定めなんかね… >>36
田舎は戦前までそうだったしな
赤紙来た次男以下に家に居場所無いから死んでこいと親が言ったりしてた 兄弟なんて今の一般人でも仲悪いだろ
同じ土地同じ家に縛られてたら険悪になって当然 義経が一番不憫だな。
まぁそのおかげでおホモだちと濃厚な旅ができたけどな。 嫡男が死んだりなんかしてると後継者争いで殺し合いになる
生まれたときから嫡男として育てられて健在なのにその嫡男が無能だと思われて殺し合いに発展したケースはノッブだけや 後北条だな
ここは団結しないと終わるから伊勢氏の頃からずっと兄弟で団結してる
古河公方とか関東管領が兄弟肉親で滅茶苦茶憎しみあってるのと大違い ただ、後北条は関東の各地の豪族を自分達に取り込む時にその家の後継争いに介入する事で取り込んでるんでやらしいと云えばやらしい なんで殺し合うのに産むんだろうな
一人にしとけばいいのに >>59
多産多死の時代やぞ
妾に産ませることすら必要だった
結城政勝と小山高朝兄弟は普通にすげー仲良い 何かと横から口出す女が切掛けで大体ダメになってる気がする >>64
相続問題で兄弟仲が悪くなる原因がほぼそれ >>12
大河太平記の尊氏が直義を誅殺するシーンは良かった >>64
その点、家中がヒステリー女ばっかりだったのに仲違いしなかった毛利三兄弟(毛利両川)って凄いわ >>37
それもあってか信長自身は家族大事にしてたな
甘やかされて碌なの残らなかったけど 現代にも言えるけど賢い人は家族間のイザコザの芽は吹き出る前に未然に摘む
荒っぽい時代だと単に殺してしまう事もあるだろうけど毛利の場合は隆景公が上手に取り仕切ったんだろうなあと >>25
フィリップ2世にそそのかされて
兄リチャード1世が不在中に反乱起こしたりする
ジョン欠地王はクズだけどなんか笑えるw お家騒動の原因だからといって次男以降排除冷遇しすぎると本家が断絶した時の後継がいなくなるから
後継問題のさじ加減が難しかったのよね 豊臣秀長は、出自もあるだろうけど
普通に有能でバランス感覚もあったからな。。。
秀長亡き後に秀吉が暴君化したところから
秀長が生きてたら、それはそれで
兄弟対立したかもね。 織田の次男以下は揃ってバカで仲悪くはなかったんでは? >>77
次男と三男は犬猿の仲ってのが通説なんじゃない?
確か実際に産まれた順は逆だけど正室腹と妾腹ってことで公的には逆にされたとかで >>74
大名クラスだと仮に正室に子が沢山いても側室って有力家臣や国人との縁繋ぎってケースも多いから
外交カード的に子(特に娘)は多くても困らないし >>77
嫡男信忠の邪魔だから北畠神戸とかいう伊勢のどうでもよさそうな武将に人質養子に出された日陰者としての連帯感 平安時代から源氏の親殺し子殺し兄弟殺しが異常なんだよ
尊氏直義も最後は観応の擾乱だし
この戦闘民族が鎌倉幕府、室町幕府のひらいて武士とはかくあるべしってイメージついておかしくなってる
あとは開墾地に限界がきたための単独相続と義満の頃からふえた権力者がお家騒動煽ってやる弱体化政策 【版権禁止】絵を描いてうpしてリメイクし合うスレXX2
http://おーぷん.おーぷん2ch.net/test/read.cgi/oekaki/1592032957/
おーぷん=open
秀吉と秀長は良好だったな
最も秀長がもう少し長生きだったらどうなっていたかは分からんが 秀吉の場合家柄があって後を継いだわけじゃなく秀長も完全に秀吉にくっついて出世したわけだしな
名家とかだと同じ兄弟なのに後を継いだかどうかでそれ以外の格差から確執あったりするけど >>11
そんな感覚のハズなのに
武田勝頼と仁科信盛の兄弟は仲良いというかカッコイイ兄弟。
この二人で大河一本作れるレベル >>88
信虎兄弟
信玄兄弟
勝頼兄弟
皆仲が良い 楠木正成正季の兄弟。 最後は互いを刺殺してともに自害したそうだが。 >>59
ちょっとは想像力働かせろよ
子供が成人まで生き残らないかもしれないからだろ >>91
勝頼兄弟以外は実の兄弟(信虎の母は諸説あるみたい)だし
勝頼兄弟の仲の良さは凄いね、15位歳が離れてるのが良かったのか >>59
家残すのが目的だからな、出来損ないは死んでもいい
英一郎のとこも男子3人いれば違った 兄弟仲がよくてもそれぞれの部下や妻の実家の関係者とかは赤の他人だからな
結局一門の利益で誰が美味しいところを取るかで抗争せざるを得ない >>103
あれはほんとんど兄弟ではないぞ
玄武門の変とか言っておけよ そもそも現代日本でも仲のいい兄弟なんていないだろ? >>105
というかそれなり以上な持家とか金融資産とかの遺産相続が絡むと自分の家族やパートナーの実家家族の為に美味しい部分を取らないとってなるから自然と悪くなる
スケール感や過激さは違うが昔の所領持ち一族の兄弟で殺し合いするようなのと一緒 陰湿ジャップだからだろ
悪魔ジャップは身内でも憎しみ合う >>95
政治情勢的に追放することになっただけで実際はそんな仲悪くなかったのかもしれんぞ
親父は追放後も今川のところや京都からせっせと息子に最近の情勢調べて手紙送ってたらしいし
息子も生活費仕送りしてたらしいし 兄弟で争わないように長男に全部継がせて弟たちは長男に従えよって教えても
長男が先に死ぬとやっぱり揉めるという 戦国までの日本は儒教社会じゃなかったからな
モンゴルやイスラムみたいなバリバリの戦闘民族
長子相続が一般化したのは江戸時代になってから 大勢力に挟まれてる小領主とかだと両方の勢力から手を突っ込まれたりするから殺し合いも仕方なかったりする 仲がよかった兄弟っていないよね
島津の関ヶ原でギスギスしてたし
毛利元就も正室だか側室のあいおう元綱とやりあってるし
毛利の3兄弟くらいじゃない? 両川は本家とはまた別の財布だし織田という巨大な敵は居るし、そんなにぶつかる理由が無いわな
あとは親父が余りにま口煩いから長男じゃなくて良かった的な >>111
江戸時代の武家の次男以下は基本嫡男のスペアパーツだからね
養子の口も供給過多だし逆に言えば次男以下は兄の機嫌取っておかないとえらいことになる
実家が大身なら家パワーでねじ込んでもらえる可能性は高いけど >>111
ヤバいこたねーだろ
気軽な部屋住みのニート暮らしだよ 秀長も保科正之も主従関係がはっきりしてて従の方がわきまえてたから成り立ってたんじゃ >>111
毎週のように知り合いから顔を見忘れられてそう🙄 >>111
悪友どもとつるんでやりたい放題
最後は秋山親子に斬られるイメージ >>124
夜鷹をぶん殴って殺すくらいはするだろうけど
好き放題やって勘当されたら終わりだから
みんなで和歌読んだり
逆に学問に熱中したり
剣術に入れ込むとかだよ
悪さと色で人生潰せるもんでもねーしな >>41
戦後もそうだぞ
集団就職なんて70年代まであった口減らし 現在でも日本の殺人事件の七割は近縁だったりしたよな
そういう風土なんじゃないか >>128
有効活用できる土地が少なすぎるのが原因 >>122
あれは下の2人を養子縁組で毛利家以外の一族を支配させてたから遺産の取り分とかで争う必要が無かったのが大きい
毛利本家の中で三兄弟のままだったら本人達の仲に関わらず嫁さんの実家や部下達にとって仲良しこよしでいてもらうメリットは無いから何処かで拗れる 本人同士は仲良くてもその取り巻きの主導権争いがヤバい 風雲児たちが未完で終わったことで
センゴクの作者は焦ったのか?
一番、大事なことを全く描けなかったな。
徳川体制の激変と、勝ち組、負け組、平和の時代への移行と ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています